群れと一人

日々の棚卸

人は群れを作る生き物である、といいます。

群れとは集団ですね。

集団の構成は、

会社のように仕事でかかわるもの、

友達、

近隣の生活空間、

趣味/スポーツなどいろいろとあります。

 

人間以外だとどうでしょう。

パッとヌーの群れが思い浮かびました。

バッファローもあります。

次にイワシ。

それからウグイ。

ウグイは微妙にマニアックですね。

草食動物や小型の動物、回遊魚などは

基本的に群れを作る場合が多いようです。

ミツバチなどは該当するのかな。

群れる理由は、

集団でいることが生命の安全に寄与する、

つまり敵を探知するアンテナの数を増やす、

個々の個体が襲われるリスクの回避

いわゆるしっぽ切り、などだそうです。

種の保存と個体保存の双方の実行を、

その種ごとに最も良いやり方で選択する

ようになったということでしょうか。

 

私たちもまた、人が集団になって行うことの

メリットを見出して、“群れ”ています。

では、メリットとは何か。

会社を例に考えてみると…。

・規模の経済

集団、特に大きな組織は体力的に有利。

安定した経営と雇用が期待できる。

余力が得られやすい。

・専門性

各自が得意な部分の力を出し合って

弱点は相互に補完

つまり、

糧のもととなるお金を得るため、

特別に秀でた才能を開発しなくても、

できるだけ多くの人が生きていけるように

するための、

効率的な方法として集団があるわけですね。

家族もまた集団の一つですが、

歴史学者のエマニュエルトッド氏によれば、

家族は、大家族化が最も新しく、

核家族は最も古い形態だと

言っておられます。

 

時々登場してもらうマズローさん。

彼の5段階欲求説から、

集団でいることのメリットを

前述のように考えれば、

生理的欲求と安全の欲求を満たすこと

ができる、と言えます。

会社だったりすると、

他の3つも満たす部分がありますね。

家族でも同じかな。

 

集団が苦手な人は結構います。

日本人は仲よく集団で働くのが好きだ、

と評する外国人もいるけれど、

それはずいぶん偏った見方だと思います。

人間はそうそう変わりはしません。

ただ日本人の場合、

長く一つの島で暮らしているせいか、

大勢で集まって何かを継続するときの

関係維持の術は体得していることが多く、

それが自己主張の仕方や

それとない察し方に表れている

のかもしれません。

 

寂しさや無力さから群れること、

これはよく見られます。

トイレに連れ立つ女の子たちを

そうだとは言いませんが、

家庭がおかしくなった家の少年少女たちの

夜の行動は、

夜回り先生の本を読まずとも有名ですよね。

それは子供たちに特有な現象かといえば

もちろんそんなことはありません。

会社だって、隣近所だって、

率先して群れている人、

群れることで何かの感情に蓋をしている人、

何かを見ないようにしている人は

たくさんいます。

 

かつて、元東京都知事の石原慎太郎氏は、

何の本だったか忘れましたが、

群れることの効用を語り、

若い人々が群れを作る能力を持つことの

重要性について主張し、

志ある仲間が集まって大事を成し遂げることの

大切さをそこに重ねていました。

一方、不登校児や中途退学生を受け入れる

私塾を経営する大越俊夫氏は

「無力だから群れるんじゃない。

群れるから無力になるのだ」

と言って、

やたら群れることへの警笛を発しています。

強さ弱さをある尺度で解釈すれば

そう言えなくもありません。

氏が伝えたいことは、

無力になる、というより、

力が開発されないために無力のままなのだ、

ということなのでしょう。

無力とは言わないまでも微力な人が、

その微力さ故に社会に怯えて群れるから、

その群れで仮初めの安心をもらって、

いつまでたっても自立しようとしない、

という意味だったと思います。

個人的には、人間誰しも微力だとわかれば、

それもまた勇気に変わると思いますが。

 

本当に心身が弱っていると、

群れようにも群れる気力がない、

群れること自体に怖さをおぼえてしまう

という人のことが語られるのは、

どうも前述の世界にはなく、

カウンセリングとか

精神医療の領域のみのようです。

 

群れる効用、

群れない効用

群れから離れる効用、

それぞれあると思います。

もちろん弊害もあります。

どれがいい、ということではありません。

向き不向きもあるでしょうし。

ただ、世の中の悩みのほとんどは、

群れに所属することに関している、

と思います。

どうにもなじまないはずの集団に

ずっと居続けるということは

そこに居たくないという切なる願い以上に

そこに自分が留まらざるを得ないと

自分自身に思い込ませるだけの

モノの見方・感じ方・世界観が

記憶感覚に染み入っているのでしょう。

 

そういった自分を含め、

自分を受け入れる作業の継続は、

自分が快適と思える場所を求めて

行動を始めることに寄与し、

変化を促すようになります。

 

One for All, All for One

という言葉があります。

「一人は全員のため、全員は1つの目的のため」

という意味です。

集団とソロとは

目的に向けて何をどうするにしても、

立ち位置が違うだけです。

 

集団と抑うつ性は相性が悪いことが多く、

これは、

『群れ(集団)』と『人のつながり』を

混同してしまっているから

起こることでもあります。

仕事の場などでは、

特に顕在化しうる状況ですね。

 

私の場合もそうでしたが、

それ故に

集団を抜け出すというイメージで

ソロの活動を目指すと、

ある所まで行ってから

はて自分は何がやりたいのだろうと

行き詰まることがあります。

集団か一人かの選択の前に、

自分が望んでいるものを

ぼんやりとでいいから描くことが

大切な理由がここにあります。

自分の望みを知ると、

それに向けて進む原動力が得られて

では次にどうやって実現していくか、

というステップで群れ方を決めると、

集団とか一人とかに

あまり悩まないようになります。

もちろん、

やりやすさ/やりにくさはあると思います。

でもその時には、

自分が進みたい方向が見えているのだから

その方向に向けて、より楽なやり方を

選択すればよい。

 

そういうわけで、

群れの良し悪しの決着を

それとなく想定しておられた方、

ごめんなさい。

群れも一人も使い方次第です。

 

最後は少し働き方の話になってしまいました。

結論はいつもと変わらないけれど。

群れそのものを見ていても、

そこに変化はありません。

自分がなぜそれを求めるか、

正直に問い続けることです。

 

ー今回の表紙画像ー

『相模川支流 茅ヶ崎 満月』