好きなこと。
納得のいく人生を全く生きていない
と感じる人ほど、求めること。
これまでにも触れてきましたが、
形を変えて何度でも触れようと思います。
答えの出る話ではありませんが、
迷った時の参考にしてください。
荒れていた自分を見つめなおして、
そして、親の問題にかまけていた状態から
納得のいく時間を取り戻そうとして、
自己啓発や心理セミナーなどに
足しげく通ううち、
あちこちで
「やりたいことをやる」
「好きなことをする」
という言葉に出会うようになりました。
今ではごくありふれて目に入り、耳にする
これらの言葉。
苦しむ自分と正面から対峙して、
見ないようにしていた自分と再会し、
対話を繰り返す中で、
特定の過去にこだわって
そうすべきと思い込んだ自分ばかりを
ひたすら演じ続けてきたということに気づくと、
確かに
「好きなことをやる」ということの魅力を、
漠然と感じるようになるんですね。
好きなこと…。
何をしよう。。。
悩むうち、実はとても抽象的な言葉だなと
感じたりしたものです、
この、好きなことって。
「そうやって理屈で考えるからいかんのだ」
なんて言われるかもしれませんが、
感覚がおかしくなっているからこそ
言葉という理屈言語を介して
理屈以外の部分をも感じ取ろうと
試みているわけで、
そうするとやっぱり
何とかこの言葉を頼りに
自分を方向付けしていこうとします。
好きなこと。
昔楽しくてのめりこんだことだったり、
親兄弟や人が喜んでくれたことだったり、
やっていて使命感を感じたことだったり、
お金をたくさん稼げたことだったり、
人より突出して得意だったことだったり、
ほっと落ち着くから
このまま続けていたいことだったり、
と好きのレベルも質も
本当に様々だし、
何をどうすればその先、
納得ということにつながるのかわからない、
ただでさえ気力がわかず、
半ばなげやりになっていたり
あきらめかけていたりしていたのに、
そこから何をどうしたらいいか
ピンとくることもなく、
動き出そうにもどうしたらいいかわからない。
それが正直なところではないかと思います。
何でもいいからやってみろ、
全部やってみろ、
それは確かに一つの答えですよね。
どれも自分の一部なんだから。
でも、人間はロボットじゃないので、
一つ二つと実行していって、
実は楽しくなかったり、
ときめかなかったり、
充実しなかったり、
ということが重なってくると、
いざその時の自分にとって
仮にほんとに好きなことなるものに
たどりついたときには、
とっくに感情が疲弊してしまっていて、
やっぱり好きなことしても何も変わらない、
となるようなことは
避けたいという思考が働くものです。
これはかつての私のことで、
疲弊した感情を恢復して、
また手当たり次第に探してと繰り返すのは、
その行動がただのストレスに
変わってしまうんですよね。
時間の問題もあります。
最優先で、
時間がたっぷりある独り者の方であれば、
何とかなるかもしれません。
私はよく、自死した父のことを考えます。
家庭を持ち、
仕事を持ち、
最後まで私たちに生活の糧となるお金を
運んでくれた父が、
彼なりの人生をもう一度生きるために、
何かできなかったのだろうか、
そう思うのです。
だらだらと書いてしまいましたが、
結論を言うと、
好きなこと、
やりたいことをピックアップしたら、
優先順位をつけてください。
そういういことです。
優先順位は、
自分の限られた人生の時間を
自分のために有効に使うのみならず、
直感を磨く上でも
是非やってみてほしいことです。
その時、
おそらくは疲弊のもとになっている
現在評価されているような働き方から
視点を離して考えてみてください。
おそらく、
きっとそれだけでは明確な順位付けも
それ以前の何を試してみるか、も
十分には洗い出せないとは思います。
なぜなら、
ほんとに好きなこと、
やりたいことは、
求めることでもあって、
自分が大切な何かとつながっていることを
感じられることだからです。
これを言ってしまうと、
身もふたもないですが、
それに気づくうえでも優先順位をつけるのは
大切なことなんです。
時間でも、充実でも、収入でも、自由でも
何か自分に大切な基準を一つ設定して、
それに沿って優先順位付けし、
一つ一つ実践してみてください。
意外に深く感じられますが、
ほんとはきっとシンプルなことなんだと思います。
好きなことって。
ー今回の表紙画像ー
『8月最後の日曜の青空』
ここに写真上げるようになってから、やたら雲に目がいくようになってしまった。
ドライブ中に気になったので、路肩に車を止めてパチリ。
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