感情のエネルギー

日々の棚卸

 

普段、1日3食しっかり食べている人が、

1食抜くととてもお腹がすきます。

当然ですね。

休日の朝寝坊で、

1日2食になるようなときであれば、

朝食?ブランチ?を抜けば、

もっとお腹がすきますね。

あまりに当然ですよね。

 

突然ですが、

私は釣りが好きで、

最近は若干回数が減りましたが、

夜釣りをやります。

単独釣行で、

半夜釣りで、

お弁当を持っていかないときという、

エクスキューズが付きますが、

ときどき、

夕飯が夜の10時とか11時、

時には、午前様になるときがあります。

子供が一緒だったりすると

そういうことは間違いなくないのですが、

大人だけの時でもたまにあるかな。

魚を釣ることに熱中して、

潮の匂いを胸いっぱいに吸い込み続け、

あっちのストラクチャ、

こっちのポイント、

などと歩き続けた夜は、

もう、ほんとに

腹が減った、なんて言葉では

とてもとても足りないほどに

お腹がすいてしまいます。

その辺のお店に駆け込むようにして

選択もそこそこに、

オーダーして目の前に出てきた

ご飯を口に入れ、飲み込んだ瞬間から、

まるで

四肢にエネルギーが吸収されていくような

感触に捉われたりします。

そんな急に行きわたるはずもないのですが、

手足の先まで、

エネルギー充填していくという、

そんな錯覚というか感じになります。

まあ、

釣りなんて言わなくても、

夜遅くまで働く方、それも若い方の場合、

夕飯を食べる暇がなかったりすると、

もっと凄い状況かもしれませんね。

 

突然ですが、

糖質制限というダイエット方法があって、

ご飯やパンやパスタや団子やケーキや

そういった糖質を摂取しないようにして

ダイエットを試見る方法があります。

 

私は普段から、

ジョギングもすれば、

筋トレもすれば、

自炊で野菜と繊維質の接種を心がけても

いるのですが、

自分の好みの味が作れるようになると、

糖質の摂取量も自然に増えてしまいます。

簡単に言うと、量は気にせず

お腹いっぱい食べていました。

もともと運動している割に

それほどしまった体つきでもないので、

微妙に気にはしていたのですが、

先だって、

糖質制限をしている友人と話をした折、

そんな触接喝の話をしていたところ、

「今大丈夫でも、

そのうち蓄積でドカンと来るんだぞ」

の脅しに屈し、

私もやってみることにしました。

 

これ、やってみるとよくわかるのですが、

制限があるところまでいくと、

パンが食べたくなって

仕方がなくなるんですね。

糖質の中でも、

精製糖質がよくないんだ、と

誰かの受け売りの言葉を耳にしていたので、

家にあるパン焼き機で、

栄養のある全粒粉100%のパンを焼いて、

その決して食感のよろしくない

ガシガシのパンを食べてみたのですが……

こ、これが、うまい!

体が慣れてしまったエネルギーを

取り込みたくなるんでしょうね。

 

ちなみに、

十年ほど前にプチ断食をして、

1日半を水だけで

過ごしたことがあったのですが、

その時は、エネルギーが切れかけたことを

実感したものです。

 

先の夜釣りの後の夕食の話もそうですが、

人の体というのは、

ほんとに摂取するエネルギーに

支えられていることを実感します。

自分が取り込んだ食物を変換して

人の体は生命を維持しているんですよね。

 

入れて、変換して、出す、ですね。

 

少し、学問チックな話をすると、

物理学では、

エネルギーの考え方・関係性を学びます。

アインシュタインのE=MC2

(E:エネルギー、M:質量。C:光の速度)

は有名ですが、

そんな数式を持ち出すまでもなく、

エネルギーとは物理的な存在のことだ

と考えていただくことで

話が通じるようになります。

物理的な存在とは、

ソフトウェアとか

思念とかではなく、

実態を伴う、という意味です。

風や電気やガスなどは

人の目には見えませんが

それぞれ知覚することができるので、

これらも物理的な存在です。

そうやって考えると、

先に挙げた、私たちの体しかり、

自動車、

海や川の水、

太陽、

火、

電気、

食べ物、

お酒、

木々、

ガス、

鳥、

日光、

体重……、

 

皆、エネルギーです。

 

重さはエネルギー、

スピードはエネルギー、

熱はエネルギー、

高さ(の差)はエネルギー、

“歪み”はエネルギー…。

 

動物も、

植物も、

大好きな彼も、

大嫌いなあいつも、

大切な娘も、

お隣で生まれた赤ちゃんも、

とんぼも、

カエルも、

イソギンチャクも、

ひまわりも、

クレヨンも、

キャベツも、

校舎も

道路も、

星も

そしてもちろん、

この私も、

みんなミンナ、エネルギーです。

 

私たちは、

エネルギーに囲まれて生きています。

 

これ、ほんとの話です。

数学的に表現だってできます。

やらないけど。

 

さて、

エネルギーとは物理的な存在だ、

と言っておきながら、

以下では、正反対のことを述べます。

いえ、もしかするとまだ

変換する方法が確立されていないだけ

なのかもしれませんが…。

 

科学的には、

いまだSFの世界の話かもしれないけれど、

私たちの中に沸き起こる感情もまた、

間違いなくエネルギーです。

例えば、

気分がいつも荒れ狂っていたり、

悪意や恨みや怒りを抱いている

そんな人っていますよね。

この人は悪かと言えば、

必ずしもそうではない。

その荒れ狂ったエネルギーが、

そのやり場のない苦しみの炎が、

世の中やその人にとっての光となるべき

何かを見つけることができた時、

自己の肯定とともに

そこに向かって

力強く始動する源に変換されます。

 

エネルギーは大切なんです。

 

エネルギー自体を消してしまうようなことは

避けたい。

悪意は、エネルギー。

怒りは、エネルギー。

恨みも、

悲しみも、

憤りも、

エネルギーです。

決して、

楽しさや喜びだけが

エネルギーではない。

ただ、向かう方向が違うだけ。

しかも、喜びや楽しさのように

簡単に表に出せずに、

内部にマグマとなって

溜まっていることも多く、

そのパワーたるや、

想像もつかないほど巨大だったりします。

その人の中に

その感情を宿すだけの力と、

その元となる感動と想いとがあって、

ただ、

それを出す、向ける方向を

間違えているだけかもしれません。

 

もし今あなたが、

怒りや悲しみや無力感に苛まれていて

苦しんでいるのであれば、

今抱えるその感情と

しっかり対峙してみてください。

いたずらに外部に放出して、

時間と体力を浪費したり、

人の関係や自分の体を蝕んだりすることを

ほんの少しの間やめてみてください。

そして、

その感情の出処と

そこにあるあなたの願い・想いを

汲み取ってみてください。

その感情を抱えるに至った自分に

しっかりと寄り添ってみてください。

 

すると、

その感情が芽生える源が推進力となって、

新しい方向に向かうようになります。

エネルギーは

放出の仕方こそが大切なのです。

荒れ狂う感情を否認したり、

正当化したりすることなく、

率直に受け入れてみてください。

そこにはきっと、

あなたが求めるものが眠っています。

それを感じ取り、

寄り添い、

解放してあげられるのは

他の誰でもない、

あなただけなのです。

 

ー今回の表紙画像ー

『自家製おやじバーグ』