苦しみ
哀しみ
怒り
どれも心の痛みです。
そして、
できることなら味わいたくない感情。
でも、残念ながら、
全く味わわずに済む人もいないですよね。
ちょっとしたすれ違いや忘却、勘違い。
繰り返される同じような衝突やミス。
その場限りの出来事なら、
多少腹が立っても、
やり過ごせばそれでいいかもしれません。
ですが、
どれだけ注意しても、
何度も繰り返されるのなら…。
原因を探っていくと
おそらく例外なく、
親を始めとする、過去の人間関係の中で
培った出来事に行きつくのではないでしょうか。
ああ、そうだったのか。
思い当たる、気づく、感じる、
そんな感覚の中で、
自分の中に生じた感情に
寄り添い、
癒し、
次の場所へ向かう。
それまでの現実が嘘のように、
充実感というか、
確信というか、
そういった感覚が蘇ってくる。
これでもう大丈夫。
そう感じて、
今一度忘れかけていた新しい世界に向けて
走り出せると思えるようになるかもしれません。
正しく進んでいるのだと思います。
内的な変化が、充実や確信を伴うというのは、
とても大切なことだから。
ただ、その時に…。
加えて一つ、実行してほしいことがあるんです。
症状がよくなること、
落ち込んだ状態から回復すること、
これらはもちろん必要です。
同時に、この状態、
心の痛みには自分を知る学びの意味があります。
あなたをこの場に導いてきた
ドライブフォース、=原動力についてです。
苦しい、だから何もかも悪い、
というわけではありません。
もちろん、家族史に纏わる出来事などには、
救いようのないこともあるかもしれません。
あえて詳述しませんが、
本来あってはならないような出来事の故に、
世の中の見方も、自分の捉え方も
歪んでしまっていたりするからです。
苦しいとき、
哀しいとき、
怒りに震えているとき、
心が痛いとき、
その裏側には、ある感覚があります。
それを知るために、一つ深呼吸して
その問題と向き合ってみてください。
例えば、
なぜ今、やりたくもない仕事をしているのか。
なぜその選択をすることになったのか。
そこから何が学べるのか。
あるいは、
なぜ今自分を取り巻いている人の関係に
安らぎがないのか、
私的な関係が築けていないのか。
そういったことです。
もしかすると、
不遇を嘆く親だったり、
諍いの絶えない家族だったり、
貧しさに喘ぐ家だったり、
そんな環境で生きてきて、
両親に、家族に、
哀しい思いをさせないために
あなたは必死になって勉強にスポーツに
成果を求めてきた結果なのかもしれません。
きっとそれなくしては、
たどり着けない場所に
いるのではないでしょうか。
考えてほしいのは、
なぜそこまで来ることができたのか、
そうする必要があったのではないか、
ということなのです。
もし今行き詰って苦しいのなら、
それはこれまでのことが全て
間違っていたのではなく、
その方法〝だけ”では進まなくなった
ということではないでしょうか。
大切な誰かのために生きようとすることが
どれほど自分を鼓舞し、
勇気づけてくれることだったのか。
そして、自分の中には、
その勇気にこたえられる、
巨大な力が眠っているということ。
今いる場所が苦しいのは、
間違っているからではなく、
もうそこにいる必要がなくなった、
と教えてくれているのではないでしょうか。
自分のために生きること、
自分を大切に生きることが
あちこちで説かれています。
その通りだとは思うけれど、
一方でなぜかうまくいっていない人も
少なくありません。
それは自分にフォーカスするあまり、
これまで自分が持っていた力や
発揮してきた威力をも
切り離してしまっているからではないでしょうか。
ここまで自分を生かし、
連れてきてくれた力に気づくとき、
自分の中に感謝の情が湧いてくるのではないでしょうか。
苦しいことから、
哀しいことから、
怒りから、
距離を置けるなら、距離を置くことは大切だけど、
その感情がなぜ出てきているのかを
自問してみてほしいのです。
今あなたがいる場所がとても辛い場所なら、
それが、
仕事上の軋轢であれ、
上司や同僚からの疎外であれ、
居場所のない家庭であれ、
そこにたどり着くまでの生き方、選択を
今一度見直してみてはいかがでしょう。
ー今回の表紙画像ー
『川の散歩の空』
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