使わないと退化する

日々の棚卸

 

自転車や水泳。

一度身に着けると体が覚えています。

それでも再開時はどこかぎこちない。

 

会話に使用する言語は

使わないと退化していきます。

 

留学して、英語やフランス語などの外国語を

日常的に使用していた人が、

その後、帰国したりして、

何年も使用する機会がなかったりすると、

まともに会話することさえできないことも。

 

これは、日本語でさえそう。

長く話をしていない人は、

人と意思疎通するという感覚そのものが退化して、

久々の会話のとき、

舌が回らなかったりします。

 

馬が合うとか合わないとかの前に、

会話のキャッチボールが

スムースにいかなくなります。

 

あれ、この感じ、何ていうんだっけ。

どう表現すればいいんだろう。

そんな感じ。

 

普段運動している人は

よくわかるのではないでしょうか。

 

日常的にジョギングしていた人が、

何らかの理由で1か月やめていて

再開すると、

走ること自体がやたらきつい。

 

心肺機能がついていかない。

足腰がついていかない。

何より、精神的についていかない。

 

慣れてしまうんですよね。

体も心も。

 

使っているものは、

使うように慣れていき、

使わないものは、

必要ないと退化する。

 

精神的に、と書いた通り、

心も同じなんです。

もっと言うなら感情も同じなんです。

 

歯を食いしばって、

平気なふりして、

日常にキャッチアップしようともがく日々。

 

もう終わったことだからと

見ないようにしているうち、

傍らに放置したままの自分の感情と

その感情を感じ取る心は

退化していきます。

 

退化していくのだけど、

厄介なことに

消えたりしない。

 

使う必要がなければいいんです。

 

でも、

足腰が決して不要にならないように、

 

感情は必要があるから芽生えるわけで、

その対処と、

その後の生き方へのフィードバックこそが

あなたのための人生を歩む

最大の道標となるはず。

 

本来感じる必要がある感情や感覚を

いちいち感じ取っていたら

仕事が続けられないから、と

遠ざけているうちに、

 

あなた自身を大切にして

これからの人生を充実させてくれる

オリジナルの『選択の基準』を見失ってしまいます。

 

しっかり感じて対処して、

その繰り返しの中にこそ、

自分と他者と世界を容認し、

生きることを肯定する感覚が

身についていきます。

 

これをして自信というのではないでしょうか。

 

うまくいかないことが重なって、

腹を立てたり、

哀しんだりしているなら、

その感情を遠ざけたり、

無意味にスポイルするのではなく、

しっかり感じ取り続けましょう。

 

人によってはある意味とてもきつい作業だけど、

これをやらずして、

自分が納得いく人生を歩むことは、

ありえません。

 

使わないと退化します。

でも必要なくなるわけではない。

退化したものを元に戻す作業は

これまた大変。

 

親のこと、

夫婦のこと、

会社のこと、

友人のこと。

 

あなたの中に生じる感情を

しっかりと感じ取ることを

怠らないように。

 

その結果、一時的に

相手との関係が悪くなることはあっても、

自分を大切にすることは

自分を裏切りません。

 

それにしても思い出すな。

骨折して5㎞のジョギングができなかった後、

復帰直後は500mで息切れしたもんなあ。

 

ー今回の表紙画像ー

『墓参りの帰りの道より』

真夏の炎天下。暑かった。