成長って言うな

日々の棚卸

時折このブログでも使用する

『成長』

という言葉。

これまで発信した記事から、

『成長』

という言葉を含むものを検索してみたら、

14記事出てきてしまった…。

誰だ、この標題つけたのは…。

 

『成長』は大切です。

成長とは変化のことであり、

納得した人生を歩むためには

ほとんどの人にとって必要なことです。

変化が結果として訪れること、

あるいは自ら促すこともですが、

それは求めることではあっても

否定されることではない。

 

成長という意味での変化は

痛みを伴うこともあるけれど、

成長しているときには

その意味を潜在意識は理解しているもので、

ただそれでも

「なんでこんなに苦しいのだろう」

とか思いながら、変化していきます。

 

なのに、ここでは

「成長というな!」などと言っている

ほんと、どの口が言っているんでしょう。

 

繰り返しますが、

成長も変化も大切です。

大賛成です。

でも、この言葉に限らず、

もっともなことを言っているとき、

その前提を無視しているときがある

ように思えます。

自分はできていると思い込んでいると、

他者もまた、

無条件にできて当然と考えてしまう。

今回は、そんな自分へのいささかの

揶揄と反省を込めて書いています。

 

つまり、

 

成長?

変化?

ごもっとも。

 

それでは、なんかわからないけれど、

そうやろうとすると何故だか萎えてしまう、

そんな人はどうしたらいいのでしょう、

 

気合が足りない?

本気じゃない?

人の話を聞いてない?

 

…そんなわけないでしょう。

 

よーく振り返ってみれば、

私にはそんな時期がありました。

受け付けないのです。

理解できない。

心が拒否する。

でもなんか知らないけど、苦しんでいる。

そんな意味です。

 

今は素直に変化する自分を喜び、

受け入れることができていますが、

そんな今であってもやっぱり

変化を試みようとすると

萎えてしまったり、

反感を持ったり、

胡散臭いと感じていたりしていた

当時の自分には共感します。

 

私たちは、

人にはわからない、

人には言いたくない

(と思い込んでいる)

事情を抱えているからこそ

苦しみます。

あるいは、

その事情に対処する場所や

方法を知らないからこそ苦しみます。

孤立しがちな私たちの抱える問題は

実際には共有可能なことが多くて、

その対処方法は、

解決するというのではなく、

その問題との付き合い方というか

痛みをかわしながら接することで、

苦しいなりに人の中で

自分と仲良く過ごすよう試みることです。

でも、やっぱり難しい。

そのとき、

自分なりに変化のための土壌を

準備せざるを得なくなるのです。

 

すぐ行動できない。

うまく話せない。

自分を卑下する。

 

そんな自分を受け入れて変化をするためには、

まずスタートラインに並ぶ必要があります。

正確には、

スタートラインというのはないのですが、

とりあえずそう表現させて下さい。

そのスタートラインとは、

それは、当人が苦しみの中で

悩みながらたどり着く場所で、

気が付いたら変化が始まっていることを

実感し始める場所でもあるのですが、

そこに至る前に何でもかんでも

成長と言えばよいものでもないのです。

 

受け入れる肥沃な土壌がない状態で

そんなこと言われても、

吸収されることなく漏れてしまうだけ。

もし、成長が必要だという人に

素直に「萎えてしまうんですけど」

と告げたところで、

頑張って始めよう、

とか

必要なことなんだよ、

と言われてしまうかもしれない。

そんなことは、わかっているんです、

それが成長を促された方の、

でもなかなか動き出せない方の、

率直な気持ちで、

そこに理解がないと、

正しい行動教室みたいになってしまう。

もっとも、これは裏を返せば、

心と体がついていかない人たちは、

解を得るヒントになるのかもしれませんが。

 

ほんと、成長って何でしょうね。

必要だと最初に言いましたが、

どう必要なのかなと

理屈に走りかけると迷ってしまう。

結局、

かけがえのない自分を生きる上で、

この世の中と折り合いをつけながら、

言い換えれば世の中に反応する複数の自分と

折り合いをつけながら、

それでも納得と満足のいく日々を

歩めるようになること、

それが成長なのかなと思います。

だから成長とはきっと、

外的な変化でもなければ、

社会的な地位の変化でもない、

心がタフになることもなければ

男らしさ、女らしさに捉われることでもない。

収入が上がることでもなければ、

表面的な付き合いの幅が広がることでもない。

ただ、あるがままの自分を随所で知り、

受け入れ続け、

生きていくことに他ならない。

 

今の自分を丸ごと受け入れるということは、

あらゆる自分に自分の中で存在することを許容し、

それらの自分と仲良く生きること、

言い換えれば、成長とは

成長してようがしてなかろうが、

分け隔てなく自分を受け入れ、つながること

ではないでしょうか。

 

なんか禅問答みたいですが、

率直にそう思います。

 

自分の中で自分にしか

わからない事情に向き合って、

自分に必要なステップが何かを

見出すことは

その人にしかできないことなのです。

実は、成長とは

スタートラインのあるものではありません。

矛盾してますけどね。

 

自分にとって次に必要なことは何か、

ただそれだけを意識してみましょう。

 

ー今回の表紙画像ー

『ビル街の夕陽』