部屋は、閉じ込められるものじゃない。
利用するものです。
子供の頃、親に叱られて、
「しばらく部屋に入ってろ、
ご飯抜き!」
そう言われた方、おられますか。
我が家は子供部屋を与えるほど
広くなかった(アパートでした)ので、
家の前にある倉庫に入れられたり、
玄関の外に出されたり、
した記憶があります。
多分、幼稚園か小学校1年くらいの
頃だったと思いますが、
私があまりにわんわん泣いて、
泣き喚く声を
アパート中に響き渡らせるものだから、
しばらくすると、
隣のおばさんや向かいのおばさんらが
出てきて
「どうしたの、そんなに泣いて」
といって、我が家の玄関のドアを開けて
一緒に謝ってくれました。
「もう許したって」
おばちゃんたちは優しかったなあ。
「あらあら、どうもすいませんねぇ」
と、
玄関のドアを開けて出てきたときの
母親の満面の笑みは、
さっきまでの鬼婆のような形相は
どこいったんや、
と子供心に言いたくなるほどだった
記憶がありますが、
おばちゃんたちが帰って行ったあと
それで無事終了だったかというと、
それはその時の親の心境如何でした。
そのまま居間でタバコを吸う父と
テレビに見入ることもまれにありましたが
そのままガミガミと第2次お説教が始まり、
終わるまでやたら長く感じたそれが終わると、
しょげたままもう一つだけあった部屋に
逃げ込んだ気もするし、
台所の椅子に座ってぶつくさ言っていた
ような気もします。
正直あまりに子供の頃のこと過ぎて
うろ覚えの部分もあるのですが、
いずれにしてもその時々の心境に沿って
場所を選択していましたね。
…と、
まあ、
お世辞にもいい思い出ではありませんが、
その後の家族がどうであったにせよ、
そうやって叱られながらも
どこかで甘えていられたのだと
思えるようにはなりました。
いかがでしょう。
ウチも、似たようなものだったかな、
という方、おられますか。
そんなおかしなことはされなかったよ、
から、
ウチはその程度じゃなかったよ、
まで
きっと、いろいろな家があったと思います。
ここまで私が親に叱られた時の話ですが、
テレビを見たり、
漫画を読んだり、
なんだかんだと狭い我が家で
子供がやることは普通に
いろいろとやりましたし、
プラスティックバットと
軟式のテニスボールで
部屋の中で野球をやって、
母親が大切にしていた花瓶を
割ってしまったこともありました。
親にはしょっちゅう叱られましたが、
ある意味気の赴くまま、
やりたい放題部屋を使っていたことは
確かですね。
私に限らず、家の中というのは、
その大小や新旧や見かけなどにかかわらず、
人それぞれ、その時の心境ごとの
居場所があったと思います。
台所で大好きなお菓子を作ったことが
ある方もいると思います。
うまくいったかもしれないし、
試行錯誤してもどうにもうまくいかなかった
ということもあったかもしれませんが、
きっと没頭したその時感覚が
台所のカラーやレイアウトや
置いてあった食器や何かとともに
記憶に残っているのではないかと思います。
その時の自分の大切ない場所ですよね。
屋根裏部屋が今時あるのか知りませんが、
たくさんの本棚が並ぶ部屋で本を読みふけって
物語の世界に思いを馳せていた方も
いると思います。
他にも、
居間でテレビをボーっと見ていたり、
寝室で健康のための筋トレをしたり、
書斎で書類を整理していたり、
友達と話をしたり。
部屋はそのまま私たちの心の中でも
居場所をもたらします。
私たちの心の中にもまた、
いくつもの部屋があるのです。
落ち込んだ時の部屋
悲しい時の部屋
ふくれ面する時の部屋
センチにひたる時の部屋
起こった時の部屋
絶望の部屋
素敵な予感の部屋
そのどれも、
使っちゃ行けない部屋なんてありません。
ときどき、部屋の壁がなかったり、
入り口の扉がなくて、
自分という家の外側から
丸見えになっているような錯覚に
陥ることもあるかもしれませんが、
それは文字通り錯覚で、
実際に私たちは、
そういったいくつもの部屋を使い分けて、
その時々の自分の感情を感じ取り
そして、整理しています。
ときどき、怒りや恨みや悲しみが暴走して、
せっかくの自分の部屋を
壊してしまわる方がいます。
その暴走によって、
本来あるはずの喜びや楽しさ、幸福感
やりがい、信頼、
そういった部屋の壁まで突き破って、
自分にこんな部屋なんて必要ない、と
でも言うかのように、
自分自身に対して暴挙を働いたりします。
それは何としても避けたい。
他の誰よりもあなた自身のために。
そして、あなたの大切な人のために。
もう何もかも終わりだ、
自分の人生は終わりだ
なんていうことは
(たとえ口でそう言ったとしても)
間違ってもありえません。
そこは、あなただけの心の部屋です。
心の部屋は、
他の誰からも攻撃されるところではないし、
反対に他の誰にもその中は
わかるものではありません。
怒り狂った親が土足で入ってきたり
首根っこつかんで外に放り出そうとしたり
(いえ、個人的な恨みの発言じゃないですよ)
上司が、恋人が、変質者が、超能力者が
決して入ってこれるところではないんです。
だからこそ、
そこはあなただけの場であり、
あなただけの想いや感じ方を、
時に醸成し、
時に反省し、
明日につなげていくところです。
心の部屋、
意外に意識されていない方がいるようで、
こんな話をさせていただきました。
引きこもりすぎないように、
うまく活用しましょう。
いつでも自由に出入り出来るんだから。
ー今回の表紙画像ー
『百合 ~ 朝散歩より』
気のせいか最近街を歩くと、百合をよく見かけるような気がする。花が好きだった母は、よく百合を育てていたな。
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