突然ですが、
『銀河鉄道999』という漫画がありました。
アニメにもなりましたね。
ゴダイゴという
日米の5名で結成されたグループが歌った
同名の歌も大ヒットして、
アメリカやフランスでも受けました。
まだチビ助の頃でしたが、
機動戦士ガンダムと同じ頃に
テレビ放映されていて、
毎週欠かさず見ていた記憶があります。
これもずいぶん昔ではありますが
感動半分、ノスタルジー半分で、
漫画全巻を大人買いで購入したこともあります。
宇宙戦艦ヤマトの作者でもある
原作者の松本零士さんは999を、
明治の文豪である宮沢賢治の作品
『銀河鉄道の夜』と、
フランスの名作である
メーテルリンクの『青い鳥』とをヒントに
生み出されたそうです。
言われてみれば、確かにそんな気もしますが、
ともかくも、
誰もが引き込まれる素敵な作品だと思います。
銀河鉄道999は、主人公の星野鉄郎が
謎の美女メーテルとともに地球を出発し、
永遠に生きられる機械の体をもらいに、
アンドロメダにあるという星へ
旅をする物語です。
途中の星々へ停車するごとに
様々な物語が展開されるわけですが、
途中、
アンドロメダ側の機械化人が支配する
絶対機械圏(マシナーズエリア)内で、
例外的に人間が機械を支配することに
成功した星の話がありました。
食べ物も飲み物もただみたいに安くて、
(漫画だとジュースが10円だったかな)
人は働く必要がなくて、
人の脳波を感知した機械たちが、
人間に必要なものを何でもただで作ってくれる、
という世界です。
物語では、
一軒家に暮らす1人の大人(?)が
(二階建ての)家の中いっぱい(!)に
“膨張”していて(太っていて)、
窓から入るそよ風に体をくすぐられて
ちょっと身をよじったら
家が破裂するようにボン、と壊れた、
それを住んでいる人の脳波から知覚した
機械が作り直してくれる、
そんな感じだったと思います。
そんな大きな人間いるのか、
とか
家族はどうなんだ、
とか言うのはさておき、
便利と言えば便利かもしれませんね。
そういえば、
ドラえもんでも何かのSF作品の紹介で、
生活が便利になるほどに人の体が変化して、
未来の人間は考えてボタンを押すだけの
頭と指一本の体形になった、
という話だったような記憶があります。
いえ、
そんな街、あるいは人の体形になるのかは
わかりません。
ただ、
これまで1次産業としての農業や漁業、
2次産業としての工業や金融業、
3次産業としてのサービス業などがあった。
そこに生じた
インターネットとパソコン/スマホの世界が
私たちの日常に組み込まれて四半世紀。
Youtuberやウイルスソフトに限りませんが、
新しいインフラをもとにして、
いくつもの新しい「産業」「ビジネス」が
電子の世界を通して広がっていきました。
かけがえのない自分を生きること、
納得のいく人生を生きること、
自分を大切にすることと、
働き方との間には、
密接な関係があります。
カウンセリングや精神医療の世界は、
本来ここにもう少し
明確に焦点を当てることが
望ましいと思います。
では、どういった働き方が、そうなのか。
つまり、
自分のかけがえのなさを体現する生き方に
つながるのか、
納得のいく生き方につながるのか
自分を大切にする生き方につながるのか。
もちろん、求められる次元/レベルは
その時代によって違うでしょう。
では、
今だから求めることができる何かが
あるのでしょうか。
そもそも999のように、
働かずに社会がまわる仕組みが
できるのでしょうか。
できたとして、
それは幸せにつながるのでしょうか。
明治時代初期に、
インターネットで個人ビジネスはできません。
インターネットが存在しないんだから
当たり前ですよね。
電信方式はなくはないけれど、
個人で手が出せるような
価格でも技術でも規模でもなかったし。
逆に、
あの頃のような信義なるものを
現代の労働に対して求めるべきかと言えば、
それも少し違うように思います。
ただ、
電子ネットワークがない時代であっても、
例えば、明治期を見れば、
俳句にせよ、小説にせよ
明治政府とは関係のないところで
現代と同じように、
独自の感性たちが、
既に同人誌という形でつながっていました。
国や地域が安定さえしていれば、
それより前の時代であっても、
政治も既存の権力も関与しない
個々人が素の感性のままつながっていて
後から振り返れば、
一大ムーブメント(大げさかな)を
作り上げていたという話は、
江戸時代の
浮世絵にせよ、
釣りにせよ、
花火にせよ、
いろいろとあったと思います。
うわさや風聞という形ではなく、
そして金銭的・組織的な力の利用を
最小限に抑え、
重要性や楽しさや感動を多くの人に
よりリアルに知ってもらう上で、
電子ネットワークの持つ力は偉大ですし、
そこには、
これまで関与が難しかった人々が、
新しい形で参加することが可能になり、
ビジネスを立ち上げられるように
なっています。
コロナの影響から、
VR(バーチャルリアリティ)や
AR(拡張現実)が
ニーズとしてさらに求められていますが、
これらが浸透すれば、
さらにリアルな情報空間が個々人にまで
広がりるはずです。
なお、これまで関与が難しかった人とは、
・子育てで時間が取れない親御さん
・引っ込み思案で人前に出るのが苦手な人
・抑うつ的で人と接することがつらい人
・お客様にダイレクトに価値を届けたい人
・宣伝や営業活動が苦手な人
・心身の不自由な人
・資金が乏しい人
などが考えられますが、
私たち皆にとっても心強い手段になりますね。
私たちは、
自分を大切にすることが、
他者と世の中を大切にする
そんな何かと出会い、
あるいは何かを構築し、
その何かを与えられるようになったとき、
幸せを感じます。
利他とはそういうことだと思います。
ただ、そこにはどうやって与えるか、
という、
見えない壁が立ちふさがっているように感じて、
行動を躊躇させることがあります。
ですが、ここで触れた通り、
知識や心身の状態やお金と言った
かつてはハンデになりかねなかったことさえ
徐々に取り壊されるような
システムが実現されようとしています。
究極の働かない世界とは、
そういった働き方
というより生き方が日常になって、
その人にとっての
最適な形で自分や他者と接することができ、
そこに喜びや価値やこれからを感じられる
ことではないかと思います。
ー今回の表紙画像ー
『草むらに寝転んでパチリ』
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