生き心地の良い町;この自殺率の低さには理由がある

書評

1.要約

徳島県の南部にある海部町(現海陽町の一部)は、わが国でも極めて自殺率の低い『自殺“最”希少地域』である。周囲の田舎町と同じように、豊かな自然と温暖な気候に包まれ、過疎化が進んでいる、そんなどこにでもある地方のとある町。この町だけが周囲に比してさえ、突出して自殺率が低い。そこには理由がある、と、町を訪ねる回数を重ねるにつれ、確信するようになった。

 

日本のみならず世界で研究されている自殺予防というテーマでは、そのほとんどが自殺率の高い地域と自殺危険因子を取り扱っていた。これに対して、過去に研究例が極めて少なく取扱注意と考えられていた『自殺希少地域』をここでは研究対象として選択した。その対象として取り上げたのが、この海部町である。

 

紆余曲折を経て、町に何度も出向き、なぜ自殺が少ないのかの仮説を立てては検証を行った。そして、様々な工夫を凝らした末に得た結論は以下の通りだ。

自殺危険因子、つまり自殺の危険を高める因子 - 健康問題、生活苦、経済問題などは、自殺の少ない町でも少なくない。他の地域と何ら変わりはなかった。

反対に、自殺多発地域では微弱な要素、つまり以下のような自殺予防因子がある。

  • いろんな人がいてもよい。いろんな人がいた方がよい、という考え方。
  • 人物本位主義を貫く。縁故よりも能力主義。
  • どうせ自分なんて、と考えない。
  • 病は市に出せ。
  • ゆるやかにつながる。

 

町を歩くたび、生き心地の良さを具現化するこれらの事例が随所にみられた。

赤い羽根募金を拒む一人の男性が言う。

「あん人らはあん人。好きにすりゃええ。わしは嫌や」

特別支援学級の設置に反対した議員は言う。

「世の中は多様な個性を持つ人でできている。一つのクラスの中にいろんな個性があった方がいい」

 

町の人々は、他者に関心があり、著者のような新参者が町を歩くと、噂話に取り上げられる。しかし、決して監視はしない。

そして、何かにつけてやり直しのきく生き方ができる。次があるというのは、立ち直る機会があるということでもある。

 

悩みの相談の働きかけは、行動に移せる雰囲気、肯定性自体が地域にあって初めて有効となる。それらを誰もが言葉ではなく態度で示している。かつて、地縁血縁の薄い共同体であった海部町が、いかにして生活を脅かす危険を回避するか、被害を最小限にするかを考え、行きついたのが、弱音を吐かせるというリスク管理術だ。鬱の受診者は海部町の住人が最も多いという医療機関のデータもそれらを裏付けている。

住民は、人懐こく、卑屈さがなく、世事に通じ、機を見るに敏で、合理的で、損得勘定が早い、生活していく上で賢い人々である。

 

人々の生活、関係性を育む一つに、地理的な特性がある。

著書では、そういった影響の調査結果をも報告している。

影響の大きい順に、可住地傾斜度、可住地人口密度、最深積雪量、日照時間、海岸部属性となる。可住地傾斜度が急になると、人どうしの往来、交流が非常に難儀なものになる。ちょっと近所の人のところへ出向く、といったことがやりづらくなる。それが、問題を自分の中で考え、解決する、という町の生活での性癖を根付かせる。つまり、地理特性そのものが直接的に及ぼす影響よりも、こういった特性が形作る忍耐性や克己心などの間接的な影響が大きい。

もちろん、地理的特性などといった、すぐに住環境を変えられるわけでもないものをもとにした解析など意味がないという意見もある。しかし、大切なことは、気質の問題だ。声をかけあったりするとき、そういった気質の人々であるということを踏まえて行うことで、海部町のようなやりかたできるはずである。

 

そういう“声掛け”ができる場所として、町には、人々が集う、共同洗濯場、縁側などの『サロン』がある。寄合所もある。これらの場所は、“互いに”身近な人々の状況を知るのに役に立つ。

 

ここまで述べてきたような自殺予防因子について、何でもかんでも海部町をマネする必要があるわけではない。先に挙げたとおり、それぞれの町や地域に特有の人々の気質、文化があるのだから、個々の事情に合わせて良いとこ取りをすればいいのだ。例えば、「どうせ(自分なんて)」という何となく口にする言葉。この自分を卑下し、無力感をもたらす言葉をやめることはできる。

 

自殺予防には通説がある。『強い絆』と『人のつながり』だ。これらの言葉がもたらすイメージは地域によって異なる。海部町では、必要十分な援助を行う以外は、淡白な付き合いが維持されている。一方、自殺多発地域では、緊密な人間関係と相互扶助が定着し、外に対しては概して排他的である。

通説の言葉には思考停止をもたらす副作用がある。例えば、ある中学生の自殺をきっかけに教育現場の議論で出てきた『命を大切に』という言葉。ではその少年は、命を粗末にしたから自殺したのか。命を大切にする教育がなされていれば死なずに済んだのか。そう自問した末「問題の本質はそこではない」という結論にたどり着く。そこには思考停止に陥った末の言葉の適用があるのではないか。

 

意外なことに、三段階評価(幸せ・どちらでもない・不幸せ)の結果、幸せと感じている人々の比率では、海部町は他の地域より低い。というより、周辺地域の中で、幸せと感じる人の割合が一番少ない。その代わり、どちらでもない(幸せでも不幸せでもない)という人の割合は他の地域よりも高い。

「ほれが自分にとってちょうどええと思とんのとちがいますか」そんな海部町住人の言葉もある。

そしてもう一つ。不幸でないことに意味がある。これと関連するのか、海部町の人には、執着心が感じられない。艱難辛苦を乗り越えて、というイメージがわきづらい。

幸せは、病気や経済問題で簡単に危機に陥る。そんなこんな局面で無意識に発動される思考様式、行動様式こそが日ごろの幸福感よりも重要である。

 

2.著者について

岡檀(おかまゆみ)氏については、この本でほぼ初めて知るに至った。

本著書の最初の方には、今回の研究に行きつくまでの経緯の概略が記載されている。それによると、従事していた看護の職を離れ、慶応義塾大学健康マネジメント研究科にすすみ、地域の社会文化的特性が住民の精神衛生に与える影響を知りたいという以前からの考えから、今回の研究活動に入ったという説明がある。インターネットで検索したところ、現在、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにおいて、健康マネジメント研究科の特任准教授をされておられるようだ。

2013年に出版された当著作以外に、分担執筆として2015年と2016年に出版された著作が2冊ほどある(https://k-ris.keio.ac.jp/html/100013479_ja.html)ことが確認できるが、特に執筆をメインに活動しておられるわけではなく、論文の発表が多く見受けられる。

このような素晴らしい成果を出される方が教鞭をとっているのであれば、慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパスに通う学生たちの中から、その次につながる人材が輩出されることが期待できるのかもしれない。

 

3.気づき

1人は未遂で済んだものの、肉親が2人自死を図ったことは、私自身を苦しめた。心理カウンセリングを学び、資格を取得する原動力にもなったし、自死を防ぐ方策を述べている情報が目や耳に入ってきたりすると、ひとりでに手や足が動いてアクセスすることも少なくない。

 

自死=自殺は誰にとっても起こらないでほしいことだ。

養老孟司氏はいくつかの著作の中で、自殺で一番苦しむのは自殺した当人ではなく二親等の人々だという。

その通りだ。

私の言葉でもう少し付け加えるなら、私たち一人一人の体は過去に口に入れたものが血肉となって構成されているように、生まれ育つ中で接してきた人々との関係性・交流で生じた喜怒哀楽、信頼や不信、親しさや愛着を心は血肉として宿している。それはその後の人間関係に色濃く反映され、私たちの人生に影響を与え続ける。この愛着感、自らの心身との一体感の主要な一部が、前触れもなく、強制的に断ち切られるのが、肉親の自死という出来事だ。突然、手足を切り落とされることを想像すれば、その凄まじいまでの苦痛と唐突に変化する世界観や人の見方などが、どうしてもその後の生きづらさを助長してしまうものだ。

 

そういう意味で、少しでも自殺を低減するための試みとして、町という環境を一つのくくりとして、その中で生きる人々の関係性を報告した本著作は、実は単に自殺防止の話にとどまらず、何らかのコミュニティに所属する各人にとって居心地の良さ、生きやすい環境とは何かを問いかけている。さらに言えば、都市部のようにコミュニティの崩壊が語られて久しい場所で生きている単独世帯にとっての、新しい考え方・行動の在り方の示唆にもなっている。

 

私たちは、兎角、自殺の原因をある固定的な人の関係や職場の中に求めがちだが、それはあくまで一要因に過ぎないし、またその原因なることは誰にでも起こりえる。

そういう意味では、そもそもの生きやすい社会=居心地の良い社会の在り方とはどういうものかについて、現代を生きる私たちが今一度振り返り、組み立てる必要性を感じる。それも、単に行政のかかわり方という観点のみならず、民間としての個人や一団体ができること、という意味においてである。

結局のところ、人の集団を作り上げるのは人であり、人は住環境や労働環境によって自分という存在が大きく影響される生き物でもある。集団として生き残るべく、食料と居場所を確保するために、いくつもの無理に無理が重ねられたようなことが行われた過去も多々あっただろう。だが、ある程度の衣食住の保障が成立する現代において、本書のような観点から組織の在り方、人の関係性の在り方を再構築する試みというものを、どのように組み立てたらよいか、という思いが湧き上がる。そこに暮らす人々の“最適化”を町単位、村単位で実行しようと考えたとき、一般的にあまり良いと受け止められていない弱音や困りごとなどの本音を誰もがごく自然に外に出せるようにする町の人々の関係性と考え方に帰結させることは、現在福祉国家が行っているケア・セーフティネットがそもそも特別なものではないことを示しているように思う。同時に、緩やかな関係性こそが自殺を予防するということは、つい親密な人の関係性に追われがちな私たち一人一人が、少しばかり寂しさに対する耐性を必要とするように感じられたのは考えすぎだろうか。

 

4.おすすめ

本書は、もともと別の著作『この島の住人は人の言うことを聞かない』(森すいめい著)で知ったことがきっかけです。彼(彼女?)もまた精神科医で、同じような悩みに直面していたときに、岡氏の著作に巡り合って新しい考えを吸収したと言います。

そんな環境のことを言われても、今を悩む人が、単身でおいそれと変えられる話ではないと思われるかもしれませんが、本著作の中で岡氏が述べておられる、良いとこ取りをすればいい、というのはまさにその通りだと思います。

自殺予防と生き心地の良さは分けて考えられることではなく、私たち誰もが関心を持つことで自分にとっての良い人生を歩むヒントを与えてくれています。それを平易な言葉と構成とで述べている本書は、研究者にして医療看護の立場から、私たち一般人が理解し、賛同しやすい全体像と取り組み方について教えてくれているように思います。

生き方に迷い、生きづらさに苛まれている多くの方に読んでいただきたい本です。