一時期あちこちで、
「卒業する」
という言葉が使われていました。
学校を卒業するという一般的な使い方以外に、
パッと思いつくだけでも、
アイドルを卒業する、
A〇Bを卒業する、
ニュースキャスターを卒業する、
果ては、
ボクシングの世界チャンピオンを卒業する
なんて人もいたなあ。
十代を卒業する、
子供を卒業する、
ちょっと違うのかもしれないけれど
事務を卒業する、
会社を卒業する、
なんて言っていた人もいた。
卒業する、の本来の意味とは、
その場所で得るべき、
学ぶべきことを習得して、
そこから出ていく、
ということです。
必要な知見を学習し、
ある一定のレベルに達して、
「はい、ここで学ぶことを
あなたは十分学び、修得しました」
とお墨付きを得ることです。
実際、私たちは、
幼稚園・保育園に始まり、
小学校、中学校、
行ける方は高校、大学、就職、
その他塾やスポーツやそれ以外の取り組み、
そういった中で多くのことを学びます。
それが、
その後一生のものとなる人もあれば、
全く使用することがないという方もいる。
では、そこにいた期間、
自分が費やした時間の評価は、
その知識の量で測ることができるのか、
といったら、どうなのでしょう。
確かに、その後の人生を
それ迄に得た知識で大儲けした人などは
そう言えなくはないかもしれません。
ただ、おそらく読んでいてお分かりのとおり、
そのストーリーはしっくりきませんよね?
これまで生きてきた社会、
所属していた場所、
接していた人々に対して、
楽しかったこともあれば、
苦しかったこと、
嫌だったこともあるでしょう。
あんまり楽しくなかったんだよね、
という方もいると思います。
楽しかったことだけであればいいのですが、
人間なかなかそうもいかない。
例えば、
中学生の時はいじめられてたから、
いい思い出がないんだよね、など。
高校の時、大失恋して
ずっと引きずってつらかったんだよね、とか。
私はといえば、
これまでにもあちこちで
原家族との関係について述べてきたように、
高校生の頃は両親の不仲に
毎晩涙を流していましたし、
その頃所属していた部活動では、
某有名スパルタ体育大学出身の先生の
熱血指導のおかげで、
今は許されない行為を含めて
ずいぶんしごかれて続けていた、
クラスメートとの関係もギスギスとして
相談あいてもいなかった、
そんなことが重なりに重なって、
ストレスフル(マックスはもう少し先でしたが)、
行き場のない、
ほんとに酸欠の魚が水面に口だけ出して
アップアップとしているような状態でした。
大学に入って家を離れることになり、
一時、
環境が改善された錯覚に陥りましたが、
その後に起こった
原家族の崩壊や肉親の自殺と
私の心に起こったことについては
これまでにも書いてきた通りです。
それを、
もう終わったことだから関係ない、
卒業したんだ、
として、
その時間が終わったと受け止めていた頃は、
生きていくための心の土壌が
得体のしれない恐怖におかされていて、
何をやっても
何を言っても
何を目標にしても、
常に怯えや怒りや無力感に苛まれていました。
カウンセリングを学ぶ中で、
自分が置かれている状況と、
自分がまず何をする必要があるかを知り、
自分と言う存在は
複数の自分によって作られていること、
その中の一部の自分をぞんざいに扱っていた
あるいは無視していたことに気づき、
そんな自分を受け入れるほどに、
自分の中にある様々な時代や場所や
人の関係への感じ方に変化が生じました。
正確に言うと、
感じ方があるところで反転するように
ふわっと変わったのです。
別に、嫌なら嫌でいいんです。
ただ、自分に焦点を当てると、
そこにある嫌だった数々の出来事は、
虚像に変わります。
嫌だ、苦しかった、ひどかった、最低だった
そう感じる過去は、多くの場合、
自分ではなく、
取り巻きの視線で、
あるいは世間の目で
自分を見ていて、
それをあたかも
自分が自分で感じたことであるかのように
受け止めているからこそ、
感じることなのです。
しっかりと自分に焦点を当てると、
その時の自分を受け入れることで、
自分がいた時代と
その時の自分を今の素敵な自分に至る
大切な時間だったと、
大切な空間だったと、
大切な人々の関係だったと
感じられる時が来ます。
家族からの卒業というものがあるならば、
それは、そういったことを
切り離してしまうことではありません。
家族が、
少なくともそこで育った感覚が
一切必要となくなることはないのです。
哀しい記憶も、
その裏に無意識に隠してしまった
素敵な記憶も
自分の視点で、
自分に焦点を当てて、
感じ取り、寄り添い、
哀しかったことは慰め、
素敵なことは一緒に喜び、
自分に起こった自分事として
受け止め治すことができ、
誰かのせいにして
何かをしてもらわないと動けない、
ということがなくなるときなのです。
そんな内在化ができるようになったとき、
あらゆる過去は、
これからを生きる自分を勇気づける
大切なエネルギーとなって
既に、私たちの魂に
宿っていることに気づくようになります。
生きていることに
幸せを感じるときです。
ー今回の表紙画像ー
『近所の遊水地より空を見上げる』
台風の雲が青空を覆いだしていた。
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