仕事も人間関係もうまくいっていない、
自分の生き方に自信があるわけでもない、
うまくいっていないとき、
どうしようもなく落ち込んでいる時、
他者から正論の攻撃を受けたり、
ミスが重なったりすると、
何をしてよいかわからなくなってしまう
ことはないでしょうか。
焦りや怖さや苛立ちばかりで
占領されてしまった頭と体を、
少しでも良い方向へもっていこうとして、
To doリストを作ってみたり、
自分を勇気づけようとしたり、
してみるのだけど、
そもそもの自分という塊自体に不信を抱き、
自分自体不安定になってしまっているので、
有効に作用した実感が欠片も感じられない、
そして、
自分には足りないものがいろいろとある、と
頭の中で列挙し出して、
これじゃうまくいかないという結論を
自分に対してダメだしするように
与えてしまう。
何年もこの理屈で日常を生きていると、
まるでそれこそが自分の生き方に対する
“正しい見方”のようになってしまって、
いくら変えようとしたところで、
その“正しい見方”なるものが
感情の骨格や筋肉の一部のようになって
どうしようもなく感じていたりする。。。
もしあなたがこの感覚を持っているならば、
その根本的な理由について
具体的に掘り下げたことはあるでしょうか。
★
あなたに足りないものがあるとしたら、
非常に月並みですが、
自分を信じること、
これに尽きるのではないでしょうか。
意外にイメージされていないこととして、
今、
暗く、苦しく、重く、暗闇を彷徨っているような
人生を
「明るく、楽しく、気持ちよく」すること。
そんなことは、
今の自分には絶対にできない、
そう思い込んでいたりしないでしょうか。
心の持ちようなどと言ったところで、
それは今ちょっとうまくいってない人とか、
大抵のものが揃っている人とか、
もとからそういう性格の人とか、
そんな人たちだけにできることだと
思っていないでしょうか。
ここでいきなり
「そんなことはないですよ」
などと言うつもりはありません。
かく言う私自身が、
長くそんな思いに囚われて
人の中に身を置いてきて、
「何かをすれば」
そんな人生が与えられるものだ、と
考えて、
「何か」とは何かを
必死になって探していた時期が
ありました。
でも、
その「何か」とは、何か、ではなくて、
自分自身が「明るく、楽しく、気持ちよい」
日常を実践すること、
例え、
嫌な人がいたり、
嫌なことがあったり、
自分の至らなさに挫けそうになっても、
ほんの少しずつでいいから、
そんな心持ちを描き、
身体に宿す場所を与えることだ、
そう察したときの、
拍子抜けするような感覚と共に
実践を始めた時のことを
昨日のように思い出します。
もしあなたが、
そういったことさえ察することができないほど
自信を失うことになったとするならば
本来無理なものに対して、
『できる』『やるべき』と背負い込んで、
結局その無理を達成できなかった、
それ故のことではないでしょうか。
例えば、他者と過去を変えようとすること。
もし、
大人である他者の人生、幸せの責任を
あなたが背負っていたとするなら、
もし、
恥ずかしかったりみっともないと感じていた
あなたの過去を消してしまおうとするなら、
それは時間も空間も超えて、
今のあなたに振り払えないほど
執拗にまとわりつき、
あなたがあなたに対して感じていた
あなたの能力を削いでしまいます。
あるいは、
強制的にその能力を機能させるスイッチを
オフにしてしまうと言ってもいいかもしれません。
こんな状態で自分を信じようとしても
きっと難しいでしょう。
必要なことは、
自分の苦しさに正直になって
真摯に棚卸しをすること。
何が本質的におかしかったのか、
自分ができることはどこまでなのか、
なぜここまで追い詰められた感覚になるのか、
などを洞察し、
『哀しい』『寂しい』という感情に戻すこと
だと思います。
★
身体(心)の中に渦巻く負の感情には、
焦り、苛立ち、怒り、嫉妬、恨みなどがあって、
私たちを苦しめます。
かといって、
それらを感じるのが苦しいからと抑圧すると、
今度は抑鬱的になったり無気力になったり
という症状が起こります。
よく言われるのは、
目の前の出来事さえ、すりガラス越しに
見ているような感じになるということです。
これらの感情、症状は、抱えきれないまま
処理しきれなかった『哀しさ』『寂しさ』が
形を変えてあらわれてきたものです。
だからまずは『哀しさ』『寂しさ』に戻して
しっかりと寄り添ってあげてください。
それもしないまま、自分を責めているうちは、
日常は地獄のように感じられるかもしれません。
地獄などと言うと、
大げさに聞こえるかもしれませんが、
歓びや楽しさ気持ちよさに乏しく、
愛着や愛情を感じられない日々は
ゆでガエルのようにあなたを蝕んでいきます。
こんな状態にある人によっては、
知らず知らずのうちに
周囲に正論をぶちまけながら、
あたりちらしている、などということも
ありえなくないことです。
もったいない時間の使い方では
ないでしょうか。
モノや資格という意味では、
何かがあったらうまくいく、
ということはありません。
正確に言えば、
自分を信じられるようになる過程で、
必要に応じてそれらを得る機会が
必ず訪れます。
そういう意味では、
私たちが自分を信じること以外に
足りないモノはないと思うのです。
★
自分を信じることは、
言葉にするほどたやすいことでは
ないかもしれませんが、
本来責任を取りようのない
大人である他者の人生、幸せや
変えようのないあなたの過去に縛られて、
自分の意思を働かせて動くことが
できない状態は、
変えていきたいですね。
自分を振り返り、自分を苦しめていた
感覚の正体を知るのは、もしかすると
一人では難しいかもしれません。
一人というのは孤独という以外に
誰かと共にあるという感覚を無意識の中に
感じずらいものだからです。
私たちが自分を
他の誰でもない自分自身として
知らない間に感じるためには、
今現在の中に、
誰か他者がいる方が望ましいことは
強調したいことです。
いずれにしても
苦しんでいて身動きが取れない
今のあなたに必要な唯一のことは、
自分を信じること
そのために、今現在の他者を求めることも
付け加えさせていただきます。
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ー今回の表紙画像ー
『薩摩富士』
知覧に向かう途中の指宿スカイライン展望台より。
鹿児島は予想以上に自動車道路が敷かれていました。
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