現実は、自ら望んだ結果が反映されたもの?

日々の棚卸

 

1.私たちの目の前にある現実

現実は、自ら望んだ結果が反映されたもの。

そう聞いた方も少なくないかと思います。

『思考は現実化する』などの

有名な本のメッセージや、

精神医療・心理カウンセリングなどが

徐々に市民権を得る中で、

自ら不遇を引き寄せているように見える

クライアントの言動から、

啓蒙的な意味も含めて

そう言われるようになった

経緯があります。

 

…と言われたところで、

自分がその当事者として、

日々がうまくいかず、

生きることが苦しいと感じていると、

 

現実は、自分が望んだ結果だって?

そんなことあるか!

 

私たちはそう反発したくもなりますよね。

『望んだ』現実が現れる、というのは

一面の真理ではあるのかもしれませんが、

本来の意味を伝わりづらくしてもいると

私は考えています。

 

2.私たちにとっての現実

一方で、自ら望んだかどうかはさておき、

現実が受け入れがたい状況にあるのも

また確か。

朝起きてから夜寝るまで、

時には夢の中までも、

嫌なこと、辛いこと、受け入れがたいことで

埋め尽くされていると

もう何もかもがやりきれなくなってくる。

 

今日もあの上司に嫌みを言われた。

昨晩も寝汗を書くような嫌な夢を見た。

明日もまた叱られるに決まってる。

 

職場に行くのが辛い。

仕事がどうにも好きになれない。

人の輪に入っていくことができない。

やることなすことうまくいかない

生きることそのものが苦しい…

 

ならば、

職を変える、

新しい仕事を見つける、

ハードルを低くして始める、

自分が入りやすい人の関係を見つける、

または作る、

一日一回は自分から他者に声をかける、

パートナーを見つける。

行動を起こすことが怖くて

なかなか踏み出せないなら、

一度に目標に向かおうとしないで、

実践することを細切れにしたうえで、

一日一歩ずつ確実に進んでいく。

 

…と言葉にするのは簡単だけど、

実際には行動を躊躇することが続き、

何となく面倒くさかったり、

どうしたところで自分には無理だと思ったり、

こんなことやったってと言い訳したりで、

どこかであきらめてしまっているのが

現実ではないでしょうか。

 

3.私たちが知るべき現実

本当はわかっているのかもしれません。

本質ではないと。

仕事も、人の関係も、結果だと。

 

自分を変えたい。

生活を変え、

生き方を変え、

人生を変えていきたい。

今のままではなぜか苦しいから。

 

では今のこの現実は、

いったい何なのだろう。

 

米国の有名な心理カウンセラー、

故カールロジャース氏は、

現実とは幻想のことだと言ったけど、

幻想だろうが現実だろうが、

今目の前にある世界は自分にとって、

なぜこれほどに苦しいのだろう。

 

『自分の内面を映し出した世界』

 

それこそが現実であることは、

少し冷静になって自分の心を覗いてみれば

わかると思います。

確かに、今目の前に展開されている現実は

決して自ら望んだものではないと

言いたくなりますよね。

でも、望むと望まざるとにかかわらず、

今の現実になるように

無意識の中で内面世界を描き、

描いた内面の“現実”に沿って

考え、感じ、動いているのだから、

外側の“現実”も同じように

形作られるのはごく自然の摂理でしょう。

 

ならば、今の良し悪しの判断基準で

現実を見ても仕方がない。

というより、そのような見方は

さして意味がないことになる。

 

もちろん、命を絶ってしまったり、

人を殺めてしまったり、

などというのは無しですよ。

ただ、日々、

追い込まれている出来事、

感情を害している出来事、

未来を見る力が失せる出来事、

そういった一つ一つの出来事に対して、

今の判断基準の方が

となったりはしないでしょうか。

 

4.私たちが必要とする現実

では、どうすればよいのか。

目の前に臨んだわけではない現実が

次々と続き、

しかもその出所は他でもない、

自分の内側に起因していて

言い訳の仕様もない、

加えてそれが、

永遠に続くかのように感じられて、

気持ちが折れてしまうのは

もうやめにしたい。

 

ならば、いかがでしょう。

一つ提案があります。

 

一つ一つの出来事を

単純に良し悪しで受け取ることを、

少しの間棚上げにしてみるのは。

 

なぜって?

 

私たちが何かについて

良し悪しをジャッジするのは、

それが私たちにとってメリットがあるから、

必要があるからですよね。

それが、ジャッジし続けた結果、

際限なく日々が行き詰り、

どうしようもなくなっているのなら、

消えてしまいたい、

自分のことも人のことも、

この世のことも

憎んでしまうくらいなら、

今のその受け止め方を

一度手放すことを試みても

良いのではないでしょうか。

 

慣れ親しんだ感覚、

慣れ親しんだ判断、

慣れ親しんだ反応、

慣れ親しんだものを、

たとえ一時期とはいえ手放すのは、

不安になるものです。

特に、効果が感じられそうにないときには。

 

しかし、自分が変わるということは、

そういうことです。

これが変わることの全てではないにしても、

自分の変化を意味する一つです。

 

実際、

何かが、違っているんです。

何かが、狂っているんです。

自分のジャッジによって

自分が悪くなり続けるなら、

何かが、歪んでしまっているんです。

 

ジャッジをする、

考える頭も、

感じる心も、

魂が宿る精神も、

それ自体が自分の外側の世界の影響を受けて

今の状態になっています。

そう考えると、

大元を見直す時に来ているのかもしれません。

 

私たちが必要な現実は、

私たちが生きていたいと思う現実で

あるはずです。

そこにいたい、

自分の意志でそうしたい、

彼と彼女と一緒にいたい、

生き続けたい。

この愛しい世界を、

人生を、

自分自身を、

感じ続けていたい。

 

私たちが必要とするのは

そんな現実のはずです。

 

ー今回の表紙画像ー

『夜桜と月』

夜桜にはちょっと早かったです。

飼ってるウナギの餌用に小魚を採取。

土手を見上げるとちょっと不安なお月様が出ていたので、

すぐ近くの桜の木が並ぶ、夜も人通りがある遊歩道まで

出て取ったのが表紙の写真です。

びびり。。。