しがみつく手を放してそのままの自分でそこに居ること

日々の棚卸

 

先日、とある平日の夕刻のことですが、

外資系の保険会社に勤める知人と会いました。

 

彼は特に休日というわけではないのですが、

勤務上、時間に調整がきくとのことで、

駅前のスタバでコーヒーを飲みました。

 

職業柄(?)、打ち合わせ用のお店を

把握しているそうで、

その時のお店もよく使うのだとか。

 

時々おちつかなくなりますけどね、

という本音ともつかない言葉が

彼の口をついて出ました。

 

プライベートで人と会っていても、

仕事モードの接し方になる時がある

とのことでした。

 

夕方ということもあって、忙しい感じが

店の中に漂っていましたが、

 

そんな雰囲気もまた、ビジネス上で

お客と接している感覚に陥らせるそうです。

 

その場では、

そういうものなんだ、と相槌を打ちながら、

聞き流していると、

 

ボクの居場所なんだすよね、と

ぼそりと一言。

 

その会話が何となく頭の片隅に残っていて、

玉に思い返されたのですが、

 

不意に“居場所”という言葉が浮かび上がり、

気になっていた意味がわかりました。

 

 

私たち社会人は、生きている限り

そう感じるかどうかはともかくとして、

幾つかの居場所を持っています。

 

通常は、日常生活の場と働く場所の

2つでしょう。

 

場合によっては3つ目として、

コミュニティと深く関わっていたり、

友人知人との集まりに多くの時間を

割いていることもあるでしょう。

 

1つ目の日常生活の場、

つまりプライベートな場ですが、

 

例えば

結婚している人なら、伴侶がいて、

お子さんがいる方もいて、

 

親御さんと同居されている方がいて、

兄弟がおられる方がいます。

 

もちろん、

独身の一人暮らしの方もおられるでしょう。

 

他にも、

親類に身を寄せている方、

シェアハウスに住まわれている方、

施設に住まわれている方など、

 

それぞれの境遇に応じて

プライベートな場所があると思います。

 

それから2つ目、生活の糧を得るために

働いている場所であれば、

 

会社員の方、パートの方、自由業の方など、

それぞれの場があるでしょう。

 

3つ目の場は、人にもよりますが、

必要であるが故に心を束縛されがちな

1つめや2つ目の場所に対して、

 

解毒的な機能を発揮して、

助けられる方もおられるかもしれません。

 

ですが、一般の社会人は

プライベートな場所、生活の糧を得る場所を

持っていると思います。

 

その場所はそこに所属する誰にとっても

必要な場所であるが故に、

 

それぞれの“自分”が互いに衝突したり、

受け入れてもらえなかったり、

ということが続いて、

 

その人にとって、

居場所と感じられなくなることが

多々あります。

 

 

そのままの自分で仲良く家庭生活を営み、

あるいは一人楽しく暮らし、

職場で和気あいあいと成果を出し、

 

ということができるといいのですが、

現実にはなかなか難しい。

 

ちょっとしたきっかけ、

叱責や拒否、批判、無視などにあって、

そのままの自分では居づらくなってしまう。

 

そして徐々に自分が何を感じているのかさえ

見失ってしまい、

そこに居ることがいつしか、しがみ付くことに

すりかわってしまうことが少なくありません。

 

例えば、会社員であれば、

 

大好きな業務、やりたい内容、使命感など

自分を突き動かす何かをその仕事に

感じているのであれば、

 

おそらく自分を見失うことはないと思います。

 

…いえ、実際にはそんな状況でも

自分を見失うことはありますけどね。。。

 

ともかく、そうでない方、例えば、

 

特にやりたいことではないけれど

与えられた業務を遂行しようとして

うまくこなせないでいるうちに、

 

結果が出せずに外部の評価が低くなり、

ぶら下がっていると感じる自分に対して

自己批判にも苛まれるようになり、

 

その場に居ることが苦痛になり、

どこか別の場所へ行きたいと願いつつ、

 

居場所を見出せないが故にしがみ付くように

なってしまいます。

 

しがみ付きは、

そのままの自分でいることへの

批判に対する苦痛・不安が根源になります。

 

そんな時必要なことは、

周囲や自己批判の感情と

無理にたたかわないことです。

 

そのままの自分でそこに居るということは

自分にできることをできる範囲で

無理なくやっていきましょうという意味です。

 

無理なく、何て、それこそ無理!

という方も、

できる範囲で心がけてみて下さい。

 

多大な業務量、

求められる高品質の結果、

周囲の状況への臨機応変な対応など、

 

とかく、必要な居場所が営利に関するとき、

そのままの自分を見失うことは、

どうしても起こりがちなことです。

 

そこで、自分をあきらめてしまうと、

繰り返しになりますが、

しがみ付きが起こる。

 

そのままの自分でそこに居ることを

第1にすると決めると、

 

流れに逆らわなくなること、

変化すること、

場所(ステージ)が変わること、

 

を受け入れることになります。

 

これはある意味とても怖いかもしれません。

 

私たちは自分に自信がないとき、

先行きの見えない新しい“居場所”に

必要以上に不安を感じるからです。

 

それでも、

そのままの自分でそこに居続けようとし、

しがみ付くことをあきらめられれば、

 

必然的に自分がフィットする居場所に

たどり着くでしょう。

 

それは文字通り新しい場所の時もありますが、

 

今いる場所がしがみ付かなくても

新しい居場所になることがあるということです。

 

新しい場所が新しい居場所になるのは

その『発想上』『あり方』の延長として、

なのです。

 

そのままの自分でそこに居続けることは

しがみ付くことと正反対。

 

しがみ付いている時はとても苦しくて怖いけど、

手を放してみたら案外その場で漂っているだけ、

などということになります。

 

それがわかると、

肩の力が抜けて変化が始まります。

 

ー今回の表紙画像ー

『海上の月灯りの道』

写真を整理してたら、ちょっと前の良い絵が出てきた。