不思議なことですが、
追い込まれている時、
切羽詰まっている時、
逃げたいのに逃げ道が見つからない時、
私たちは自分をおおう不安や恐怖、
実際に浴びる他者からの言動や出来事に
おかしな必然性と理屈をつけ、
これからも同じようなことが
(時には永遠に)続くかのように
理解しようとします。
きっと、
あるいは
もしかすると、
××かもしれない、と。
上司から厳しい叱責があったのは、きっと、
私の言い方の問題かもしれない、
とか、
あの雰囲気はもしかすると、また、
仲間外れにされる兆候かもしれない、
とか、
こんな辛いことばかりが続くのだから、
もう二度といいことはないのかもしれない、
とか。
付き合うたびにひどい目にあってばかり。
きっと私の恋愛はこんなことばかりなのだ、
とか、
…。
きっと!
何をやってもうまくいかない、
おかしなことばかりが続く、
そう嘆き、
自信が感じられなくなっている。
あなたにも2つや3つ、
いや、それ以上も類似の例があるのでは
ないでしょうか。
あからさまに他の誰かのせいにして
罵ったり怒りを重ねてないところは
ある意味救いではあるのですが、
とても疲れる生き方だと思います。
あなた自身に、優しくありません。
そんなことが何度も続いたからでしょうか、
きっと!
二度と同じ轍を踏まなくて済むように、
考えに考え、熟考して、練りに練って、
慎重に計算して、計画を立てて、
時にびくつき、時に憂慮しながらも行動して、
平静を装い、結果を気にしては、
また良くない想像に苛まれている。。。
そうやって神経をすり減らしながらも
人生が良い方向に向かうように、
確実さと予測をしっかりとして動くのだけど、
しばらくして感じることは、
何だか、何も良くならないどころか、
悪くなっている気がすること…。
★
私たちの人生は、多くのことが
予測不可能なこともあるのは
誰もが知るところです。
ですが、きっと!
今、心身をすり減らしながら
二度と悪い方向に向かわないように
考えて動いていることで、
やっぱりうまくいかないようなことでも、
心に余裕ができて、
自分がある程度良い人生を歩める
ようになったと感じられるようになると、
そうではなくなります。
そうではなくなるのですが、
それは人生を予測できるようになる、
ということを意味するのではありません。
ではどういうことかと言うと、
予測できないことを知り、
ただの憶測で自らの不安や怒りを
掻き立てないようになる、
ということです。
そうなるために、
具体的にどうするかと言うと、
過去の延長で
(過去がそうだったからという理由で)
今後も同じことが起こると考えない
人の言動をいちいち理由をつけて判断しない
(良くも悪くもそのまま受け取り、受け流す)
ものごとの良い面を見るように心がけ、
相手と自分双方が良くなる状態を模索する
何もかもを自分でコントロールしようとせず、
流れに身を委ねてみる
(なるようになることを肯定する)
などでしょうか。
過去の私自身に対して、
少し厳しい言い方をすれば、
嫌なこと、辛いことがずっと続く理由付けは、
わからないこと、
定まってないこと、
偶然性などを
自分で操れると勘違いしているときに
おこる喜劇でもありました。
こんなに苦しんでいる自分に対して
喜劇とは何事か、
もし今あなたが同じような状況にあるとしても、
喜劇とは何事か!などと激高せずに、
ほんのすこ~しだけ、
自分の日常を外側から見てみてください。
そこには、
本来コントロールできるはずのない、
自他の感情や、
多くの人々がかかわる中で生じる
全体性としての結果を、
あたかも人一人の頭の中や、
気合いとか意志といった限られた力で
何とかできると考えていたことによる
無理がエラーとなって、
あなたの感情や体、思考を暴走させたが故に、
生じてしまった、
そう考えた方がいいと思います。
私たちの試行なるものは、
コンピュータの回路と同じです。
適切な環境(電力、電圧、温度、湿度など)が
そろっていないと正常に作動しません。
精密なコンピュータさえ
誤動作させてしまう与件を
あなたに置き換えてみた時、
それはあなたに内在する世界観、
つまり人や出来事をどう受け止め、
どう行動するかということではないでしょうか。
あなたの内在する世界観を
世の中では無意識とか親の影響と
呼ぶのだと思います。
その中であなたを混乱させる要素が
感じられるのであれば、
今あなたの中に流れる感情、
混乱する思考や苛立ち、
汲んでもつきそうもない不安を
もう一人の安全な誰かに話して
共有してみてください。
そして、
流れに身を任せ、
決まってないことを判断せず、
そのまま受け入れて、
そこに良い希望を描いてみてください。
私たちはどうしても、
不安に苛まれやすい生き物である
のは事実です。
ですが、それはそれとして
希望を持って生きることはできます。
それはあなたがあなたという個を
尊重しながら、
もう一人の誰かと繋がることが
常態となることで湧いてくるものでは
ないかと思います。
ー今回の表紙画像ー
『梅は咲いたか、桜はまだかいな』
今年の桜は早そうですね。
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