人間関係が苦しい、嫌だ、とは、
会わなければいけない誰かに対して、
苦手意識があったり、
怒りを持ったり、
嫌ったり、
気持ち悪がったり、
それが高じて恨んだり、
憎んだり、
ということだと思います。
これらの感情を、
自分が被害を受けていると感じているが故に
持っている人もいます。
被害を受けているとは、
あからさまな暴力は論外として、
例えば職場で仕事をきちんとこなせず、
罵られるということですね。
実はこの時、
罵る側の上司なり同僚なりもまた、
ある意味自分のことを被害者だ、
と暗に感じています。
こんなことでは仕事がうまく進まない、
という点ですね。
中には、部下を成長させるためと
真剣に考えて発した言葉が、
罵るようになってしまう人も
いるのかもしれませんが、
通常、残念ながらそこまで真剣に
相手のことを考えながら、
罵ったようになってしまう、
ということはないものです。
そして、
罵った側に反応する相手がいる…。
反応の仕方は様々ですが、
批判をする側の言葉や口調や態度が、
批判される側の人間性や生き方そのものを
批判している、と
批判された側が感じたときに、
双方のシンクロが起こってしまうのです。
シンクロとはいわゆる
その“関係性”の継続ということです。
どちらも、特に批判された側は、
継続などしたくない、
少なくともそんな形の関係では
決して継続は望まないにもかかわらず、です。
これは特に、夫婦や特定の友人関係、
仕事上の上下関係で起こりやすい。
不思議ですよね。
なぜそうなるのでしょう。
これは、働きかける側(批判する側)自身が、
かつて
そういう上下関係・力関係の中に生きてきたこと、
そして彼・彼女のもとに、
関係せざるを得ないもう一人の
似たような上下関係・力関係の中で
人の関係というものを学んできた人が
現れたためです。
例えば、
何かの作業がうまくいかなくて
批判する側の怒鳴り声に、
批判された側が見せる、
落ち込んだ表情と
それを引きずって
うまく続けられない振舞いと
言われた相手に微妙に見せる非難の視線などが、
うまくいかないままの作業に対して
また批判する側の怒鳴り声を誘発させる、
ということです。
親がアルコール依存症の家で育った子供が
家庭の中で学んでしまう混乱した関係を
家の外で似たような価値観を持つ相手との間に
再現してしまうことは、
依存症の現場ではつとに有名な話です。
さて、そんな相手、
つまり批判される側が、やがて
何かを指導する側に立った時、
彼・彼女に悪気はなくても
“そういった”接し方で相手に接し、
また長続きする関係の中に
苛立ちや恨みを抱えさせるような
双方の態度のやり取りがつながってしまう。
こういった一連の関係を
極端にまでデフォルメして見せているのが、
バタードウーマンです。
バタードウーマンとは暴力を夫に振るわれ続け、
それでも一緒にいる奥さんのことを言います。
これを米国の臨床心理士であるテリー・リアルは
双葉の関係と呼びました。
道徳的には明らかに働きかける側、
つまり、
殴ったり、怒鳴ったり、
嫌味を言い続けたりする側が悪いのですが、
その関係を継続させてしまうように反応しながら、
いつまでもそこにいようとする側との
双方が、
同じような環境で
同じような人の関係性を
体得してきてしまった結果だ、
ということです。
罵声を浴びせ、怒鳴る男性と、
涙に怒りを含め、その場に居続ける女性は
子供の頃から学んできた
人の関係性という意味において、
同じルーツを持つ双葉のようなもの。
男女間にのみ生じる問題という意味ではなく、
先に挙げたように、
会社の上司と部下、
先輩と後輩、
友人同士、
など、様々なつながりの中で現れる関係性です。
共通点は、
相手を悪者=加害者に仕立て上げること。
昔、100年前は理屈を並べて
自分の行為を正当化する
前者(=批判する側)が強かったけれど、
今は、我こそは被害者である、と言わんばかりに
その歪んだ関係に固執している
後者(批判される側)が強い。
強い、とは、世の中の風潮として
見方になってもらいやすい、ということです。
日常かかわる人の関係性の中で、
どうにも苦手な人がいる、
どう受け止め方や解釈を変えても、
傷つく関係しか作れない、
そういう方は、自分がそんな関係を
構築してしまっていないか、
振り返ってみて下さい。
以前ある場所で、
正当な怒りは存在しない、
そう耳にしたことがあります。
正確には、自分の中にある怒りを
表立って人にぶつけることを
正当化することはできない、
そういう意味だと理解しました。
もしそうであるならば、
相手を批判したり、
やりかえそうとしたり、
あるいは
その場所に甘んじていたりするのではなく、
自分がなぜそんな関係性を持つに至ったのか、
今一度、家族の中で培ってきた人の関係を
“早急に”振り返ることが良いと思います。
どちらの側にいるにしても、
そういった関係性を維持するその生き方こそが
自分の人生そのものを、
そして大切な人の命を、
じわじわと蝕んでいくからです。
私たちが、
納得のいく人生を送るうえで、
そのようなことをやっているのは
時間の浪費です。
苦しい。
人の関係を切にそう感じるならば、
それは変化を促すメッセージではないでしょうか。
変えられるのは自分自身。
自分を大切に、
自分を楽に、
自分を幸せに感じられるように、
人と接するあり方を模索してみましょう。
自分のことを考えて、
自分に寄り添って生きているうちに、
人生もそのように変わっていきます。
あきらめないで。
ー今回の表紙画像ー
『入道雲』
近所の公園より。台風でじめっとしているので。
最近のコメント