私たちは幻想の世界を生きています。
ここ↓でも書きました。
https://nakatanihidetaka.com/genso/
私が心理カウンセリングを学ぶ上で
参考にさせていただいた一人が
カール=ロジャース氏です。
彼は大学で教鞭をとる傍ら、
心理カウンセラーでもありましたが、
不倫もすれば体も壊す、
夫婦仲が危険に陥るなど
紆余曲折、いろいろあった方でした。
そこからして言えるように、
心理カウンセリングを学ぶことで、
何もかもが全て丸く収まります、
ということにはならないのですが、
学校教育では教えてもらえない、
今は家庭でさえ学べない知識を
“知る”ことの
大切さとメリットはあるものです。
その一つが、
ファンタジー=幻想の捉え方です。
上のページでは
「現実とは幻想のことである。
人の心の中にあるものこそが現実である」
というロジャース氏の
有名な言葉を紹介しています。
幻想とは、
私たちが心の中に思い描く、
他者からすれば必ずしも
「そうじゃないだろ」
「そんな解釈できないだろ」
「それは間違っているだろ」
といった見方・感じ方で捉えた
“現実”のことです。
後でも触れますが、
幻想はとても大切で、
極論すれば、
幻想なくして日常は成立しえません。
前回は、耐震性能を超える
巨大な地震が起きないという前提で、
東京湾の埋め立て地に
マンションが林立しているという
“事実”にふれました。
福島の原発もそうですが、
自然による災害は、
幻想の崩壊と隣り合わせにあることが多く、
災害列島である日本に暮らす私たちには
決して他人事では済まされないものです。
今回の豪雨による災害もまた、
そうではないでしょうか。
亡くなられた方には誠にご愁傷様です。
ご冥福をお祈りいたします。
おそらく一部の
「そうなったらそうなったとき」
と考える方を除けば、
身近な河川が氾濫してしまう、
あるいは命を奪うということまでは
想定されえなかったのではないかと
思います。
少なくとも私などは、
もしそういった場所に暮らしていたとして、
とてもそんなことまで
想定して暮らすことはできません。
万が一の中のさらに万が一のために
日々を怯えて暮らすというのは
自分の人生の可能性を
すり減らすことでもあり、
ある種の諦念を伴う、
幻想の大切さと私は考えます。
その時までにできる最低限の準備をしたら、
後は幻想を信じて日々を暮らす、
それは私たち日本人、
というより人間が古来から生き残ってくる
中で身に着けた知恵であるように思います。
そういった一切をひっくるめて、
私たちは個々人が個々人の中に、
他者とは異なる解釈、受け止め方をした、
モノの見方・感じ方からなる世界を
持っています。
それはいいとか悪いとかではないし、
誰もがそんな領域を持っていることは、
わかっていただけると思います。
今回ここで述べたいことは、
それ、
つまり自分独自の幻想を抱いていることを
きちんと認識できているか、
ということです。
これを理解していなかった頃、
私には疑問があって、
個々人で異なるモノの見方をしていて、
よくトラブルも起こらずに
日々が流れているな、
ということでした。
何言ってんだ、トラブルだらけだろ!
ということさえ
認識できていなかったのです。
ほんと、当時の荒んだ自分を振り返れば
どの口が言っているんだと
我ながらため息が出てきます。
日常生活の範囲でも、
考えすぎだったり、
思い込みだったり、
による諍いが目に入ってきます。
ニュースソースに取り上げられる中には、
一方的に、
自分の幻想を唯一の現実と判断したが故に、
凄惨な事件に発展してしまったと
考えられる報告もあります。
もちろん、
そういったことが起こることは
めったにないと“思いたい”ですし、
些細なトラブルを起こしながらも
日々が流れているのは事実です。
少なくとも
致命的なトラブルというのは
そうそうあるものではありません。
99.9%は仮説、という本もあるように、
現実というものは本来、
その受け止め方(=幻想)によって
幾重にも解釈が可能なはずのものです。
だから、なんでも妄想すればいいと
言っているわけではありませんが、
そんな中で、
自分の中のバイアスがもたらす幻想が、
自分に特有の現実を作り上げている
ということを、
自分と真摯に向き合うことによって
理解してほしい、ということです。
少なくとも、
人の関係、
社会の関係、
などは、親・兄弟や、伴侶から友人に至るまで、
常に自分の中にあるバイアスが幻想となって
見せているのだと、理解することは、
自分がおかしな方向へ感情を進ませないための
知恵になると思います。
「私は、常に、幻想を、育んで、生きている」
です。
幻想、
妄想、
白昼夢、
どう呼んでもいいですが、
それは誰の中にもあるものです。
例外はありません。
というよりそれがないということは
極論すれば、
生きていないということです。
100%の正解というものががない中で、
幻想がないということは、
世界と接していないということだからです。
だから、
変に自分を卑下したり、
世の中を悪く見たりする前にまず、
自分が抱える幻想と
そのバイアスの傾向をきちんと理解して、
それが“今”をもたらしていることを
感じ取ってください。
自分の人生を生きようとする際、
自分が変化するための出発点の
大切な部分です。
ー今回の表紙画像ー
『燕のご挨拶』
遊水地の夕景を撮ろうとしたら、ツバメ君が入ってきた。。。
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