会社員で幸せな人はいるのか

日々の棚卸

 

何だか随分あおってしまう題目を

つけてしまいました。

 

まるで、会社に勤めている人には

幸せな人なんていないんだよ、

と読めてしまいますよね。

 

でも、

 

一部の例外の方を除いて、

このブログを開いたあなたはきっと

その口ではないでしょうか。

 

その口、つまり…

 

ボクは、ワタシは、

今、会社に勤めています。

 

そして、幸せではないと感じています、と。

 

同時に、

うっすらと、あるいはある程度明確に

感じているのは、

 

けれど、

このままどこへ行っても同じで、

たいして変わらないかも、ということ。

 

もしかすると最初は意識の上では、

自分以外が変わることで、

問題はなくなると感じていて、

 

周囲に文句を言ったり、

部署異動を申し出たり、

転職を繰り返したり、

時には、事業を起こそうとしたり、

するかもしれません。

 

実際それで状況が良くなることも

なくはありません。

 

ですが、多くの場合、

なぜか再び同じ問題に囚われてしまう。。。

 

 

会社員・サラリーマンとして

充実して幸せに生きている人は

たくさんいます。

 

ただ、たくさんいるからといって

自分もそうでなければいけない、

ということではもちろんないです。

 

では、会社員として幸せになるには

どうしたらよいか。

 

『会社員として…』のところは、

このブログを読まれている方には

概して考えたくない問いかもしれません。

 

ボクは、ワタシは、

会社が好きじゃないんだ、と。

 

少なくとも、四半世紀前の私には

そんなところがありました。

 

その後、自らの恢復に努める中で、

わかっている人にはわかっている自明のことを

時間をかけて学びました。

 

正確に言えば、

頭では最初からわかっていたけれど、

ずっと心がついていかなかったこと。

 

それを、この場であえて

述べてみようと思います。

 

耳の痛い話に聞こえるかもしれませんが、

知っておくことは、

あなた自身を守ることにも

つながると思うのです。

 

 

「社会は幸福の面倒は見ない」

知の巨人ドラッカー氏の言葉です。

 

今の仕事の内容が変われば、

上司が変われば、

取り巻きが変われば、

 

幸せに近づけるのか。

 

年収が上がれば、

通勤時間が短くなれば、

もっと有名な会社であれば、

 

幸せを感じられるようになるのか。

 

あるいは、

他の何か期待していることが叶えば、

幸せと言えるのか。

 

さる啓発者は

『会社員をやっているのは

命を削って渡しているようなものだ』

と言いました。

 

生活の糧を安定的に得るためだけに、

勤めていると、

 

そこにある規則と

その中の人間関係のしがらみに絡めとられ、

 

生きる原動力=命を売り渡している感じが

するからかもしれません。

 

その気持ちを受け止めた上で、

会社、組織、というものの機能を

もう一度冷静に考えてみます。

 

会社組織には多くの問題があります。

 

例外はありません。

 

その目的に対して、

最善でもなければ、完全には程遠い。

 

時代に応じた、市況に応じた、社会に応じた、

として、

 

経営が芳しくないからと

業務評価を厳しくしたり、

 

働いていない(ことはないはずなのだけど)社員を

あぶり出して隅に追いやったり、

 

結果全てのWinner Take Allで

給与に大きく差異をつけたり、

 

といったこともあります。

 

会社企業は、機能集団、営利集団です。

 

ですから、

経営が厳しくなったり、

先行きが不透明になれば、

 

共同体的な要素、

 

つまり、

 

直接業務の結果とつながらない

人の関係性や福利厚生などをそぎ落とし、

 

本来の機能要素を整備し、

ガバナビリティを強化します。

 

平たく言うと、

社員に対する締め付けが

厳しくなるんですね。

 

それとリンクするようにして

人の関係もギスギスとなる…。

 

あるいは巷の

ブラックと呼ばれている企業のように

法の目を潜り抜けながら、

 

社員を長く束縛し、

給与に見合わないノルマを与えて

朝から晩まで働かせるかもしれません。

 

パワハラセクハラモラハラ

全部あり、みたいな。

 

そういった経営は、

決して褒められたものではないし、

場合によっては倒産の一歩手前だったり

するのかもしれません。

 

ともかくも申し上げたいのは、

企業とはそういうものだということです。

 

極論すれば(あくまで極論です!)、

 

会社を悪者にして、

自分は正しいと居座って戦っても、

あなたにメリットはありません。

 

では、会社は悪くないとすれば、

自分が悪いのか!

 

そう言われるかもしれませんが、

もちろん、そんなことはありません。

 

あなたにしかわからない

過去の軋轢や理不尽に受けた仕打ちを

自分の責任にするのは、

何にもましておかしなことです。

 

ただ、もし糧を得るためにのみ

働いているのであれば、

 

会社とはそういうものだということを前提として

給与以外の何かをあてにしないで

関わってほしいのです。

 

ある規則のもとに人が集まる場所で

そこに居るのが苦しいならば、

 

そこにはあなたが目を背けている

あなたの影があるのかもしれません。

 

それは、

自信のなさの投影かもしれないし、

見捨てられて途方に暮れた過去の

投影かもしれないし、

恵まれなかった親子関係の再現かも

しれません。

 

そうそう、

 

特定の人が集まる場所に、

“居ること”“居続けること”は

実はとても難しいということも

知っておいてください。

 

会社に勤めることは、

自己実現とかやりたいことやる場所である以前に

生きていく糧を得る一手段です。

 

誰もがそのフレームの中で

個々人の思惑に基づいて動いています。

 

きっと、その組織、雰囲気、取り巻き

入ってみてわかったルール、企業文化、

など、

 

あなたにとっての“合う・合わない”が

あるでしょう。

 

それで合わないと感じるなら、

その感じていること自体は

そのまま自ら受け止めてください。

 

しかし、私が望むものを与えてもらえない、

として、そこに居ながら不平不満を重ねるのは

NGです。

 

それは結局ないものをねだって

自分を痛めつけていることになるからです。

 

何か自分に合うもの、行きたい道が

見出せないからこそ、

あなたは今の状態にあるのでしょう。

 

社内でやりたいことを見つける、

やりたいことができそうな会社にうつる、

事業を起こす、

やりたいことは自分の過去をヒントに

見つける、

 

いつの時代にも言われていた

そういった生き方をしたくて、

 

でも、今の仕事の環境が辛くて、

そんなことを考えたり実行したりする

余力が残っていない、

 

そう感じているなら、

 

次にやることは、

自分が感じていることを自分で受け入れつつ、

今のその環境を生きやすくすることです。

 

ほんとに心身危険だと感じるなら、

まずそこから逃げてください。

 

そこまで危なくはないけれど、

最低限そうあってほしい状況から程遠いなら、

自分から働きかけてみる、

 

それが難しければ、

それに見合う部署や会社を探してみるのも

いいでしょう。

 

それよりも、

周囲に日よって遅くまで居残ったり、

上司や同僚と衝突を起こしたり、

返す刀で家に戻ってからも思い出しては

自分自身を責め続けたりすることを

控えられるようになるといいですね。

 

そういう意味では、

今の会社勤めは一時的と考えて、

 

何をしたら少しは楽しくなるかな、

どんなことを思い出したら気持ちいいかな、

日常に新しい風を吹き込むには、

ルーティンのどの部分を変化させればいいかな、

 

そんなことを考え、実践していきませんか。

 

腐らず、焦らず繰り返していくうちに、

あなたの知らないあなたが顔を出し、

そこに新しい居場所との出会いも

あるかもしれませんよ。

 

ー今回の表紙画像ー

『相模湾夕景』

朝晩涼しい~。嬉しい~。