気合や根性や意志の力でできることには
限界があります。
こう書いてしまうと身も蓋もありませんが、
ある種の限界があるのは確かです。
今回はそんなお話です。
努力すれば、願いは、想いは、かなうのだ、
というわけでは必ずしもない、
ということを、
『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な
漫画家の故水木しげるさんは
「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」
という言葉で表現しています。
収入に限った話ではありませんが、
目標を達成できるか、
結果を出せるか、
と言えば
必ずしもそうとは限らないことを心した上で
好きなことをする、ということでしょう。
私たちは、
“欲する”、
つまり自主的に努力を行うことがあります。
それは、
そうすることで目的を達成したいから、
という理由もなくはないですが、
それ以前に、
失敗するかもしれないけれどやってみよう、
と前向きな気持ちになるから、
というのもあるでしょう。
旧帝国海軍から海上自衛隊に伝わる
『五省』の一つに、
『努力に憾みなかりしか』
という言葉があります。
自主性の大切さを説いたもので、
実際、
やらされる、ではなくて、
自ら選択して行う努力は、
時に思いもよらなかった成果を上げる
ときがあったりするものです。
学校の勉強、
スポーツの結果、
ビジネス上の売り上げ、
ダイエット、
技術の習得、
などなど
何か目標があって、
そこを目指して、
自主的に努力を行うと、
思いもよらない成果を上げる結果を得て、
俺は、私は、やればできるんだ、
努力するんだ、となって、
先へ、上へと、高みを目指します。
一生懸命になって走ります。
時には恍惚となって、
充実感に包み込まれます。
これにまつわる面白い
(と言ってはいけないかもしれない)話が
あります。
足のくるぶしを骨折していた時、
よくタクシーを利用したのですが、
あるとき、女性の運転手と
ダイエットの話になりました。
とてもスリムな方でしたが、
もともと100㎏以上のメタボだったそうです。
とにかくそう見えないくらい細かった。
ダイエットに成功するうち、
努力することで
自分の体形をコントロールできることが
“楽しく”なって、半ば拒食状態まで
進んでしまったといいます。
幸い、彼女は結婚しておられて、
旦那さんから指摘を受けたため、
今はちゃんと食べるようにしている
とのことですが、
それでも体重は以前の半分まで減った
といいます。
「ちょっと危ないところまで
いっちゃってましたね」
というのが彼女の言葉でした。
努力なり、意志を持った営みが実際に、
どこまで願いをかなえることになるのか、
ならないのかはわかりません。
もしかしたら、
ひたすら願いをかなえるほど、
結果を出し続けることが
できるのかもしれません。
ただし、その時に生活の他の面、
例えば、自分の心や体がどうなっているか、
となると話は別になります。
結果が出ることの気持ちのよさに
“かまけて”、
そのプロセスで、
自分の体や心、
そして周囲の人々の感じ方に
目が行かない状況が続くと、
どこかに過剰な負荷がかかり、
やがて生活自体が崩れていくことが、
起こりえます。
“今”感じ取る心や体の変調に
気を配ってみてください。
別に大仰に構える必要はありません。
私は梅雨の時期、体が重くなります。
だるいし、睡眠が足りなくなるし、
元気が出にくくなります。
多くの人が
そうだろうと思い込んでもいました。
しかし、よくよく話を聞いてみると、
友人の一人は梅雨の時期は
調子がいいといいます。
6月生まれの人です。
他にも、ほんの3名ほどですが、
そんな方がいらっしゃいました。
生まれた月と体調が関係するかは
わかりませんが、
11月生まれの私は、
秋から冬は非常に調子いい。
そういった些細な感覚に気を配ると、
自分の心や体の調子が、
季節、
時間帯、
場所、
人の関係、
働き方、
天候、
そういったものによって意外に左右されていて
どうしても機能しづらい状況というものが
あったりするものです。
もちろんご自身の年齢や遺伝的な傾向もある
かもしれません。
もしそのような傾向に気づいたとして、
例えば、梅雨の時期は仕事をしない、
などということではなくて、
そんな体調や心の元気度の状況に合わせて、
ペースや重みづけや、時間配分などを
自分なりに調整してみると、
逆にコンスタントに日々を歩み続け、
成果を出し続けるような日常を
生きられるようになると思います。
ところで、
このブログの一番初めに、
意志の力でできることには限界がある、
と述べました。
ここまで書いてきたことも、
それらを踏まえて対処・実践することついて
考え方を述べてきました。
では、
限界の中では自由に生きられるとして、
限界の中で生きるしかないのか。
そんな問いを、
かつて限界に行き詰る中で、
私は持ったことがあります。
この限界のために、
自分の想いを叶えることができないなら、
どうしたらいいのか、と。
逆説的ですが、
限界を認めることは、
限界を突破する、
限界を押し上げる
ことにつながります。
限界を認めることとは、
それまで時に限界を超える努力をしてきた
生き方を変えることだからです。
生き方を変えるとは、
日常生活の時間配分から、
人との接し方から、
ご飯の食べ方から、
生活習慣から、
そして何より自分自身に対する
見方、受け止め方、受け入れ方を
根本的に見直すことに他ならないからです。
ある意味、
とても勇気がいることでしょう。
なぜなら、
頑張ること、
努力すること、
によって、
先に見え隠れする不安を払拭してきた、
という面があるからです。
自分自身を知るということは、
本当に難しいですよね。
一つコツがあるとすれば、
何を学んできたかはひとまず置いておき、
素直になることです。
甘えてるのではないか。
無茶しているのではないか。
努力する真面目な人ほど、自分に厳しい。
自分もそんな時期があったから、
あまり面と向かっては言えないのですが、
なんかもうマゾヒスティックな喜びを
実は感じているのではないか、
と思うくらい、
努力しちゃうんですよね。
…というわけで、
恐れずに、自分の体の感覚に沿って、
限界を知り、受け入れ、
生き方を変えることを試みてください。
いつも言う“想い”はそんな試みの
繰り返しの先に、見えてくるものです。
ー今回の表紙画像ー
『夜釣り一景』
クロダイと
巨鯉は釣れたけど、狙いの獲物は不発。。。
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