ダメだはないよ

日々の棚卸

 

原家族がおかしくなって、

父が家を出ていった後、

しばらく呆然としていた時期があります。

“当たり前”が消えてしまったから。

私にとって、

原家族の皆が家族のまま

ずっと一緒にいることは、

父や母がいることは、

どんなことが起こっても

それこそ天変地異が起こっても、

この世の終わりまで、

“当たり前”のことだと

思い込んでいました。

普段の言葉も行動も、

その元となる世界観も全てが

そことつながっていました。

 

“当たり前”とは、

疑うことなく、

いつもそこにあること、いること

という感じでしょうか。

人によって様々なことをさしますが、

両親がそろっていること、

毎日ご飯が食べられることや

学校に行くことなどもあれば、

銃を手にして戦うこと、

中学生になったら子守をしながら

働いて生活費を家にいれること

という人や時代や国もあります。

本当に、“当たり前”とは千差万別ですね。

 

その“当たり前”が消えると

私たちはとても混乱します。

当人にとっては、

混乱などという“軽い”言葉では

すますことができないのだけど、

それで何をどうしたらよいかわからず、

体の内側に湧きおこった

今生きている世の中への不信が

新しい“当たり前”となって

その“当たり前”に沿って

行動するようになります。

 

“当たり前”がこうなると、

生きづらさが募ってしまいます。

今まであったものが、

“当たり前”としてはありえない状況で

消えてしまうと、

それまで漠然と信じていた

感情や行動の規範が突然失われ、

それに代わるものが見当たらないからです。

フランスの社会学者デュルケムの

アノミーという概念は、

このことを説明するのに当てはまります。

アノミーとは、

直訳すると無規範状態のことですが、

要するに統制が取れていないような

混乱のことと考えてください。

何も一般的に良い状態から悪い状態に

なることばかりを指すのではなく、

例えば、ごく普通の人が

突然大金持ちになって、

食べるモノや着るモノ、

付き合う人々や暮らす場所などが

急激に変化することによっても

生じえる症状です。

混乱が自殺を招くことについても

彼は詳細に言及しています。

 

このことを知ったからと言って

私自身が楽になるわけでは

もちろんありませんでした。

息をするのも苦しくなって、

虚ろとパニックと力が抜けていく感じが

体の中で同時に起こっているような感覚を

今も覚えています。

ただ、苦しいなりに自分に起こったことを

社会学的に説明できてしまうその理屈に

自分がおかしいわけではなく、

そうなってしかるべきだったのだと

頭では理解できたことが、

救いといえば救いだったかもしれません。

 

いずれにしても、

その後しばらく続く混乱の中で、

学生を終え、

社会人となり、

働き始め、

働いているとも言えないような

うだつの上がらない数年を送るうち、

今度は父が自死し、

さらにその数年後、

妹が後を追おうとしました。

哀しいことが起こって、

しばらく耐え、

そこから少しずつ恢復しようとした矢先に

また哀しいことが起こる、

その繰り返しに心の麻痺感というか、

今いる哀しみの世界から

何とか抜け出たとしても、

また同じことが起こるのでは、という、

強烈な恐れが蓄積されていきました。

そんな状態から感情と取り戻し、

記憶の世界であちこちに散らばり、

あるいは隠れ、遠ざけていた自分を

一人一人受け入れ続け、

世の中とつながりなおすまでのことは、

散文的ではあるけれども

これまでもブログのあちこちに記載しています。

 

そして分かったささやかなこと。

涙を流し、

鼻水をたらし、

怒りに絡めとられ、

歯を食いしばり、

でもそうしているうちは

実はまだ最悪の状態ではないということ。

あきらめが命を奪う方向に向かわないように

することが肝要なんだということ。

 

かつての私と同じような境遇の方へ。

(そんな方々が意外に少なくなくて

驚いていた時期があります。)

そういう経験のない人からしたら、

何でそんなに調子悪いの?

と感じられるほど、

何もかもがどうにもならなくて

先行きも真っ暗に感じられて

やりきれなさと無力感に包まれて

いつも体も心も重い状態なんだと思います。

 

そして一言。

もうダメだ…。

そうつぶやくことがある。。。

 

気持ちはわかります。

痛いほど。

体も心も重い。

ちょっと重いのではなく、

もうどうしようもなく重い。

例え気持ちの問題が根っこにあるとしても

少なくともそう感じるのだから

それはそれで仕方がない。

重く動かない体にそれでもムチを打ち、

重く響かない心をひたすら叱咤して、

これまで生きてきたんだから、

そう感じるのは“当たり前”だと思います。

 

でも、そこで一つだけやめてみてください。

もうダメだ…。

そうつぶやくこと。

もうダメ、なんて、ホントないから。

よく言われるけど、ほんとに何とかなるもんです。

 

言葉が変わると未来が変わります。

これもホント。

自分に損になるような言葉は

外に出す必要なんてないんです。

ホントのホント。

言葉は言霊。

私たちを見守る霊の一つなんです。

 

ちょっとスピったけど、

そんな部分の歪みが重なって

つぶやく言葉が出てきたのだから、

まずそこから変えてみましょうか。

 

ー今回の表紙画像ー

『川の土手のススキ』

雲間から日差しが差し込んできれいだったので撮ってみたのだけど、今見たらススキに目が行ってしまう。