執着を捨てる
という仏教の言葉があります。
執着するものの一つは、
他者から愛情を得ようとすることです。
愛情は、関心と言い換えてもいい。
「そもそも、そんな愛情なんて
もらったことないし」
そう言われる方もいるでしょうか。
特に親が荒れている家で育った方は
信じられないかもしれません。
ですが、
今、生きているということは、
表面上は機械的だったり、
不愛想だったりしていたとしても、
どこかで、深いふかい愛情を
もらったことがあるということです。
密に関心を抱かれていた時がある、
ということです。
今はまだ、
受け入れることが難しいかもしれません。
ただ、
影に日向に
明示的に、暗示的に、
目の前で、気づかぬうちに、
様々な形で関心をもって見守られていた
という可能性を残しておいてください。
私たちはどこかで、
自分に向けて与えられた関心の記憶を
無意識を含めて感じられるとき、
生き生きと生きられるのかな、と
考えるときがあります。
少なくとも、生きる原動力は
かつて与えられた愛情を内在化して
得られるエネルギーだと思います。
それは理屈ではなく、
体の感覚であり、
胸の疼きであり、
といった記憶のことでもあります。
それをどこかで疑い出してしまうとき、
エネルギーに歪みが生じて、
行動が崩れていくこともまた
よくあることですが。
愛情は、
どう定義するかにもよりますが、
そもそも人と人との間に成立するもの
ばかりではありません。
アーサー.C.クラーク原作の
確か『2010年宇宙の旅』だったと思いますが、
ドクターチャンドラーが、
自分が生みの親であるコンピュータHALと
お別れするとき、HALから
『私は夢を見ますか? (Will I Dream?)』
という問いに、涙を流しながら
『わからない (I don’t know.)』
と答えるところは
知る人ぞ知る有名な場面です。
宗教によっても、
人によっても異なります。
出方も、見え方も、感じ方も様々です。
何より、今この時の自分が認知できるとも
限りません。
その認知できるとも限らない、
数々の愛情が今も
私たちを見守ってくれていたりします。
愛情が理想的に私たちの中に根付くと、
自分の中に泉のように湧きだし続け、
自分を慈しみ、
自分を信じ、
自分が生きていくためのエネルギーとなり、
いつも自分を見守ってくれる
ありがたい存在となります。
そうやって生きられるようになると、
自分の周りにある誰か、何かが、
自分の味方であると
感じられるようになります。
何か、誰か、は
具体的に描かれるというよりは、
今生きるこの世界が、
と言ってもいいかもしれません。
そこまでくると、
自分が思い悩んでいた存在、
つまり、
親だったり、
仕事の同僚だったり、
伴侶だったり、
そんな人との関係も
受け入れられる方へ
ゆっくりと変化していきます。
現実を見ると、
多くの人の中では、
それが憎しみや哀しみという
愛情の変形した層に埋もれてしまっている。
そんな人が自分の心を満たすためには、
今から愛情を求めるのではなく、
過去の愛情を汲みだし、
愛情として認識し、感じ直し、
自分の中に既にある愛情で
もう一度自分自身を満たすことです。
それができるようになると得られるのは、
平安で、落ち着いた、
素のままの自分でよいと感じられる
そんな感覚です。
それは、他の誰か、
偉い人や親や先生から
得られるものでは決してありません。
私たちは日々、働いて、遊んで、
ご飯を食べて、寝て、
人と衝突して、
人と笑いあって、
人とつながって
人と別れて、
と、
悲喜こもごものドラマを演じてしまいますが、
それらを含めて生きることは全て、
自分の中にある愛情を確認するために
あるのではないでしょうか。
気づきを得るための
きっかけづくり、ですね。
嫌な感情を味わいたくないのは、
誰もが同じだと思います。
私もできれば避けたい。
でも、
その感情と行動を含めて、
私たちが自分を生きている、
ということだと思うのです。
先に、多くの人の中では、
それが憎しみや哀しみという
愛情の変形した層に埋もれてしまっている、
と書きました。
私の周囲にはそれ以上に、
愛情を体現して生きている方を
知っています。
親しい人もいれば、
雲の上のような方もいますが、
私に見えるそういった人たちの生き方は、
境遇や立場や事情によらず、
自分を認め、
自分に気持ちの良い時間をあてがい、
楽しく人と接し、
日々を生きておられます。
そういった人たちは
私にとっても、
自分が愛情を体現する時間を得るための、
ヒントをもらい、
力となり、
刺激となっています。
そういう人たちを一人でも多く
知ることができるといいですね。
最初は難しいかもしれない。
でも、
あなたの心の中が変化していくに従って、
自然に現れてくるようになりますよ。
ずっと疎遠な状態が続き、
晩年にようやく和解した
母との話を少しだけさせていただきます。
他界するまでの何年か、
母の住む古い田舎家を定期的に訪れ、
よしなしごとを話しました。
料理を作り、
お世辞にも整理されたとは言えない部屋で
何とはなしに話をしていると、
不思議に遠い昔の感覚を思い出せるほど
安定した関係に戻っていました。
母は、何かのドラマではありませんが、
飼っている猫をいつも膝元にのせ、
声は長年のたばこでしわがれ、
顔のしわは深く、
歯は既に何本も欠けていて、
もう20年くらい生きるとそうなるような
容姿になっていました。
疎遠になる直前の母は、
父との関係のこともあって、
父のみならず、周囲や世間、
自分が生きてきた社会への恨み言を
口にしてばかりで、
それを聞くことを恐れてもいたのですが、
私がもう一度訪ねだしたときには
そんな恨み節の言葉は消え、
私と妹のことを
よく話すようになりました。
子供の時にも聞いたような気がする
昔からのある意味“耳たこ”的な
話も多かったと思います。
そんな時間を過ごしながら、
ゆっくりと、
しかし、
確実に胸の中に描かれたもの。
帝王切開で産んだ二人の子供に
最初の食事(乳)を与え、
風呂に入れ、
寒くないようにくるんで寝かせた。
その、生まれたばかりのときに誰もが
与えられたこと、
当たり前と思い込んでいたこと。
『この人は、命を張って私と妹を育てあげた』
気が付くとその言葉が感覚となって、
胸の中を占めていました。
母の前で泣くことはできませんでしたが、
こちらに戻ってしばらく、
涙が止まりませんでした。
私は、妹は、そして誰もが、
親を信じて生き始めたのです。
そこに嘘なんてありません。
いつも、そこにあるもの。
その最大の存在が、愛情だと思うのです。
繰り返します。
愛情とは、
自分が生きるエネルギーであり、
自分を見守る存在であり、
感謝のことです。
そしてそれは、人や社会や生活や
そういった諸々のことを介して
常に身の回りに満たされているのです。
満たされていることを認めたくないとき
不平不満が言動となって、
周囲か自分のどちらかに降りかかってきます。
おかしな方向に行っているよ、と。
私たちは、満たされている。
後はそれをどう感じとり、どう生きるか、
実はそんなところにいるのではないでしょうか。
ー今回の表紙画像ー
『ジョギングコースのにゃんこ』
ぼけてて何が写ってるかよくわからないな。
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