自分を動かす言葉

日々の棚卸

 

これを試した方がいい、

これをやってみた方がいい、

こう考えるといい、

自分が変えられることはこうするといい、

自分を受け入れよう、

自分を大切にしよう、

かけがえのない自分を生きていこう、

望むらくはそれによって

大切な肉親や彼・彼女や

そういった人々の幸せにも

寄り添っていこう。

 

そんな数々の提案を聞き、読み、するうち、

そう願って、

その気になって、

時には意気込んで行動に移そうとしても、

なかなかうまくいかない、

そんなことがあります。

 

例えば、

私はこれまでにも、

自分が遠ざけていた自分や

忌み嫌っていた自分、

否認していた自分と再会し、

和解して、

現在の自分に統合することこそが

自分が納得して人生を生きていく上で

欠かせないことだと

機会あるごとにお話しています。

自分の一部を遠ざけたのは、

なかったことにしたのは、

許せなかったのは、

そうしてしまわざるを得ないだけの

あなたなりの理由があったはずで、

そこに腹を立てたり卑下したりしても

意味がないことで、

そんなことをしているよりもまず、

どんな自分だろうと自分の一部として

もう一度面と向き合い、

その時の自分に共感し、

一緒に生きていくと誓う、

それこそが何よりもまず、

自分と、

自分を大切に思い、

あるいは自分が大切に思う人々のためになる

ということです。

何は置いてもまず、

最初に実践していただきたいことだと

思います。

 

こういった私の言葉に限りませんが、

言ってることには共感するし、

それがうまくいった後の世界も

それなりにイメージできるのだけれど、

なんか最初の行動と加速がうまくできない、

故にやれなかったり尻すぼみになる、

そんな経験を私はしたことがありますし

そんな方は少なくありません。

 

世の中には、

行動の基準、つまり

どう考え、どう行動し、結果をどう受け止め、

また活動したらよいかと言ったことを語る、

とても多くの

ページや本やセミナーがあります。

当ページのように、

吹けば飛んでしまうような

ささやかな(?)場所もあれば、

多くの人が集まって

参照するようなところまで、

多くの人が何らかの指針やヒントを求めて、

実際に得て、

試みようとしています。

 

人は感情の動物というように、

私たちは、

感情に根差して考え、感じ、行動します。

経営論で有名な故ピータードラッカー氏は

著書『明日を支配するもの』の中で

「事実ではなく、意見から始めよ」

と言っています。

いくら最初に

正確な事実を集めようとしたところで、

人はどうしてもバイアスがかかるから、

自分に見合う事実を集めてしまう、

という意味です。

何だか、私たちのやっていること、

そのものですね。

冷静になっているつもりで、

人の悪いところばかり見て、

自分の悪いところばかり見て、

自分や人を勇気づける言葉を出さず、

自分から人や世界を愛していこうとせず、

いつもうまくいかない未来を想像して、

過去も今も未来も真っ暗だ…。

そりゃ極端だ、と思いますか?

図星の人も多いと思うのですが(私?)。

そうではなくて、

何かを始めるなら、

うまくいかせるために、

どうしたらよいか、

というところから始めよう、

ということです。

 

少し話がそれましたが、

何をしたらよいか、

どう動いたらよいか、

まではわかった上で、

でも動き出すことができない、

何かにおびえているのか、

何かに躊躇しているのか、

どこかであきらめているのか、

とにかく動くことができない、

そんなとき、

鼓舞したり叱咤したりとは別に

自然に自分が動き出してしまうような

心と体が連動してスムースに動くような

そんな言葉をどこかで、

私たちは求めているときがあります。

 

心のブレーキを外す、

自分に許可を出す、

自分を許す、

いろんな表現があって、

かつての私は残念ながら

自分で見つけ出したり耳にしたりした

どの言葉もうまく機能しませんでした。

うまく機能しなかったとは、

よしやるぞ、と動きだしたり

何とかやってみるか、と

腰を上げるトリガーになったり

あれ、うまくいったぞと結果を得たり、

ということに

つながらなかったという意味です。

 

言葉は大切です。

理屈を伝えることと、

感情を揺さぶること、

その双方に働きかけることができる

もっとも簡単で、

それでいてとても優れたツールです。

私たちに必要なのは

動き出すのに必要な感情を

肯定してくれる言葉です。

せっかく芽生えた感情を

実践につなげるための想いの言葉。

これからも、きるだけ話していきます。

拙いなりに、

うまくないなりに、

わかりづらいなりに、

しつこすぎるなりに(笑)、

無礼不躾なりに、

続けていこうと思います。

ペースは分かりませんが……^^;)

皆さんも動けないときに

やっぱり自分はダメなんだ、と

あきらめてしまわず、

気が付いた時や気が向いた時でもいいから

自分を突き動かしてくれる言葉を

探すなり、創ってみるなりしてください。

 

そんな時に陥りがちなことについて

最後に少しだけ。

大好きな人が落ち込んでいるときに

どんな言葉をかける?

大切な人が哀しんでいるときに

何を言ってあげる?

私も使うし、他でも使われる表現です。

でも、大好きな人も大切な人もいない、

少なくとも感じられない、

そんな人もいて、

自分に与える言葉の比喩として

イメージしようとしてもできない、

と言います。

当ブログを読まれる方の中には

そんな方もおられるのではないでしょうか。

生まれてから一度だって、

そんな人がいたためしなんてない。

なぜって、

自分もまた

誰からも好きになってもらってなかったから。

誰からも大切にされなかったから。

だから、好きな人も大切な人もいない。

だから、そんな自分に与える適切な言葉なんて

思い浮かぶはずもない、と。

もしそこまできているのなら、

こう考えてみて下さい。

 

誰か、何か、が最初ではありません。

あなた、が最初なんです。

 

『好き』なもののない、あなた、

『大切』なもののない、あなた、

そのあなたを他の誰かが好きになるのでしょう。

そのあなたを他の誰かが大切だと思うのでしょう。

つらいですよね、こんなこと言われたら。

ごめんなさい。

でも、そこにある怖れ、哀しさを

たった今、

つらいと思っている“大切な”自分のために

乗り越える言葉を探すことから始めてみて下さい。

 

一緒に生きよう、と。

嘘でもいいからやってみよう、と。

ダメだと思ったら、あきらめてしまうのではなく、

少し休んで、また試してみよう、と。

そうやって、

もう一人のあなたと一緒に生きていくうちに

既にあるところまで動いている自分に

気づきますよ。

 

あれ?

何だか、自分を受け入れる話に戻ったかな。

 

ー今回の表紙画像ー

『川の土手から見た夕陽』

昨日の景色の30分くらい前。