惰性、
言われたまま、
既存のレール、
そう表現されると、
何だか聞こえが悪いですよね。
でも実はこれ、
生きる上でとても必要なことだと思います。
親のこと、
子供のこと、
伴侶のこと
未来のこと、
仕事のこと、
風呂ではどこから洗い始めるか、
朝ごはんは何を食べるか、
何時に寝るか、
選択は何時に始めるか、
こう言われたときの反応は?
服はどこから着替えるか、
……
よくあることを毎回考えていては、
日々が回らなくなってしまう。
だから、考えることも行動することも、
自動的に済ませられるようにすることは
自動的に済ませるようにする。
人が進化の過程で身に着けたことです。
その上で、振り返ってみたいこと。
仕事や人間関係に行き詰まったり、
抑鬱的になったりした場合に、
認知行動療法などを使って、
日常の中で自分に染み付いた
自動思考を見つめなおすことがあります。
生きづらさの源になっていないか、
ということですね。
実際、子供時代は
良きにつけ、悪しきにつけ、
親や学校の強いた道を
ある程度は歩んでいるものです。
気がつかずに続けていることもあれば、
納得した気になってることもあれば、
仕方ないとあきらめていることもある。
これまで見聞きしてきたことから何となく、
一流企業に入って安定した生活を送る、
有名になって大金を稼いで優雅な生活を送る、
などと本音ともつかない曖昧なイメージの中で
仮初の理想なるものが占有してしまっている。。。
我が国の職業学の欠如を嘆いたのは、
元祖相談業の本多信一さんですが、
働くということ、
稼ぐということ、
社会に貢献するということ、
自分の人生を生きるということ、
自分の力で生活するということ、
平成の御代以降、
そういった生きる根本の部分で、
とても多くの人が迷っています。
さて、
あなたの今現在は、
どうでしょう。
繰り返しますが、
惰性とか、
言われたままとか、
既存のレールとか、
それで今が、
まあこんなもんだろう、
そう思える人はそれでいいと思います。
ただ、現実を見ると、
本音では、
窒息してしまいそうな日々を送っている人、
暴発してしまいそうな人、
頽れて、立ち上がれそうにない人、
そこから二進も三進もいかない人
毎日の生活に吐き気がする人
仕事の話が頭に入ってこない人、
もしそうなってしまっているなら、
自分が本音で生きるために、
自分を慈しみ愛するために必要ことが
もう『そこ』にはない、
もう『そこ』では生み出せない、
ということなのかもしれません。
ちょっと酷な話かもしれませんね。
これまで頑張ってきてたどり着いた場所が、
既にそこにいても仕方ない場所だ、
と気づくことは。
今さらどうしろというんだ、と。
どうしなければならない、
ということはありません。
自分の気持ちを整理したり、
吐露する場に出向いたり、
十分な睡眠をとるなどして、
少し余力を作ってみてください。
うまくいってない自分を受け入れきって、
怒りや恨みの感情を手放して、
素敵な“妄想”の時間を持って、
自分自身と、次の相談をするんです。
その昔の私のささやかな希望は、
生きた川の流れる街に暮らして
嫌で仕方のない仕事をすることなく、
心身をすり減らすことなく、
十分休養が取れて、
健康的に自分のペースで、
暮らしていくことができる、
そんな、ある意味誰もが普通に思い描く
生活でした。
父母が他界し、
周囲から自分より目上の人が減っていく中で
切に感じるのは、
自分個人の欲求は、
身近なところにある、
ということです。
そして、身近な欲求を認め、
実現していく過程で、
豊かさも自然に実現されるのではないでしょうか。
半世紀以上も前の世相をもとに
21世紀の今もまだ、
その場その場でメディアが作り出した価値観なるものを、
自分の本来の欲求とは関係ないところで
追い続けていませんか。
大義のない無理は、
自分にも、
周囲にも、
世界にも
ただただ、良くない影響を与えるだけです。
既存のレールは決して悪いものじゃない。
ただ、そこに
自分の居場所がない、
やるべきことがない、
そう感じるのであれば、
新しい場所へ向かうときが来たのかもしれません。
もっと自分に合った仕事をしたいんです。
相思相愛の相手が欲しいんです。
収入をあげたいんです。
いえ、その前にもっと自分を認めたいんです。
睡眠時間をたっぷりとりたいんです。
落ち着いて暮らしたいんです。
もっと格好よくなりたいんです。
未来の不安を取り去りたいんです。
自信が欲しいんです。
さて、何と何を始めましょうか。
ー今回の表紙画像ー
『地下鉄の出口に見えたお月様』
なんかこういうの好きだな。
最近のコメント