どん底。
縁があるかどうかはともかく、
知らない人はいない言葉ですね。
『どん底』という題名の小説があります。
ロシアのゴーリキーのとても有名な作品で
黒澤明やフランスのルノワールが
同名で映画にしています。
私はゴーリキーの小説は読んでいないし、
黒澤の映画はずっと昔、
酔っ払いながら見ていたのですが、
ちょうど社会人になりたての、
原家族がばらばらになった、まさに、
タイトルそのままの心境の頃のこと、
映像を通して伝わってくる
メッセージがメッセージだったこともあって
全く時代が異なるはずのその映像を
まるで体験したかのように
記憶に残っています。
何と言うか、
貧しさとそれが生み出す人の関係
-恵まれていない自分を嘆き、正当化し、
そこからの脱出を求め、
個人の得や快楽を求め、
時には人まで殺してしまう-
そんなやりきれない感じが
圧迫するように伝わってきました。
原家族について言えば、
特に、貧しかったわけではありません。
父は大手企業に勤めるサラリーマンだったし、
社宅に住んでいたから寒さに震える
なんてこともありませんでした。
ですが、私が高校生くらいの頃には、
父母が互いに、
人生の不安の払しょくと正しい何かを求めて、
相手も自分も追い込んでいくループに
はまり込んでいってしまっていた。
いろんなことが見えなくなってしまって
いたのだろうな、と思うと、
ずいぶん時間がった今でも
哀しくなることがあります。
この『どん底』の話ではありませんが、
落ちるところまで落ちないと
自分が変わることができない、
自分を変えるためには
落ちるところまで落ちる、
という考え方があるのも事実で、
依存症からの脱却や仏教の教えでは、
自分を追い込む状態を周囲が
無理にとめたりすることなく、
底、つまりどん底に陥った状態から
魂のレベルで自分が変化することを
期待されています。
では、『どん底』とは何でしょうか。
私はかつて、
どん底にいたことがあります。
いえ、人類の歴史と言わずとも、
相談をしてくれた方々の話を伺った後では、
それは決して“どん底”などでは
なかったと思いますし、
当時だって、
本当にどん底と呼ぶことに
実は抵抗があったりもしました。
自分は甘いんじゃないか、と。
今はそんなことは思っていませんけどね。
人は自分が思い、感じたところが
どん底、
なのだと思います。
残念ながら、当時の私は心のどこかで、
どん底だ、と言いながら
他人ごとのように嘆いていました。
誰かが、何かしてくれる、と。
だからその後、
父が自死し、妹が後を追った時に、
自分が感じている以上に
肉親が追い込まれていたことを知り、
随分自分を責めたものです。
有名なホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領を
持ち出すまでもありませんが、
自分の持ち物以上に求める人は貧しい、
という言葉は、
貧しい、のところを、どん底、
と置き換えても
意味が通じると思います。
自分の持ち物には、
お金、仕事、家、家族を含めた人の関係
などがありますが、
こと、今回のテーマに関して言えば、
いえ、今回のテーマに関しなくても、
その最たるものは、
自分の体と感性のことではないでしょうか。
どん底と思うのは、感じるのは、当人です。
それ自体は誰も、否定はできない。
だから、どん底にいると思うのであれば、
与えられていないと思うのであれば、
それはそれでいい。
その感覚を否定しても始まらない。
ただ、
どん底にいるのならどん底にいることを、
自分事として、
しっかりと自分の中に感じる必要がある。
俺は、私は「人生のどん底だ」と。
そして、どん底のさらに底を
しっかりと見つめることです。
感じることです。
掘ってみることです。
自暴自棄という意味ではなく、
どん底であることを
しっかりとかみしめてみることです。
ほんとにどん底であれば、
それは人生の“転換期”です。
転換するしか、道はありません。
ただ、多くの場合は、
どん底と思っていたのが、
さらに掘ろうとして決意すると、
横に脇道があったり、
通り抜ける道が隠されていり、
することを見出すものです。
そう考えると、
どん底であるかどうかに関係なく
死んでしまうというのは
とてももったいないことですよね。
実際、決して少なくない人が、
どん底ではないにしても、
精神的に追い込まれる中で、
底までいけるほど
世の中に身を横たえる選択をしないまま、
心が破綻の一歩手前の状態で、
いろんなものを奪い去られながら、
社会の一員として“普通”に
働いていたりします。
どん底というのは、
実は苦しいけれど身動きできないこと、
身動きする術を知らないこと、
身動きの選択肢を撮れないことだとすれば、
ホントはそういう人たちのことを
言うのかもかもしれません。
ぜひ、知ってください。
実は、生きているということは、
どん底なんかではありません。
そして、
どん底にいかないままでも変化は可能です。
変化は欲すれば得られるんです。
その一歩を踏み出すことで、
何を失い、何を得るかを知り、
自分が自分の人生を歩んでいる
自覚を持てるようになる人は、
そこから継続的に変化していきます。
決してコントロール可能な世の中ではありませんが
そうやって生きていくことで、
成功も失敗も含めて、
自分が自分の人生の手綱を握っていることが
感じられると思います。
ー今回の表紙画像ー
『? ~ 朝散歩より』
暑い・・・。
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