家族の物語を親の世界の先へ

日々の棚卸

 

私たちは、誰もが

家族、親の影響を受けています。

 

例外はありません。

 

例え、自分は自由に生きている、と

主張する人であっても、

です。

 

それは言い換えるなら、

家族の物語を紡いでいる、

ということかもしれません。

 

あなたがいくつであろうと、

どんな人と一緒にいようと、

何を仕事にしていようと、

 

今がどれほど楽しかろうと、

あるいは苦しかろうと、

 

男だろうと女だろうと

どんな地位にいようと

意識しているかどうかにかかわらず、

 

それは変わりません。

 

きっと、

自覚している人もいれば、

そうでない人もいるでしょう。

 

ともかくも、そうやって影響を受けた

自分の人生、今の生活が、

 

まあ、こんなもんか、

と思えるなら

それでいいのだと思います。

 

 

実際のところ、多くの人が、

自分が生きている時間をより良くしようと、

日々取り組んでいます。

 

試行錯誤して、

いろいろと考えて、

情報を仕入れて、

 

今を跳躍しようとしている。

 

でも、原因不明の理由で

 

心や体が動かなかったり、

身動きが取れない状態だったり、

元気が湧いてこなかったりして、

 

なぜだろうと自分と対話していくと、

家族の物語、なかんずく、親のことに

行き当たることが少なくありません。

 

それは実際に親との関係がどうであるか、

ということではなく、

 

あなたの内面でどう位置付けられているか

ということです。

 

例え、今、

 

親と一緒に暮らしていようと、

親から離れて暮らしていようと、

親が他界していようと、

 

どこかで親のことが引っ掛かっているなら、

自分とのつながりを確認してみてください。

 

親が“そんな不幸な”状態であることが、

親が“そんな不幸な”状況であることが、

親が“そんな不幸な”人生であることが、

 

何かをやろうとする気力が湧かない、

湧いたとしても続かない、

理由の行きつく先、

 

ということはないでしょうか。

 

表向きは、親は関係なくて、

 

体調がいつもよくなかったり、

仕事がいつもうまくいかなかったり、

恋愛や結婚生活が苦痛だったり、

 

という形で自分の人生にあらわれている

のかもしれません。

 

新しい世界に飛び込もうとしても、

うまくいくはずないという思い込みが、

結果を引き寄せてしまっているのでしょう。

 

そこに、

その裏側に、

その奥に、

 

いや、心の中全体を満たしているのが、

不幸な親という皮膚感覚、

受け止め方だったなら、

 

そのまま先へ進めるはずもないものです。

 

私たちは、

顕在意識の中で親を嫌っていても、

関係ないと思い込んでいても、

 

体の奥底では

ずっと、果てしなく、

親と繋がっています。

 

そして、不幸な親を何とかしようと

内心で焦っている限り、

 

親が感じている通りの人生を

今の時代に合った形で再現しようと、

生きている人が少なくないのです。

 

意識の上ではありえない話ですが

(うっすらとそうかなと感じている人も

おられるでしょうが)、

 

見事なまでに、

親の人生(と当人が思い込んでいる)と

同じような人生を構築しています。

 

何か良くなくて、

これではいけない、嫌だなと思い、

動いてみたところ、

 

ちょっとしたお金は

得られるかもしれません。

 

ちょっとした仕事は、

うまくいくことはあるかもしれません。

 

ちょっとした知り合いは、

できるかもしれません。

 

ですが、

親が不幸な状態である(と感じている)と、

 

本質的な安心、平安な感覚の元に、

 

その先にある、

落ち着いた、豊かな、

それでいて心が震えるような感覚と共に、

 

気がつけば先へ向けて足が動き出している、

そんな状態になることは

まず、ありえません。

 

自分が身動きできなくなるほど、

親の不幸を心の奥底で悲しむ気持ちは

誰しも理解できますが、

 

本当に親は不幸なのでしょうか。

 

「当たり前だろ」

「起こったこと、今の状態を見れば

“誰が見たって”不幸に決まってる!」

 

そう言われる方もいます。

私もそうでしたから。

 

でも、その上でもう一度問います。

あなたの親は今、

本当に不幸なのでしょうか。

 

あなたがあなたの価値観の中で

そう思い込んでいるだけでは

ないでしょうか。

 

繰り返しますが、

私たちは家族の物語の中にいます。

 

普段意識しなくとも、

こころのどこかでそこに基準を置いて、

日々を暮らしています。

 

親の世界を出る、という表現がありますが、

親の世界とは、出るものではなく、

昇華してその先へ進む、

 

ものなのではないでしょうか。

 

私たちが紡ぐ物語というものがあるならば、

それをして家族の物語の次の章とでも

いえるのかもしれません。

 

家族の物語を紡いだ期間は、

誰にとっても大切な時間です。

 

しかし、そう思えない、

思いたくない人に向けて、

これまで心の原風景の話をしてきました。

 

今が苦しいのは、

哀しいのは、

怒りに包まれるのは、

 

そうでない時間、

素の自分が当たり前にそこにいて、

 

そこにいること自体が

当たり前だったことを経験し、

 

自分自身を醸成できていたことが

あるからこそ、そう感じるのだと。

 

それが有効に達成されている時、

私たちは自らの想いに基づいた

物語の次章を築く旅の中にいるのだと思います。

 

 

親を不幸と感じ、しかも自分が親を

どうにもできないと思って、

身動きが取れていない人に、

 

一つだけ実践してほしいことがあります。

 

私たちは、

家族の物語が不遇だと感じている時、

先へ進むことが非常に困難になります。

 

実はこれは、自分が自分にかけた

トリックでもあります。

 

極論すれば、

家族の物語が不遇で、親が不幸というのは、

幻想です。

 

そんな馬鹿な、と思われても結構。

一度、そう受け止めてみてください。

 

幻想こそが現実だという

カールロジャース氏の言葉の通りで、

この幻想は変えることができます。

 

何より、例え肉親であっても、

大人である他者の世界を

あなたの基準で不幸と決めつけるのは、

 

なんというか、

非常におこがましいことでもあります。

 

親は少なくとも、

私たちの世界の外にいる人たちです。

 

かつて、親が押し付けてくる彼らの価値観に

辟易したように、

 

私たちの見方で親を

不幸の極みと決めつけるのもまた

不条理の極みではないでしょうか。

 

自死した私の父を想うとき、

彼が幸せに死んでいったとは思いません。

 

私にできたことがあったのでは、

という“悔い”は、

きっと一生続くのだと思います。

 

私は、父と母が大好きだったし、

彼らの与えてくれた世界を信じて生きたし、

その良質な部分には今も感謝しています。

 

残念なことに、終わりは哀しかったけれど、

だから彼らの生き方全てが間違っていたとも

考えてはいません。

 

何より、変えられない事実をして

ただただ不幸だと受け止めて

打ちひしがれて何もできない、

 

というのは、

人が取りうる受け止め方の一つに過ぎない

とも言えるのです。

 

今苦しんでいて、悲しんでいて、怒っていて、

不幸真っ只中を周囲に漂わせている人こそが

 

自分が気に入らない

家族や親のシーンだけを取り出して、

 

彼らは不幸だ、

自分は彼らが不幸なまま、

幸せになんてなれない、

 

不公平だと思いこんでいるのです。

 

だから、もし親のことで

身動きが取れなくなっているなら

こう理解してほしい。

 

例え傍目にどう映ろうとも、

 

父も母も、二人それぞれが培った

世界観の中で精一杯生きていて、

生を全うしている(全うした)、と。

 

父も母も、彼らが生きられる範囲で、

精一杯の生き方をしてきた、と。

 

それが、あなたにどう見えるか、

どう見せられているかは、

一切関係ありません。

 

そして、家族がどうであろうと、

どうであったであろうと、

 

今のあなたのこの人生は、

あなたの責任で生きていける、と。

 

今、あなたの人生を苦しめているのも、

今、あなたが怒りに包まれているのも、

今、あなたをうまくいかなくしているのも、

 

実はあなた自身なのだ、と。

 

これは一度意識して、

親が彼らの世界の中で精一杯生きて

必ずしも不幸ではなかった、

 

そう受け止めることで、

 

これまで止まっていた時間が動き出し、

あなたもまた、素のあなたとして

スムーズに動けるようになります。

 

誰も、例え家族であっても、

あなたを苦しめることはできないんです。

 

もう一度言います。

 

あなたがいくつであろうと、

どんな人と一緒にいようと、

何を仕事にしていようと、

 

男だろうと女だろうと

どんな地位にいようと

 

あなたはもう、素のあなた自身とつながって

自分に沿って歩んでいけるだけの力を

十分に持っているんですよ。

 

ー今回の表紙画像ー

『自家製ホットチョコレート』

昨年秋くらいからのプチマイブーム。

チョコレートを細かく刻んで、

ミルクを用意して、

その中に入れて温めて、

しっかり溶けたら、出来上がり。。。

んま~い。