外的にどう振舞っていたとしても、
自分の中に入ってくる何かと
たたかっていることはないでしょうか。
そんなところから、
今回の話をはじめさせてもらいます。
★
人が接してくるときの様々なパターン、
例えば、
ちょっとした挨拶や戯れの声掛け、
仕事をミスして上司から受ける叱責や
反対にうまくいったときのお褒めの言葉、
友人、知人、肉親から、
落ち込んだ時の慰めや気分転換の誘い、
絶望している時の寄り添いや無言のケア、
周囲からのいじめやつるし上げ、
大切な誰かからの親密さや愛情を求める仕草、
通りすがりの他人からの気づかい、
などなどは、
こちらの意に沿って起こるとは限りません。
人と人とが一緒に生きる中で、
その場所や状況に応じて、
最初は一方的に生じる事象です。
心が折れていたり、
自信をなくしていたり、
環境に絶望していたり、
といった状態で、
通り一遍の誤魔化し、つまり、
人とはしゃいだり、
アルコールを始めとする依存に逃げたり、
世の中に腹を立てたり、
といったことが過ぎるか、
効かなくなるかして、
むき出しの自分を自分で感じざるを得なくなると、
自分なりに考え、勇気を出して生きてきた末の
取り返しのつかない哀しい出来事に対して、
自責と罪悪感をつなげて植え付け、
自分の言動以前に自分の存在そのものを
疑うようになることがあります。
自分が何かすると、
誰かに迷惑がかかり、
不幸にしてしまう…。
そんな解釈が自分の中で続き、
集積されていくと、
やがて、
自分に生じる出来事の全てに
怖さを覚えるようになってしまう。
これが、生きること自体が怖いことの
一つのプロセスです。
人が接してくるさまざまなパターンを
上述しましたが、
ちょっとした手続きや
ルールの順守など、
少しでも自分にかかわることまでが
自分の中に入ってきて、
対処を求められるとき、
その先に生じると思い込んでいる、
(また誰かを、そして自分を傷つけるのでは…)
という怖さがますます罪悪感を感じさせる…。
「もうこれ以上、中に入ってこないで」
という心の叫びの一因です。
この状態に対して、
ひたすら自分の中に隠れて震えていると、
苦しい状態が続きます。
★
もうこれ以上、ボクの/ワタシの中に
入ってこないで…。
ずっと昔、そんな感覚を抱えて
一人で苦しんでいた時期がありました。
自分が生きていること自体が、
大切な人、つまり親を
どんどん不幸にしている気がして、
これ以上、何をどうしたらいいんだ、と
いう憤りとともに、
当時の小さな世界観と生き方の中では、
文字通り万策尽きた、
という絶望的な日々でした。
自分の中に入ってくることに対処した結果、
想起される不幸な未来があって、
そうさせないために、
徹底して押しのけようとする自分がいて、
身近な知人友人の声や
ちょっとした決まり事のみならず、
人の視線や買い物での受け答え、
果ては世の中のあらゆる思想やニュースと、
“たたかって”いる状態でした。
なぜそんなに苦しめてくるんだ、と。
なぜそんなに文句を言うんだ、と。
なぜそんなに優しいんだ、と。
文字通り辛いことには反発し、
意に沿わない気づかいには裏を想像し、
怯えていたのだと思います。
怯えている、と書くと、
何だかかわいそうな気もしますが、
歪んでいたんだな、というのが、
当時の自分への率直な、というか、
フェアな見方かもしれません。
体が歪んだままでは苦しいように、
心や魂も歪んだままでは苦しいんですよね。
★
最初に、
外的な振る舞いがどうであろうと、
と書きました。
メンタルが落ち込んでいたり、
起き上がれなくなっていたり、
抑鬱につつまれていたり、
何かにいつもムカついていたり、
いいことが何もないとつまらかったり、
という状態はきついものですが、
本来生きるために必要なエネルギーが
どこか別の場所で消費されている、
ということはないでしょうか。
何せ、“たたかって”いるのだから。
それも、世の中、未来、会社、人、といった、
それこそいつでもどこでもあるような
存在が対象になるのであれば、
“たたかう”労力も時間も半端じゃない。
これまで生きてくる中で構築した世界観が
そんな反応を呼んでいるのであれば、
少し頭で理解して変えようとしたところで、
なかなかうまくいかないかもしれません。
そんなとき、次のことを繰り返し、
自分に沁み込ませること、祈ることが
必要なのだと思います。
まず、『たたかわない』と決める。
そして、“たたかう”理由も“たたかい”も
全て手放して、
流れに身を委ねる、
それが、今のあなたに対する、
一つの新しい答えではないでしょうか。
大切な誰かのために“たたかう”人は
確かに強いですが、
結果がついてこないときに、
自分を責め続けたり、
批判のことを最大増幅したりして、
魂の身動きが取れなくなることは、
残念です。
大切な誰か、の中には、自分も含まれている
ということを理解し、
“たたかう”のではなく、寄り添ってください。
最初はぎこちなく、ワザとらしく感じても、
それが繰り返されるうちに、
寄り添うあなたが場所を得ます。
いつも言うように、
一朝一夕では変わりませんが、
本来子供の頃に醸成されているはずの存在は
これからであっても生み出していけます。
気長に、気ままに、気持ちよく、
進めていきましょう。
ー今回の表紙画像ー
『休日の雨の川』
こんな天気のせいか、人影はなく、コサギが餌を探していました。
稚鮎が遡上していました。そんな季節なんですね。
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