あなたが今、憤りや哀しみ、絶望など、
誰もが感じたくない、
何かの負の感情に囚われているとします。
もし、その感情が長く続いて、
あなたの生活や仕事によくない影響を
与えているのなら、
その感情には効用があるかもしれません。
例えば、あなたが本当はどう生きるかで
迷い踏み出せない自分と直面することを
防いでいる、といったことです。
限られた人生の時間の中で、
ホントはそんなことしている暇はないのに…。
でも、
そんなことしている暇がないことくらい、
自分が一番わかっている…。
自分がこんな状況になっている原因を
最初は外側に求め、
上司や同僚や夫や妻の言動をあげつらい、
最後に親に行きつく人は少なくありません。
決して、
20代や30代の人に限った話ではありません。
50代、60代、70代、…
死が訪れるまでそう考えている人も…。
かつて(今も?)“毒親”という言葉が
流行しましたが、
これまでの生き方が親と瓜二つだと気づき、
今もいざこざや衝突、批判に終始して
幸せからは程遠く見える親を見て、
自分がうまくいっていないと思うほどに
やがてその親を恨むようになる…。
そういったプロセスが
世の中に知れ渡るようになって、
ずいぶん時間が経ちました。
★
そんな状態が、
今苦しんでいる当座の状況の改善に
何の役にも立たない、
そのことが身に沁みてわかるところに
行きつくまでの時間には、
人によって差異がありますが、
そこに気づいて、
少しずつ成長が再開するようになります。
例えば、あちこちに足を運んだり、
例えば、関連する本を読んだりして、
例えば、内省を続けたりして、
たどたどしいながらも立ち居振る舞いを変え、
自分と人の見方を変えようと奮闘するうち、
自分を受け入れてくれる人がいることを
知るようになります。
すると、
少し成長して、親の影響を受けずに
自分の世界観を持った生き方を実践しよう、
そう決めて、恐る恐るではあっても、
目の前の“壁”に見える何者かに立ち向かう。
そこで周囲との間に起こる、
これまでとは異なった新しい出来事から、
自分の生き方、感じ方、反応の仕方に
“癖”があることを見出すようになると、
さらにまた少し成長して、
親の価値観が皮膚感覚に染み付いて
生き方=判断の指標となっていて、
それが良くも悪くも自分を
“その世界”では守っていてくれていた、
ということに気づく。
さらにさらにまた少し成長して、
よくよく見まわしてみれば、
尊敬していたあの方も、
大嫌いなあいつも、
何となく見ていたあの人も、
親からそう教育されたか、
半面教師にして自分を変えたかであって、
親の影響から無縁の人なんて
誰もいないとわかる。
つまり、
誰もが何かの基準に沿って生きていて、
たいていが親を基準の根っこにしていて、
それは自分も例外ではないということ。
すると、
やってはいけないことが見えてきて、
それは、
今が苦しいから、今が嫌で仕方がないから、
それまでの過去の自分を“無視”して
跳躍しようとすることだとわかる。
とても無意味で、不遜で、愚かで、
これまで精一杯生きてきた自分自身を
馬鹿にする行為です。
少しきつい言い方になってしまいましたが、
どんな過去を持っていたにせよ、
自分が生きてきた道筋を蔑ろにし、
なかったことにして先へ進もうとしても、
結局、道に迷ってしまい、
自分を傷つけだすということが
お伝えしたいことです。
食べたものが体の血肉となるように、
生れてから出会い、接し、仲良くし、
喧嘩し、愛し合い、憎み、許し、
時に引きこもり、一人ぼっちになり、
自分に腹を立て、それでもまた外に出て、
感動し、楽しみ、喜んだ、
多くの人や風景や出来事が
心の血肉となって今のあなたを作っている。
それらの大元となる家族にいた頃に接した
幾つもの場面とそこで感じたことは、
自分の心と体を守り、育み、
土台を作った場所であり、
抱擁される嬉しさ、
そのままの自分でいられた気楽さ、
そこに居ることの当然さを感じた場所であり、
同時に、
人によっては大切なはずの何かが歪み、
蝕まれ、崩れ、壊れるのを見せられ、
愛着の裏返しの
憤り、恨み、怒り、哀しみが心を支配し、
返す刀で自分への蔑みや世の中への怖れを
根付かせてしまったところでも
あるのかもしれません。
そんな感覚を長く持ち続けるうち、
人から距離を置くようになったり、
心の中に重石を感じるようになったりして、
生きづらさ、行き詰まり感で
人生がどうしようもなくなっていたのだ、
というところまで理解するようになると、
家族とは、それほどまでに、
自分の中に根付き、
自分の感覚の基準となり、
それが今のあなたになっているという
宿命であり、実は希望でもあることを
理屈を超えて感じ取るようになり、
これまで経験してきたことは
無駄ではなかった、と
思えるようになるはずです。
本当に、ほんとうに、
あまりに当たり前のことなのに、
ただただ感情に翻弄されて
なかなか冷静に省みることのない、
家族、そして親という存在。
そんな家族の中で醸成され、
あなたの中に根付いた世界の成り立ちと
それを構成していくプロセスを
理解する(感じ取る)ことが、
自分に必要だとわかるようになり、
もう一度心の中にダイブし、
時間を遡って様々な時代のあなたに
会っていくと、
どこかで、
あなたが求めているあなたに出会います。
そこで、求めているものがわかると、
今度は、
どうしたらよいかがわかる。
少なくともどうしたらよいか、
試行錯誤するようになります。
そんな自分になれたら
次に何を求めたいかもわかるようになる。
そんなプロセスが繰り返され、
徐々に自分という存在の一体性が得られ、
その時にはもう、怒りや恨みの素だった
幾つもの場面や人々は、
過去のそれそれの場所に、
今のあなたを苦しめることなく、
帰っていきます。
★
家族も親も、とても面倒で、厄介で、
でも誰にとっても無視できない、
どこかで折り合いをつけざるを得ない存在。
どんな無理解や不可解、
目をそらしたくなるような
環境にあったとしても、
そこは同時に、
今のあなたを作り上げたところでもある。
だからこそ、あなたが求める場所、
人によっては
当然のように心の中に根付いていて、
今さら求める必要もないその場所にいる
もう一人のあなた自身と邂逅し、
その時の感覚を蘇らせることです。
そこはあなたの戻る場所であり、
居場所の一つであり、
生きる基準となるところです。
心の居場所を感じられるようになると、
それまで心の中でせめぎ合ってきた人々や、
目を背けたくなるようなシーンが、
いつしか、
あなたの歩みを後押ししてくれる
そんな力に変わっていきます。
どうかあなたが、
そこに無事にたどりつけますように。
ー今回の表紙画像ー
『曇り桜』
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