原家族が離散してしばらく、
母親が泣きつく声が脳裏にしみついて
離れない時期がありました。
正確に言えば、声音も言葉も、
長く私の中に不実と不信を
居着かせたのですが、
特に最初の何年かは凄まじく、
居着いた世界をそのまま外部へ
投影してしまっていたため、
生きることがとても辛かったのを
よく覚えています。
同時期、落ち込む私に向けられた
父親の言葉や態度も同じ状態を
引き起こしていましたが、
いずれにしても当時はまだ若くて、
伝えてくるものは彼らの人生であると
割り切って、
影響を受けないように線引きしきれず、
それが日々の言動に反映されてしまい、
私も周囲も苦しんでいたと思います。
その後、肉親の自死、自死未遂が出るに至り、
居着いた不信・不実は根深さを増し、
憤りは腐敗して一部は恨みに変わり、
さすがにこのまま生きていくのは無理だ、と
感じるようになりました。
何が無理なのかを言葉にすることは、
当時はできませんでした。
今振り返れば、
働き方、ものの見方、受け止め方、
人との接し方、何より自分自身について、
これまで良かれと思ってきたこと全てが
該当していたのだと思います。
とにかく、ただ、もうこのままの状態で
生きることを続けることができない、
そう感じていました。
今なら、寝込むなり、長期休養を取るなど、
選択すればよいのかもしれませんが、
当時はまだそれらの措置は
それほど市民権を得ておらず、
何より当時の私は、そう行動するほどにも、
世の中を信用していませんでした。
何せ、不信・不実が深く居着いて根を張り、
自分が動けなくなっていることを
社会に知らしめて受ける影響への恐怖が、
自分の心身を慮るより先に立ち、
命を守ることの次になっているような、
おかしな状態だったからです。
別の角度から言えば、
それほどに心身が疲弊してしまって
いたのでしょう。
疲弊には、文字通りの意味の他に、
自分を含めた誰もが助からない、
そんな絶望の感覚が、
全身に鈍く響き続けていたと言える
かもしれません。
そんな時間がもう少し長く続いたら、
確かにやばかったろうと思います。
やばかったというのは、
一線を超える行動をとってしまった
かもしれないという意味です。
幸運なことに、
何とか寝込むフェーズをスルーした後、
なけなしの気力をかき集めて、
その状態を脱するために、
幾つかの行動をとるようになりました。
クリニックに出向いて当座の処方を受け、
心理カウンセリングで実情を客観視し、
関連する可能性のある本を貪り読み、
仲間たちの待つ場所へ出向いては
自分の生き方、感じ方、心情を率直に棚卸し、
生き様を振り返ることで、
自分の中に眠り、守り、力づけてくれていた
大切な原風景に気づき、
弱さ、情けなさ、言い訳などをする自分を
丸ごと受け入れ、
自身の一体化につとめました。
そんな歳月を過ごすうち、
いくつもの変化が起こるようになりました。
最初は内面の感覚でした。
気がつくと少しずつ、
自分が楽に生きていることが
感じられるようになっていました。
人の中にいる自分、人と接している自分が
自分と人の間にある何かを共有できることに
感謝するようになっていました。
実はそれが、
家族の中にいて行っていたこと、
そして、原家族の崩壊と不信・不実の中で
手放していたことだったことに気づいたのは
もう少し経ってからのことでした。
自分の中に居着いた不信・不実を
見ないようにするのではなく、
表層化して理解するようになりました。
当たり前にあると思っていた親や家族が、
内部崩壊によって壊れたことで生じた
絶望的な恐怖やショックの感覚は、
他者からどう見られようとも、
自分を守るためにずっとそこにいてくれた
大切な自分の一部であることも理屈を超えて
理解できるようになりました。
人は不要なことは何一つしないし、
不要なものは何もないということを
身をもって知った時でした。
★
追い込まれ、追い詰められていた私が
通常であれば、寝込むなり、社会からの
長期離脱をするなりするフェーズを超え、
幾つもの行動を始めるまでに、
心身に変化が起こっていました。
いずれも表面的には良くないもので、
いつも運動して整えていたはずの体の
あちこちが故障し出し、
胃腸やふくらはぎが痛むようになり、
原因不明の熱が何日も続き、
解熱剤を飲んで下げてもまた上がるなど
内科外科の医者を随分悩ませました。
肺が痛んだり、
歩くと胸の筋肉が揺れて痛んだり、など
これらも循環器科の先生を困らせました。
心についてはこれまで述べてきたとおりです。
そんな症状が続くにつれ、
いつしかそれ等の症状を、
自分が自分に向けたメッセージではないか、
そう感じるようになりました。
私は何もかもをスピリチュアルで
解釈しようとは思いませんが、
これらの症状は、
それまでの生き様の歪んだ部分として
魂に訴えかけていたのかもしれないと
半ば真剣に受け止めていました。
その間、大きな感動や、
何としても良くなるぞといった
自分を突き動かす衝動があったわけではなく、
やはりそれまでと同じように苦しかったし、
即効でよくなる見込みもなかったし、
恢復までにそれなりの時間がかかりましたが、
それでもこのままでは無理だな、
という選択肢のなさから
半ば取らざるを得なかった行動でした。
行動できない理由として、
モチベーションが続かない、
大きな納得があるわけではない、
もう少し理解できてから、
などということを伺うことがありますが、
それをやっている限り、
変化は起こりません。
良くなろう!とか、
これやったら確実に良くなるぞとか、
ハッピーが待ってるぞ、といった
予定調和が確約された方法は
ただの一つも存在しません。
苦しいかもしれない、
心身が動きづらいかもしれない、
憤ってそれどころではないかもしれない、
でも、
泣きながら、
落ち込みながら、
無気力なりに、
のろのろと緩慢な動作であっても、
一歩を踏み出すことから始めてみてください。
一歩踏み出すと、
もしかしたら二歩目を踏み出せるかもしれない、
もしかしたら誰かの助けを感じて、
また少し、
歩き続けられるかもしれない。
自分が良くなる、楽になる、というのは
そういうプロセス自体を意味するのかなと
思うときがあります。
ー今回の表紙画像ー
『川の土手の影絵』
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