嫌なことから逃げないままだと、
楽しみを求める感覚がマヒしてくる。
当然といえば当然で、
嫌なことに耐えるには、
嫌なことを嫌だと感じて
そこから逃げ出そうとする
反対側の感覚があると邪魔になるから。
嫌なことという基準をなくして、
嫌なことが常態とする感覚で、
楽しみという基準を
感じないようにしてしまうから。
よく、
嫌なことからは逃げずに、
やりたいことをやろうとしないのは変だ
というけれど、
肝心の、
やりたいことをやろうとしない、
やりたいことがわからない、
というのはそういうメカニズムでは
ないでしょうか。
嫌なことをやって、
生活に必要なお金を稼いでいて、
そこに大好きなことがわかってしまって
大好きなことでお金を稼ぐことに挑戦して、
それを始めたら、
その大好きなことでお金を稼いで
生活できるようになる前に、
嫌な仕事に耐えられなくなってしまう。
少なくとも私はそう考えていました。
それが怖いから、
自分のやりたいことをやろうとしたり、
やりたいことを探したりすることに、
どこかで心にセーブがかかっている。
無意識の反応でしょう。
とりあえず、
楽しいこと、
面白いこと、
ほっとすること、
気持ちのいいことを、
探しては
思い出しては
やってみることもあるでしょう。
そして、試してみると
確かにそうだと感じるでしょう。
続けてもいいかな、
とも感じるはず。
違うな、と感じて、
次を始めることもあれば、
少し休むこともあるかもしれません。
そうやってまた、
再開したり、
新しい何かを始めたりします。
楽しいこと、
面白いこと、
気持ちのいいこと。
でもやっぱり、
何か続けられなかったり、
新しい仕事として進められなかったり。
相も変わらず、
嫌なことだけやって
何とか日々の生活を凌いでいる。
嫌なこと、
辛いこと、
やたらの頑張りは、
避けられるなら
避けた方がいいはずなのに。
もしやりたいことが見つからない、
好きなことがわからない、
得意なこともない、
と自分が認識しているのなら、
あえて、
次のことを考えてみては
いかがでしょうか。
使命感。
やりがい。
一大事因縁(※末尾参照)。
好き、とか、得意、などと
言っている暇もなければ、
考えたこともない。
何ができるかもわからない。
でも気がつくと、
やっていること、
考えてしまっていること。
こう書くと、
そんなものはない、
と言われるかもしれません。
ですが、
気がつくとやっていることとは、
例えば、
いつも頭の中で考えてしまっていること
妄想してしまっていること、
常に胸を痛めていたり、
飽きもせずに想い描いたり、
していること。
嫌なことばかりしている時は、
往々にして、
考えていることも、
やっていることも、
あまり楽しくないことなのでしょう。
であれば、
なぜいつもそんなことばかり考えてしまうのか、
なぜいつもそんなことばかりやってしまうのか、
その裏側にある感覚を汲み取るところから
始めてみてください。
それはあなたの中で、
何とかしたいと思っていることだったり、
実現したいと感じていることでは、
ないでしょうか。
きっとそれは、
作業が好き、とか、
そんなこと無理、と
思っていることなのかもしれません。
でも、
好き、や、得意、で
やりたいことが見つからない、
継続できない、
というのであれば、
そんなところをもう一つの
切り口・突破口にしてみては
いかがでしょうか。
※一大事因縁
仏様がこの世に現れた最大の目的のこと。
ー今回の表紙画像ー
『テトラポットに乗っかった流木』
この間の大水の時らしい。水の威力は凄い。
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