前回もお話ししたとおり、家族がおかしくなってしばらく苦しんだ後、心理の知識を学んで視界が開けた気になったことがありました。この頃、上司と折り合いが極めて悪かったこともあり、会社を辞めて新しく心理の仕事をしたいと考えていました。自分で自分の中に放置された荒れる自分を理屈で強制的に納得させ、それで解決できたと思い込んで頭でっかちになっていた頃のことです。
その後、父親の自死を経て、理屈寄りになっていた、人や、心理や、世の中の見方が自分の中で変化するに従い、自分にはこの分野、つまり心理やメンタルの領域で何か貢献することはできない、してはいけない、と思うようになった時期がありました。もちろん、精神的に落ち込んでいたという影響があったのは間違いありません。ただ、自分が、自分のような青二才の若造が、人様に対して目に見えない何かを与え、場合によってはその人の新しい人生を一緒になって切り開くなどという、そんな畏れ多いことができるはずもない、そう思っていました。
今にして思えば、何をどこまでできる分野のことなのかについて、ある種の正解を含んだ解釈ではあったわけですが、一方で自分という存在に対する解釈の不足が招いた思い込みも含まれていました。
心理カウンセラー、セラピストに限らず、人が問題にはまり込んでいる他者を助ける、救うためにできることとはいったいどのようなことなのでしょうか。こんなときはこうする、といったマニュアルがあるわけではありませんが、苦しんでいる人を助ける、特にその場だけでなくこれから先も同じ問題に陥らないようにするためにできることとは、俯瞰してみたとき、いったいどのようなことになるのでしょうか。
私自身は、本質的には愛・関心を持つことだと考えています。
つまらないというか、そんなことしか言えないのか、と思われるかもしれません。
しかし、ほんとうに、それ以上でも以下でもない。
手を貸したり、笑わせたり、慰めたり、愚痴をきいたり、激励したり、時には厳しいことを言ったり、いろいろとあるでしょう。ロールプレイやヒーリング、認知行動療法をクライアントに提案する場合もあるでしょう。
ですが、一つ一つの言動の是非は脇に置き、その本質は、目の前の相手に対して、愛・関心を持つこと、持ち続けること、これに尽きると思うのです。
こう書いてしまうと、冷めた感じ受ける方もおられるかもしれません。
それでも、好悪の情を含め、感情を率直に感じつつ、素の相手を受け止めながら、彼は・彼女はどんな人だろう、何を考えているのだろう、どんな人生を望んでいるのだろう、などと関心を持ち続ける。それ以上のこと、例えばカウンセリングの技法などはたいせつではあるけれど、ごく付随的なことに過ぎないように思えます。
おそらく、それ以上の“何か”を与えようとしたところで、ほんの一時、効果があったとしても、当人の恢復、かけがえのなさを蘇らせる上では実は些細なことに過ぎなかったり、どちらでもよかったりするものです。
だからこそ、クライアント自身による気づきの必要性が随所で唱えられてもいるわけですし、来談者中心療法などというものが提唱されたりもします。
働きかけたことが自分と大切な人を良くしたり、救ったり、時には将来の希望のために苦しめてしまったりすることがあるかもしれません。あるいは、良かれと思ってやった働きかけの意図が伝わらず、やはり相手を苦しめてしまうこともあるかもしれません。
それでも、やり方、アプローチは考えながらも、本質はやはり、愛・関心を持つことだと思います。決して専門家だけの領域の話ではなく、家族をはじめとするあらゆるところで成り立つことではないでしょうか。
では、人生に行き詰まり、苦しみ、混乱して目の前にいる愛おしい他者に対する私の関心とは何なのでしょう。私自身が他者である皆さんに対して、通り一遍の説明をする教科書にはない、もっと琴線にふれ、もっと欲する生き方を提案できる方策というものはあるのでしょうか。そう何度か自問自答したことがあります。
結局のところ、それは、自分独自の経験や感性から湧き出てくる言葉を紡ぐことにつきる、そしてそんな形で伝えられた関心こそが、皆さん自身を勇気づける感情を芽生えさせる可能性を与えると考えるようになったのは、肉親の自死による混乱とダメージを専門機関で対処してきた後のことでした。
誰が、も、誰に、もない。当人が持っている資質を最大限にいかしてその人自身のために生きていけるようにするためには、自分がそうであった「事実」とその時に信じていた「想い」、それらを専門的な知識と併用して、自分の言葉で誠実に語るしかない、ということです。
今回は、カウンセラーとしての心構えみたいな話になってしまいました。
ですが、述べたかったことはそういった話ではなく、専門如何を問わず、皆が日々できる、そして実施してほしいことです。難しくはないけれど、忘れてしまうことは多々ありますから。
ー今回の表紙画像ー
『紫陽花が花をつけ始めた』
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