友人と話をしていると、
映画を見たり、
歌を聞いたりすることが減っている、
というかほとんどなくなっている、
という人ばかりです。
私の年齢のせいなのか、
私の友人がたまたまそうなのか
わかりません。
次々に発表される新作や新譜となると、
半ばスルーしているという発言を聞くと、
みんな変わっていくなあ、と
しみじみ感じたりします。
かくいう私もティーンの頃のように
勝手にアンテナが立って、
気がついたら、これいい、とか
あれはいまいち、といったことが
減っているのも事実です。
それでも、年齢はあまり関係なく、
若い人たちの間で流行っていようが、
遠い昔の何かがブームになろうが
心が動けば簡単に
マイブームになってしまいます。
ただ、子供がのめり込む歌やドラマや
俳優女優のことでもない限り、
大多数の人は年齢とともに、
その手のアンテナが
低くなっているのは確かなようです。
これは、別段おかしなことではなくて、
普通に(?)生きてきて、
結婚して、
家庭をもって、
子供を作って、
と進むうち、
自分が今生きている人生そのものが、
実は、自分が最ものめりこむ物語になっている
ことに気づくためです。
自分が生きる人生が
自分にとっての
最も注目する物語になるということは、
自分と相談しながら
自分の人生をどうしようか、
障壁が表れたなら、
どう乗り越えていこうか、
と考えていくことに注力して、
巷にどんどん出てくる
映画や歌や漫画やドラマや、
そういったものにかかずらわっている
余裕や興味が小さくなっていく、
もっと注力したいものが出てくる、
そういうことですね。
そうなんです。
突発的に何かにのめり込むことはあっても、
いわゆるエンターテインメントとしての
メディアから離れていくことは、
変ではありません。
ごく普通のことです。
だから、そういった巷を騒がせる
歌やドラマや流行り廃りが
必要ない人は必要ない、でいい。
今、一生懸命に取り組んでいることがあって、
そこに注力したい、
というのであれば、
全く問題ないんです。
そんな人が、
日常の中で行き詰ってしまったり、
親や子供や恋人や職場の人との関係で
おかしくなってしまったりして、
動けなくなることがあります。
どこかに逃げ込んだり、
何かに一時避難したり、
短期的な言い訳で乗り越えたり、
そういうことができなくなっている。
幾ばくかの間、
そんな状態に耐えて生きるのですが、
ある一線を越えたところで、
それはもう見事なほどに、
心も体も動かなくなって、
ひどいときには寝込んでしまったり、
入院したりしてしまうこともあります。
周囲からの理解も得られず、
何より哀しいのは、
自分で自分を認める力、
自尊心が壊れてしまうことです。
そんなとき、どうされますか。
そんな経験はない?
動ける限り動く?
気合と根性を注入する?
それとも…何もかもあきらめてしまう?
コミュニケーションで相手に伝わる情報を
バーバル(言語=言葉)と
ノンバーバル(身振り、表情、雰囲気、声音、匂い等)に
分けて観察すると、
およそ2:8の割合で
ノンバーバル情報が相手に伝わるそうです。
勝手な推測では、
人の体がもつ磁気的電気的な信号が
その人の臨場性を伴って外部に放出され、
それが相手に伝わるような部分も
あるのではないかと思います。
例えば誰かと仲良く話をしようとしても
自分の中に相手に対する拒否反応があれば、
それが言葉以外の
身振り手振りや表情やイントネーションに
出てしまうだろうし、
体から発せられるオーラのようなものが
相手に伝わることもあるでしょう。
そんなコミュニケーションですが、
実際のところ、
最も頻繁にコミュニケーションをとっているのは
自分自身です。
私たちは仕事や家庭で日々こなす役割に
自分を言い聞かせるようにして
自身を動かそうとします。
ホントになぜそこまで追い込んでしまうのかは
私自身もそうでしたが、
人それぞれ理由があるのでしょう。
ですが、そうやって生きているうち、
どうにも気が乗らない、
体が言うことをきかない、
これは何だか変だぞ、
そんな時があると思います。
休めるときに、ゆっくり休んでください。
そして、静かな場所でじっくりと
自らとコミュニケーションを
とってほしいのです。
最初に、必要な声をかけてあげてください。
ここまでよく頑張ってるな、でも
ゆっくり行こうよ、でも
ちょっとやり方変えてみようよ、でも
十分魅力的なんだから、でも
なんでもいい。
その言葉を、できうる限りの想いとともに
自分に向けるのです。
その上で、感じてみてください。
自分が生まれ育ってきたルーツに
触れてみて下さい。
その時にあった音に触れてみて下さい。
匂い、声、シーンに触れてみて下さい。
はやりすたりのメディア情報に
惑わされないように。
自分の中にもともとある確かな自分を、
もう一度感じ取ってみようとして下さい。
私たちは、
時に大きく迷い、落ち込み、
動けなくなることがあるものです。
その時、つい飛び道具を得ようと、
刹那的な解決策を求めてしまいますが、
そこに本質的な回答はありません。
束の間使う分には裕子ですが、
長く使い続けると逆に、
今度は悪影響が出てきます。
答えは常に自分の中に、
感性として眠っています。
それを忘れることなく、
そして心の底から信じて、
常に自分の中にあるもの、
感情と感覚に
これからを生きる道標となるように
触れてください。
おそらくそれが、
そのやり方こそが、
あなたにとって、
もっとも確かで、
もっとも優しくて、
もっとも力強く、
あなたの人生を歩んでいくことができる、
処方箋ではないかと思います。
ー今回の表紙画像ー
『影絵のような家並み』
夕方、近所の川沿いを散歩中に撮影。ちょっと幻想的だったので。
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