習慣化:慣れと麻痺の話

日々の棚卸

 

先日、有名な某店で

お弁当を買って食べました。

 

おいしかったです。

 

…が、

 

普段薄味に慣れているせいか、

とても味が濃く感じてしまい、

妙な感動を覚えました。

 

辛い味、濃い味が大好きで、

もともと食べること自体が好きな友人の紹介で、

彼によると抜群な味だとか。

 

「確かにこういうの好んで食べる奴だよな~」

 

食べ終わり、口の中を中和すべく

ウーロン茶をグビグビやりながら、

自分の慣れについて思いを馳せました。

 

 

慣れを習慣と読み替えれば、

意識するしないにかかわらず、

慣れることを習うことですよね。

 

私たちは多くの習慣を身に着けています。

 

食事の味や素材、

睡眠時間、

日々の運動、

入浴や歯磨き

喫煙、

飲酒、

予測の傾向、

オプティミスティック、

ペシミスティック、

休み時間の使い方、

お金の使い方、

衣服の色やデザインの選択、

言葉の選択、

言動の受け止め方

部屋の掃除、

整理整頓、

就寝前の瞑想、

祈り…

 

これらの中には習慣化することで、

心身を整えていることもあれば、

自分を追い詰めてしまっている

ものもあるでしょう。

 

程度の問題もあって、

程ほどならよいけれど、

度を越えると悪影響をもたらす

ものもあるでしょう。

 

目に見えるものもあれば、

判断や感情の選択など

目に見えないものもあるでしょう

 

いずれにしても習慣化することで、

都度思考する労力をスキップしているのは

事実です。

 

習慣化のメリットはというと、

 

・都度思考せずに済む。省エネ。

・面倒くささ、心身の負荷による回避の防止

・忘却の防止

 

などがあります。

 

そして一番のメリットは、

塵も積もれば山となる、の言葉のとおり、

 

日々の営みは小さくても、

積み重ねることにより、とても大きな

(通常は良い意味での)影響=効用を得られる。

 

 

さて、先にいくつか挙げた例の中には

出来れば避けたい習慣もありますよね。

 

やたらペシミスティックだったり、

相手の言動を疑ってばかりだったり、

何かにつけて怒ってばかりだったり、

何をするにも悪い予想ばかりしていたり。

 

慣れることを省エネと言った通り、

これはある意味楽をすることです。

 

習慣化はだから力がある。

 

そして、先に効用という言葉で

習慣の威力を表現しましたが、

効用には負の効用もあって、

それが心身を蝕んでしまうこともあります。

 

生活習慣病などはその典型でしょう。

 

この言葉に反発を覚える人の中には、

別に習慣化したくてしたわけじゃない、

と言いたい方もいるはず。

 

そう!

 

習慣とは、

意識して身に着けるものと

気がついたらそうなっているものがあるのです。

 

別の言い方をすると、

意識して振り返ってみた時、

望まない習慣が身についていることを

知ることもあるわけです。

 

もっと言えば、

特に目に見えないことなどは、

習慣とさえ思っていないこともあるでしょう。

 

特に、周囲の出来事に対する

思考の傾向、

感情の傾向、

 

そういったものは都度自分が

『適切に』考えた上で妥当と判断している、

そう思い込んでいることが多いものです。

 

いえ、それは長い年月の間に、

習慣としてひとまとめに

その傾向が根付いたのかもしれません。

 

今が辛い、苦手な人が何人もいる、

過去の記憶に襲われている、

 

そういった場合には、

自分の思考や感情の選択について

見直してみるといいかもしれません。

 

楽しくも面白くもないことに

機械のように適合するのは

人のなせる業かもしれないけれど、

 

その結果生じる感情や選択の麻痺が

時間を浪費していることはままあります。

 

特に、感情的なことはその最たるものですが、

同時に最も正当化しやすいこと

でもあるのです。

 

苦しいのなら変えればいいのだけど、

慣れてしまったこと=正しいになっていると、

そんなところに思いが至らない。

 

そういう意味で慣れによる麻痺は、

自分自身に対するダメージの麻痺とも

言い換えられる。

 

今の環境、怖いほうに慣れていませんか?

 

慣れは習慣化と書いたけど、

慣れから脱出するためには

次の2つが必要です

 

どこかで線を引く(ピリオド)と決める。

原因を表現し続ける

(最初は間違っていても構わない)。

 

習慣の怖いところは、

それが当然であり労力・負荷と

気づかないことです。

 

だから重宝な手段ともされる。

 

もちろん、

習慣というもの自体が悪いわけでもない。

 

習慣は食べ物に似ています。

 

偏って体に良くない食べ物ばかり食べていると

体は悪くなっていきます。

 

哀しいこと、辛いことが

心から離れなかったり、

継続して嫌なことが起こる場合、

 

原因が今にはないことが往々にしてある。

 

その時、一足飛びに問題に直接アクセスして

解決できればいいけれど、

 

多くの場合、

その手前に問題を隠してしまうような

目の前に出来事を重大視する『習慣』が

立ちはだかっているものです。

 

馬鹿らしい、

私が正しい、

あるいは私が間違っている、

 

そんな思い込みを習慣にしていると、

問題の本質が見えてきません。

 

見えてきたから即解決、

というのでもないのですが、

 

解決のスタートラインに立つこともできないと

先へ進むことができません。

 

よく、習慣化の力と言います。

それこそ正しいけれど、

諸刃の剣でもあることを

語彙回いただけたと思います。

 

納得する人生を生きるために、

自分の居場所を得るために、

愛する想いを体現し続けるために、

 

私たちは

習慣化を意識し、

習慣化を『味方につける』

必要があります。

 

わかってしまえば、

後は『習慣化する』だけです。

 

一緒にやっていきましょう。

 

ー今回の表紙画像ー

『暑い…』 禁句?