感謝も能力。
能力は磨けば光る。
感謝の能力はそんな一つ。
それも、
ノーベル賞を取ったり、
総理大臣になったり、
上位0.1%の大金持ちになったり、
そんな特別な能力ではなく、
自転車に乗れるようになったり、
泳げるようになったり、
朝早起きできるようになったり、
そんな誰にでもある能力です。
もっと言うなら、
それは痛い努力で身に着けること
なんかではなくて、
日々の繰り返しの中で、
自然に身に着けられる
とても穏やかな感覚です。
感謝ができるということは
長所でもあります。
莫大なお金や
社会的にとても高い地位のような
ある種の利益や名声には
直接つながらなくても、
日常をささやかながら豊かにしてくれます。
そして、
豊かさも充実も、
そんな『無意識的な』気持ちの
集積の上に実現されます。
で、感謝ってそこまでして必要なの?
そうおっしゃる方もおられます。
感謝しないといけないの?
感謝すると何がいいの?
なんで感謝の話?
そんな長所とかで、
日常をささやかながら豊かにするよりも
嫌なこと忘れさせてくれるような
ドカンと笑わせてくれて、
楽しませてくれるような
そんな時間をもらえる方がいい。
そんな方もいらっしゃいます。
気持ちはわからなくはないけれど、
おそらく、意味を取り違えてる。
ドカンと笑わせてくれて、
楽しませてくれるような時間が、
嫌なこと忘れさせてくれるために
ほしいというのなら、
その時間が終わればまた、
束の間、笑いで隠された嫌な現実が、
また目の前に見えるだけ。
それをわかっていて、
その現実に取り組みながら、
息抜きとして笑いを求めるなら、
それはそれでいい。
ちょうど折よく、
求めた笑いが得られるかどうかは
わからないけれど
自分にとっての問題がはっきりしていて
その合間に自ら求めるのなら
それもいいでしょう。
でも、
嫌なことを忘れさせてくれるために
楽しませてくれるような時間を
与えてほしいのなら、
それはきっと、
望んだ人の意に反して、
当人をますます苦しめることになるだけ。
楽しむことには
気持ちよくなることには、
嬉しくなることには、
感動することには、
資格もいらなければ、
御大層な刺激も必要ありません。
感謝の気持ちが、
いつしかそんな感情に
つながっているんです。
与えられるべき、と思っているうちは
ここに気づくことができません。
あるはずのものを、
ない、
ないものを、
ある、
と勘違いしているのだから。
感謝するということは、
理屈で納得するものではありません。
圧倒的に、
自分が今ここにいること、
いられること、
人がいること、
平和であること、
もっと言うなら
それでも、生きていること、
そういったことへの感動から
湧き出てくるものです。
その感覚は、
怒りや憎しみ、
ことに自分を攻撃して蔑んでいるうちは
全くもって気づくことができません。
それらの感情が
感謝をする能力にふたをしてしまうから。
感謝の気持ちとは、
自分の状態を知るための
大切な指標でもあるのです。
今、あなたは
生活を、
人生を、
変えたいと思っていますか。
まあ、自分の人生はこんなもんだ、
さして大成功というわけじゃないけれど、
それなりに上出来なんじゃないかな、
という方はきっと、
そのままでもいいと思うのです。
何かに感謝している、
あるいは
何かといつも一緒にある、
そんな無意識の感覚も手伝って、
自分がその中に包まれていることに
ほどほどに納得しているはずだから。
でも、
かつての私がそうであったように、
多くの人が、
何らかの感じたくない感情を
“恒常的に”感じていて、
何とかしたいと思っています。
仕事や、
お金や、
人の関係や、
生き方や、
そんな自分自身が生きる時間への納得感を
大きく損なわせる感情が、
これからの自分の可能性までをも
蝕み始めていることを、
心のどこかで察知している。
すると、
“何か”おかしい、
何が足りないんだ、と、
今度は不足を探し始めます。
不足は当然、
仕事や、
お金や、
人の関係や、
生き方のどこかに
潜んでいるはずだ、と
ありもしない“何か”を血眼になって
あちこち探す。
無理にでも見つけようとする。
そして、
不足は悪者なのだから、
その悪者を何とかしようとする。
不足は
湧き上がってくる感情であり、
できない自分であり、
世の中であり、
目の前の誰かであったりします。
そうやって、
攻撃を始めてしまえば、
もう、地獄の始まりです。
ただでさえ苦しみの火で燃え盛って
苦しんでいた自分に
さらなる油が注がれ、炎が舞い上がり、
地獄が拡大していきます。
最後は、
自分を追い詰めてるところまで
追い詰めてしまう。
……
なんだ、
やっぱり、
ぐるりと回って
苦しみを自分で
大きくしてしまったんじゃないか。
繰り返します。
感謝は理屈ではありません。
でも、
感謝が必要なこと、
それを妨げているのが
そういった自分であることを、
最初は頭でしかわからなかったとしても、
意識するようになれば、
本当に足りないことは
今そう思っていることではない、
足りないことなどない、と
知らなかったこと
気づかなかったことが
自分にとっての足りないことだったと
気づき、
ゆっくりと満たされる。
そのトリガーであり、
作法であり、
ヒントが、
あなたにとっての感謝の心です。
無理やり、感謝ぁー、とやっても
それは感謝じゃありません。
自分の本来の望みとかけ離れたところで
あぶくのような何かを
追い求めていることをやめて、
足で踏みしめた大地と、
身の回りのささやかな存在に
気を配り、
自分が世の中にとって
そんなささやかで、
しかも大切な存在であることが
感じられたときに
必然出来に湧いてきます。
今回も、
拙ブログを読んでくれてありがとう。
感謝。
ー今回の表紙画像ー
『梅雨の雲』町に落ちてきそうだ…
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