1.要約
「あおいくま」
箇条書きにされて並んだ5つの言葉の最初の文字を続けて横に読んだらそう読めた。
「あせるな」
「おこるな」
「いばるな」
「くさるな」
「まけるな」
母が友人から教えられて、紙に書いて壁に貼ってあった言葉。
母と1歳上の姉とボクの3人の暮らし。1960年代から70年代初期の熊本での生活はとても貧乏だったけど、いつも笑いがあった。タレント『コロッケ』を生み出すもととなった子供時代はとても幸せなものだった。
母さんは、早くに夫と別れ、女手一つで二人の子供を育て上げた。
お金はなくて、三食もやしのこともあったし、お米がなくてアラレがご飯だったこともある。それでもボクと姉は決してみじめだと感じたこともなく、子供時代を送った。
母さんからうるさく言われたことは行儀作法に関することだ。
清潔にすること、ご飯の食べ方、そしてしっかりとあいさつをすること。母さんは他人の子供の挨拶の声が小さければ、ボクたちにするのと同じように注意した。お金がなくても、銭湯だけは支払いができないときには、「お金ば忘れましたばい」と言って、毎日行かされた。
母さんが父さんの悪口を言っているのを聞いたことは一度もない。きっと生活には苦労していたはずなのに、苦労や愚痴を言っているのを聞いたこともない。
母さんは独特の感性を持っていて、笑いのツボもずれているところがある。それが滝川家(コロッケさんの苗字)にいつも笑いがあった理由の一つだ。
映画を見ていてまじめなシーンになると、「こんな人でも屁をする」と、どうしたらそんな場面でそんなことを思い浮かべるのだろうということを考え、口にする。そんな感性を間違いなく、僕もそのまま受け継いで笑いに応用している。
昔の田舎の生活らしく、片親がいない家は、近所のお母さんたちの噂の的だった。
母さんは決して居心地がいいはずもなかったろうが、それを面に出して腹を立てることもない。ある時、自分の夫のことを尋ねられて出張中と答えたものだから、相手がどこへとしつこく問うてきて「お墓に出張中ですたい」と答えていた。そういう人だ。
体の大きなガキ大将に泣かされて帰ってくることが多かったボクのために、相手の家まで抗議に乗り込んだこともある。相手のいかにもごつい父親が出てきて、「子供の喧嘩に親が出てくることなかろうも」、といってくると
「あんたの躾が悪いから、小さい子供ばいじめるような子になる」
相手が、「うるさか」と怒鳴り返してくると、
「ああ、そんだけ元気があるなら大丈夫、子供もしっかり躾できるったい」
「あんたの子供が年も体も大きか子に毎日殴られていじめられたら、アンタどうすると。平気かね、アァ!」
姉と二人でよくテレビを見た。テレビに映る上番組やドラマはボクたちの最大の楽しみだった。母の感性とともに、ここで姉の影響を受けてやったモノマネが、ボクのその後の人生を決めた。反抗期らしきものさえなかったボクが唯一母に反抗したのは、芸能界の道に進んだこと。姉と二人でとても楽しみながら自然に身についたモノマネ。自分の芸で人が笑ってくれることへの喜び。時に衝突があっても、いつも笑いあって生きてきた家族の中で培ったもので、人を元気にすることができる。
芸能30周年パーティで、モノマネをさせていただいた大御所たちが目の前に集まっているのを目の当たりにしたときには本当に腰が引けた。そして、モノマネを受け入れてくれていた人たちに感謝した。
「謙虚に自惚れろ」ある人からはそう言われた。謙虚なのはいいが、もっと自分に惚れるんだ、と。自信がなければいいものは生み出せないのだから。
東北大震災では、笑顔を忘れた多くの人たちがいた。こんなときこそ、芸人の出番だと思った。慰問を繰り返し、思い切り笑ってくれた人が、家が流されてしまったことや、ご主人を無くされたことなどを話してくれるようになった。そんな話をずっと聞いていようと思った。モノマネショーはおまけで、こちらが本当。
持ち物や大切な人を亡くした方々に対して、本当に胸が痛む。そしてやっぱりこの言葉を送りたい。
『あおいくま』
ボクにとって、皆さんに笑ってもらうこと、それが本望。
そして、こんなふうに人の役に立てる人間に育ててくれたお母さん、本当にありがとう。
2.著者について
ご存知モノマネタレントのコロッケさんの自伝です。
1960年生まれ。1970年代までに活躍したスターたちの多岐にわたるモノマネのレパートリーを披露し続けてきました。五木ひろし、ちあきなおみ、淡谷のり子、森進一、細川たかしなど、テレビ画面でおなじみの方々の特徴を面白おかしく、それでいて嫌みなく演じて、お茶の間で親しまれています。
個人的には、面白いモノマネ芸人であること、伝わってくるイメージが人を大切にする方、というくらいの印象でしたが、この本に書かれている生い立ちは、コロッケさんの人となりを表すに十分な“生きる教育”を受けられたことをあらわしていると思います。インタビューやちょっとした話で垣間見せる、あたたかで受け入れの広い人柄は今も多くの方に親しまれています。
モノマネはあきられるのも早いという考えからか、一生モノマネで人を笑わせていきたいという希望からかはわかりませんが、先日はホームページで鬼滅の刃の竈門炭治郎の格好をしてました(^^)。還暦ですがお若いですよね。少なくとも、自分よりは若く見えます。
3.気づき
モノマネ芸人というとどんな人が思い浮かぶでしょう。最近の人は知らないけれど、昔だったら清水アキラさんとか竹中直人さんとかくらいでしょうか。松村邦洋さんとか渡辺直美さんも有名ですね。
人のモノマネで食べていて、そのモノマネがいささか下品だったりして受け入れられないという人もいるようですが、個人的にはモノマネ芸人をされる方は概して腰が低い気がします。もっとも、マネをされた岩崎宏美さんのようなきれいな方が抗議する気持ちもわからなくはないですが。
この本は書店で何となく手に取った本です。
芸能人が書いた本は数多あり、正直普段なら手に取らずスルーしたと思います。それが、たまたま目について題名にひかれて中をサラリと流し読みして、「これ買いだ」と気がついたらお金を支払っていた。。。
実際に買って損はなかったと思います。
内容は、要約でも書いた通り、ある角度から見ればありきたりな成功物語です。『貧しい片親の家で暮らし、そこから自分の得意を生かして立身出世し、裕福で幸せな人生を歩んでいます』というのは、ある種の紋切り型の宣伝文句になってしまいますが、そこには私たちが生きる上で学べることがいくつもあると思います。
ここでは2つ挙げます。どちらも私がここで述べる必要もなく、誰もが理解しているし、実践されていることだと思います。
1つは、貧しさのこと。
後日、この書評に掲載する予定ですが、1960年代から2010年まで上昇する1人当たりGDPに対して、生活満足度は一貫して横ばいというデータが、前野隆さんの著作にあります。収入は幸せと関係ないというつもりは毛頭ありませんが、金銭的・物質的な貧しさに負けないとは、こういうことなんだろうなとしみじみ感じます。
不足を嘆いて、そこから自分や他者を責めてしまうことは、心情的に理解できなくもありません。日々メディアから流れてくる情報は、不足をあおり、豊かさをモノに置き換えようというメッセージに染まっています。それに踊らされて、多くの人がもっともっとと多くのものを求め続けている。そこには、家族としての見栄、親としての見栄、男・女としての見栄、将来への不安、満たされなかった過去を取り返す気持ちなど、多くの理由が欲求とまみれながら隠れているのだと思います。
それを踏まえた上で、自分にはどうにもならないこと、自分の生き方を受け入れ、与えられた時間とモノの中で幸せに生きるために必要なことは、笑いあうことと思いやること、そして感謝の心なのでしょう。日々食べていくだけでカツカツであるはずの滝川家でそれが実践されたことは、ひとえにコロッケさんのお母さんの生き方だったのだと思います。最後の方で、コロッケさんがお母さんに欲しいものはないかと尋ねたところ、食べることができてお風呂に入れて眠ることができたら幸せだ、と言っている場面がありました。本当は、誰もがそのために豊かさを求めて働いてきたはずなんですよね。
もう1つは、教育の意味です。
学校の勉強はできるに越したことはない。スポーツだってできるに越したことはない。人と話すことだって、皆勤だって、できるならそれに越したことはない。ですが、何より大切なことは、素の自分を受け入れてくれる存在なのだと思います。子供は親の見方(親の親自身に対する見方、子供の受け止め方)を取り込み、内在化して自分の価値基準とします。親に嫌みやいじめのような躾を受け続ければ、どれだけ勉強ができても、スポーツができても、大会社に入ってよい収入を得られるようになっても、歪な人間になってしまう。
笑いをとるタレントさんに対しておかしな表現かもしれませんが、コロッケさんはとても素直で真っ直ぐな方だと思えます。もちろん海千山千の芸の買いを渡り歩いてこられたのだから、人間関係の駆け引きだってみにつけておられるでしょう。それでも、そう思わずにはいられない、柔軟で人を愛する気持ちが行間からひしひしと伝わってきました。
東北大震災の慰問に行かれ、各地で被災を受けた皆様と寄り添う姿勢、そして一番最後に述べられたお母さんへの「人の役に立てる人間に育ててくれてありがとう」という感謝の言葉は、この本の題名とともに、心に深く刻み込まれました。
私もまた、多少なりともそうなることができればいいのだけど。
4.おすすめ
自分が歩む人生に、つい文句を言いたくなる時は誰にでもあるのだと思います。私は自分を受け入れるほどに、そのようなことは小さくなっていきましたが、それでも親に向けてモノ申したくなることは、彼らが他界した今でもたまにあります。
一番は、生き返ってくれ、でしょうか。
親孝行一つできなかったじゃないか! とっとと死ぬんじゃないよ!と。
半分冗談ですが、自分のいたらさなさを棚に上げて、つい愚痴ってしまうことが続くと、徐々に生き方がおかしな方向へ行ってしまいかねません。
それゆえに、しっかりと自責で生きていけるような軸があると言い。それもシンプルで具体的でスッと思い出せるようなそんな軸が。
『あおいくま』あせるな、おこるな、いばるな、くさるな、まけるな。
ここでは書ききれない感動が、小さな家族の物語の中にいくつも詰め込まれた本です。
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