白昼夢に浸りやすい人は一定数いて、
昔の私もその一人だったのかなと
思ったりします。
いつもというわけではなかったのですが、
ときどきそうなったようで、
ひどいときには目の前に知人がいても
全く気づかず素通りしようとして、
ちょっとした顰蹙を買ったり、
電柱にぶつかって瞼の上を切ったり、
などという、
漫画のようなことをやってしまったり
したこともあります。
この、白昼夢というものは、
もしかすると、
結構な数の方がどこかに抱えている
癖のようなものかもしれない、と
自分のことを棚に上げて思っています。
失敬なと思われた方、ごめんなさい。
私がこの“癖”に悩んでいた頃、
目の前にやらなくてはいけなかったり、
やりたいことがあったりするのに、
自分の心の中は
いつしか空想の世界に旅立っていて…、
気が付いたらよしなしごとを思い描き、
あーだこーだと登場人物と会話し、
時には問題を抱え、
解決を求め、
あちこち飛び回り、
人と出会い、……
などという状態になっていたことが
ありました。
もしかすると、そんなときは
日常よりアグレッシブに生きていたかも
しれません。
ときどき書いているように、
とても苦しい日々だったにもかかわらず、
逃げ場所がなくて、
(逃げ場所も逃げ方も知らなかったので)
というより、そもそも
逃げてはいけないと思っていたので、
知らず知らずのうちにそんな状態を
作り出していたのだと思います。
立派な(?)アディクションでしたね。
今の私はと言えば、
ハードだろうと何だろうと
現実に浸っていることの方の
メリットが多くて、
白昼夢に浸ることはなくなってしまいました。
浸ることがなくなったのが、
良いと言っているわけではなくて
相談を受けたり、
これからの計画を考えたり、していると
なかなかそういう方に頭がいかないようです。
現実は大変ですが、楽しいのでしょうね。
ですが、妄想の世界だって、
害がない分には
悶々とした楽しさがあるのだから、
好きなように利用すればよいと思っては
いるのですが。
さて、
『心ここに在らざれば、
みえども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず』
という言葉のとおり、
今現在目の前にあることに対して、
意識が向いていなければ、
小手先で何をどうしたところで、
まともな結果が出るわけもありません。
仕事や勉強に限らず、
日常のこなすべき家事や、
そういった物事に対して、
ポカをしたり、
時間がかかったり、
時には最後まで行うことができなかったり。。。
さきほど、アディクションと書きましたが、
抑うつの中で、実際に白昼夢に浸っていた頃、
そんな自分にずいぶん幻滅していました。
幻滅と言っても、
抑うつ的な状態でしたから、
あからさまにそうなるのではなく、
どんよりとした感覚の中で
無力感という形で表れていたと思います。
当時、周囲の同僚は
給与で車を買ったり、
恋をしたり、
海外に出かけたり、
出世を競ったり、
それでいて適度に飲みに出かけたり、
そうやって自分たちが所属するシステムを
それほど疑うこともなく、
それでいてどこかで達観しながら、
それなりに生きている横で、
最も活発に生きられるはずの若い頃に、
何もかもが見えなくなって、
でも会社を辞めて無職・無給になるだけの
勇気もなくて、
ほぼ死に体になりかけていました。
そんな状態と受け止め方だったから、
当時はほんとうに
「このまま一生こうやって生きていくしかないのか」
とさえ思って、
幻滅の上に幻滅がが幾重にも積もり重なって、
やりきれなさに押しつぶされていました。
残念ですが、
自分よりずっと苦しんでいる人、
不幸な人、
心身が不自由な人、
そういった人々に思いを馳せようとしても
自分が最初に出てきてしまい、
そんな自分にまた幻滅してしまうという
スパイラルにはまってもいました。
まだ、このような自分を肯定することの
大切さを全く知らなかったのです。
それが変わったのは、
自分の過去と家族関係のことを振り返って、
その当時の自分がなぜそうだったのかについて、
自分なりに自分の内面を旅して
感じ取った頃からだったと思います。
「どうして、
私はこんなに意識が飛ぶのかな。。。」
自分の中に見いだした仮説は、
これは裏を返せば、
別の場所に心が行っていて、
そこのことを(無意識に)
思い続けているからじゃないかな、
ということでした。
原家族のことに想いが至ったのは
知識を仕入れたり、
カウンセリングの末のことでもありましたが、
同時に、自分の呈する症状の解釈もまた
一役買っていたと思います。
今回お伝えしたいこと、
それは、
心の中のあなた自身が、
自在に時間の世界を旅してみることの
提案です。
きっと、
“今ここ”で目の前にこなすべき何か、
より、
もっと自分の中に
はっきりさせておきたい時代の何か、
が見えてくる、
ことを示していると思うのです。
それは決して、
“今”をおざなりにしていい、
と言っているのではありません。
誰もが言うように、
“今、ここ”に
何らかの形で取り組むことは、
これから、を生きる上で
欠かすことができない取り組みです。
だから、
“今”に取り組むことは試行錯誤して、
意識が目の前に集中できないながらも、
何とか、続けてみてください。
それについては、
以前にも何度か書いています。
ですが、“今ここ”は、
過去とも未来とも切り離せなません。
だから、
しっかりと過去を見つめてください、と。
ただ同時に、
そんな自分の中の自分が求めるものをもまた
しっかりと認識して、
求めることも試みてください。
今日求めたから、
明日から即、
“今、ここ”に集中できるようになる
わけではありませんが、
ある頃から、
日々の取り組み方に変化が出てきます。
時間の彼方に、
遠く空の向こうに、
大切な誰か、何かを感じるようになると、
自然に“今、ここ”も成り立つように
なるのです。
大切な誰かと心の中で
会っているとき、
会いたいとき、
伝えたいことがあるとき、
そんな気持ちがとても強いと、
私たちの心は時空を超えます。
やがて、
停止したままの時間がもう一度流れ出し、
闇が取り払われた世界を自分の目で見て、
そこに新しくて懐かしい、
大切な大切な、愛しいあなたの世界を
見出すことができるのです。
この感覚の
使い方を覚えて、
使いこなせるようになるといいですね。
それは、
これからを生きていく上で、
自分が感じたい世界を感じ取る力を
何倍にも高めてくれると思います。
ー今回の表紙画像ー
『Systema44M』
愛用の歯ブラシ。
体質?的に虫歯になりやすいけれど、今は一本もない健康な歯。
フロスは大切だけど、歯ブラシも一役買っている?
最近のコメント