1.要約
プロローグより。
『ある夕飯の席のことだった。
「ばあちゃん、この二、三日ごはんばっかりでおかずがないね」
俺がそう言うと、ばあちゃんはアハハハハハハハハ……と笑いながら、
「明日はご飯もないよ」
と答えた。
俺とばあちゃんは、顔を見合わせると、また大笑いした。
……(中略)……
所得倍増計画、高度経済成長、……、バブル崩壊、就職氷河期…。
「今、世の中はひどい不景気だ」とみんなは言うけれど、何のことはない。
昔に戻っただけだと、俺は思う。
変わってしまったのは、人間の方だ。
お金がないから。
ホテルで食事ができないから。
海外旅行に行けないから。
ブランド物が買えないから。……そんなことで不幸だと思ってしまうなんて、どうかしている。
…(中略)…
お金がないから、不幸。
今は、みんなが、そんな気持ちに縛られすぎていると思う。
大人がそんな考えだから、子供も健やかに過ごせるはずがない。
…(中略)…
本当はお金なんかなくても、気持ち次第で明るく生きられる。
なぜ断言できるかというと、俺のばあちゃんがそういう人だったからだ。
…(中略)…
91歳でばあちゃんが大往生してからは、とくにばあちゃんの遺してくれたものの存在を、大きく感じるようになった。
今、みんなはとてつもない勘違いをしているんじゃないだろうか。
四十年前(本著書は2001年発刊)までは確かにあった幸せを放棄して、不幸な方、不幸な方へと進んでいるような気がする。
…(中略)…
幸せは、お金が決めるモノじゃない。
自分自身の、心のあり方で決まるんだ』
原爆の影響で父ちゃんを失い、その父ちゃんの忘れ形見の俺は母ちゃんと暮らす広島の大都会から、昭和33年に佐賀で暮らす母ちゃんの母ちゃん、つまりばあちゃんの家で一緒に暮らすことになった。おばに連れられて、駅から真っ暗な道を歩いていくと、不安でいっぱいになってろくすっぽ周りなんか見ていなかった俺の目に、ある家だけがクローズアップして飛び込んできた。
(いやや、あの家だけは嫌や)
その家とは、川とススキに見事にマッチした、わびしさナンバーワンの、日本昔話に出てくるような茅葺のボロ家だった。
…
何しろ、山姥か何かが住んでいるような家だったのだから。
奥から、意外にも背の高い色白の、すらっとした上品なおばあさんが現れた。
俺が中学を出るまで一緒に暮らすことになるばあちゃんとの出会いだ。
ある日のこと。
家の前、5mほど向こうに8mくらいの幅の川が流れている。
ばあちゃんに着いていくと、川の水面すれすれに一本の棒が渡してあり、その棒に木切れや何かが引っかかっているのだ。
「川はきれいになるし、燃料はタダ。まさに一石二鳥だねえ」
と豪快に笑うばあちゃん。こんなに前から環境問題に取り組んでいたのである。
棒に引っかかるのは木だけではなかった。川の上流に市場があって、いびつな形をした野菜 - 二股になった大根や曲ったキュウリが流れ着く。
「二股になった大根も切って煮込めば一緒。曲がったキュウリもきざんで塩でもんだら一緒」
半分傷んだ野菜も、傷んだところだけ切って使ったら同じ。
夏にはトマトが冷えながら流れてくる。
「わざわざ配達までしてくれると」
「勘定もせんでよか」
ある時は、真新しい下駄が流れてきた。
「片方あっても仕方ないから、薪にしよう」
俺が斧を手にしたら、ばあちゃんが言った。
「二、三日待ちなさい。もう片方も流れてくるよ」
本当にそうなった。
「片方無くしてしまったら…あきらめてもう片方も捨てる。うちの前で一足が揃うようになる」
広島でも貧乏だったが、俺はワンランク上のド貧乏になってしまったのだ…。
けれども、それは、普通では体験できない、ものすごく楽しい日々の始まりでもあった!
2.著者について
島田洋七氏(本名:徳永昭広氏)は、島田洋八氏と組んだ3代目B&Bで、漫才ブームを作り上げた一人だ。子供の頃、テレビをつけると面白い元気なおじさんが「もみじ饅頭!」とやっているのを見ていた。キューティクルつやつやのおかっぱ頭が記憶に残っている。40代より上の方はご存知かと思う。
北野たけし氏とは親友で、「俺の彼 - がばいばあちゃんスペシャル」にも書いている。本作も、ふたりの話の中で北野たけし氏に「それ本に書け」と言われて、「頭のええ奴の言うことやから聞いておこう」というきっかけから本になった(と記憶している)。
テレビでのパワフルな姿とは裏腹に、漫才ブームが終わった後、台本を見ても吐き気を催す状態になり、ばあちゃんから仕事をやめるように言われ、テレビの仕事から遠ざかった経緯がある。その時のばあちゃんの言葉「山に登る前にはまず谷に降りる」(うろ覚えですが、こんなセリフがあったと、これも記憶している)の教えにしたがって一時期は芸能界の一線から退いている。
3.気づき
気づきというか、誰しもが心の底ではわかっていることを実際に文字にするとこんなエッセイができあがるのかな、と思う。要約のほとんどをプロローグが占めたが、それはエッセンスが詰まっていたからだ。貧しさの中の豊かさは、日本では中世から謳われているが、その現代版を地で行っているようだ。広島から佐賀に映ってきた昭広少年がばあちゃんと暮らす日々、学校の運動会や友達、先生とのこと、遠足のこと。湯たんぽを水筒代わりに遠足に持っていったら、最初は格好悪かったけど、最後は自分だけお茶が残ってみんなから分けてくれと言われて人気者になったこと。どの話も、どこか懐かしい。
野球のスパイクを買いに行ったときのばあちゃんの会話がなんかいいので、下記に掲載する。
『いざというときのための一万円札を持ってスポーツ店に行ったばあちゃんは、店じまいを始めている店主のおっちゃんに向かって言う。
「一番高いスパイクください」
「はあ?」
「一番高いスパイクください」
…中略…
おっちゃんは一旦店の中に入って、上等のスパイクを持ってきてくれた。
「はい、二千二百五十円になります」
「そこんとこを何とか一万円で!」
必死の形相で握りしめた一万円札を差し出した。
おっちゃんは
「いや、そういうわけにはいきません」
と困り果てていた。
多分ばあちゃんは久しぶりに使う一万円札に興奮し、そして緊張していたのだろう。』
ばあちゃんの話ではないが、こんな話もあった。
一人、ご飯と梅干とショウガだけの弁当を持って行った運動会。お昼になるとアナウンスが流れる。お父さん、お母さんと一緒にお弁当を食べましょう。校庭から聞こえてくるワイワイという喧騒にほとんど涙ぐみながら、昭広少年が一人教室で質素な弁当を広げようとしていたら、担任の先生が入ってきた。
「あのな、弁当取り換えてくれんか。先生なんかさっきから腹が痛くてな、お前の弁当には梅干しとショウガが入ってるって?」「はい」「助かった、お腹にいいから取り換えてくれ」卵焼きにウインナーにエビフライ。それまで見た子もないような(!)ご馳走が入っていた。
そんなことが、学校を卒業するまで毎年続いたという。もちろん、それは先生たちの優しさで、六年生の時にその話を知ったばあちゃんが「それが本当の優しさだ」と少年に伝えている。
中学生の時のマラソン大会では、授業参観にも運動会にもこれなかった母ちゃんが来てくれて、足の速かった昭広少年は雄姿を見せようと先頭を切って走り続ける。こんなシーンだ。
『「昭広、頑張って!」
母ちゃんの声援に叫ぶ。
「かあちゃーん、速かろうが! 勉強はできんばってん、足は速かろうが!」
母ちゃんの前を通り過ぎてしばらくすると、かみ殺したような嗚咽が聞こえてきた。
バイクで先導してくれている先生が声を殺して「ウッウッ」と泣いているのだ。
「徳永、良かったな、母ちゃん、来てくれて」
少年が首にかけていたタオルを先生に差し出す。
「お前が拭け」
先生が泣きながら笑ってタオルを返す。
「先生が拭いてください」
「いいや、お前が拭け」
「先生が拭いてください」
「いいや、お前が拭け」
しばらくタオルを押し付けあった後、先生は言った。
「ふたりで泣いてる場合か。もっとスピード上げて頑張ろう」』
頑張るという言葉は好きではないが、ここではそんな意味では使用していない。
私の野暮な気づきや説明より、そんなエピソードのもととなるがばいばあちゃんの“楽しく生きる方法語録”からいくつかかいつまんで記載します。
- 悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすればなんということもない。
- 通知表は0じゃなければええ。1とか2を足していけば5になる。
- 葬式は悲しむな。ちょうどよかった。しおどきだった。
- 人に気づかれないのが本当の優しさ、本当の親切。
- 世の中には病気で死にたくない人がおるのに、自殺なんて贅沢。
- あんまり勉強するな。勉強すると癖になるぞ。
- 海水パンツなんていらん。実力で泳げ。
- 貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。自信を持ちなさい。うちは、先祖代々貧乏だから。
- 「ばあちゃん、英語なんかさっぱり分からん」
「じゃあ答案用紙に『私は日本人です』と書いとけ」
「感じも苦手で…」
「『ボクは平仮名とカタカナで生きていきます』って書いとけ」
「歴史も嫌いでなあ」
「歴史もできんと?『過去にはこだわりません』って書いとけ」
- 「人間は死ぬまで夢を持て!その夢が叶わなくても、しょせん夢だから」
- 頭がいい人も、頭が悪い人も、金持ちも、貧乏も、五十年たてば、みーんな五十歳になる
4.おすすめ
さらりと読めるエッセイです。彼の人となりを受け付けない人ならともかく、ちょっとした隙間時間を利用して、小さな勇気が得られると思います。
カウンセリングなどで、自分にはこんな家族はなかった、先生とも学校の友人ともいいことなんて何もなかった、と言う人に、過去の自分を見てしまいますが、それもまた見失った愛着を求める感情がそう言わせていることに気づいてほしいなと思うときです。この本に限りませんが、前向きな本を読んでどう感じるかは、心の健康のバロメータになると思います。
ほんとうに、幸せとか居心地のよさとかは、日常のさりげない時間と人の関係の中に潜んでいるものです。漫才師というのもあるのかもしれませんが、この本に限らず、一連の著作には、人を悪く言ったり追い詰めたりするところが微塵もありません。そんな生き方はとかく行き詰りがちな私(たち)にとって、あまりに真正面に堂々と見えすぎているが故に、普段見逃していることなのかもしれません。
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