私が心理のことを学んだ先生の一人は
第二次大戦中の生まれで、
戦後しばらくの国全体の貧しさを
それとなく語っておられたことが
ありました。
戦後しばらくと言っても、
学生時代のことだと言いますから、
1度目の東京オリンピックの頃の
事ではないかと思います。
別に特別な話ではなく、
誰もが耳にしたことがあるような話でした。
その後、
友人とスキーに出かけられるようになって
どうもこれまでとは(生活レベルが)
変わりそうだ、と感じたそうですが、
まだ多くの人々にとっては、
豊かな暮らしをしているという実感は
持っていなかったのではないかと思います。
(以前よりは楽にはなったでしょうが)
職も今ほど多くも多様でもなく、
福利厚生も整備されておらず、
失職が糧を得る手段を失うことに
今よりずっと直結していたこともあって、
誰もがそうなることを恐れていたことは
想像に難くありません。
翻って2024年現在、
日本は経済大国ということになっていて、
世界的には豊かな国という位置づけです。
そんな時代であっても、
多くの人が職を失うことを怖れて
いるように感じられます。
そう感じている理由の一つは、
束の間ではあっても食べる手段を失うこと、
今と同等以上の職を得る自信がないこと、
もう一つの理由は、
それなりのステータスに基づく居場所を
喪失するからではないかと思います。
家のローンや子供の学費などが
積み重なっている家では
特にそうではないでしょうか。
★
私は典型的な核家族で生まれ育ちました。
祖父母は遠い田舎に暮らしていて、
父母は職を求めて、
そこから都会に出てきました。
その後、父は1つの会社で
典型的なサラリーマンとして働き続け、
母は時々パートをする専業主婦でした。
私が子供の頃から、
父は職場の不条理を苛立ちとともに、
吐き出す煙草の煙に紛らせていました。
私の原家族が崩れた後のことは
Profileでも他のブログでも述べていますが、
そうなるまでは、当時の世の流れに沿って
全力で核家族を運営していたと思います。
子供を食べさせ、学校にやり、
おかげで私は、ちょっとした学校から
一流企業に入ることができました。
その間に、父母の仲、互いの信頼、
子どもに見せた家族像は、
どれもがボロボロになっていきました。
当時の私にはその意味することが
よくわからないまま、
自分が何故これほど苦しいのか
その理由を探す日々が
何年にもわたって続いたこともまた、
あちこちで書いている通りです。
そして、その理由が分かったからと言って、
それでめでたく問題が解決するわけではない
こともあわせて、知る羽目になりました。
回復にはどうしても行動がモノを言います。
その手前までは、頭を使ったり、
自身の内観を続けながら、
体感的に理解することですが、
その先、または並行して、
行動していかないことには、
本当の意味で回復は進みづらいのです。
その行動を妨げる、あるいは歪ませるのは
親との関係性の受け止め方と
対処の仕方の勘違いです。
家族と自分の関係を理解したとする人が
人生の責任を親に負わせようとすることに
一度は陥るからです。
御多分にもれず、私にもそうなった時期が
ありました。
そこにいる間、回復は停止していました。
「いつまでも家族かぞくと言って
(しがみ付いて)るんじゃない」
とは某精神科医の著作に記載の言葉ですが、
裏を返せば、それほど多くの人が
家族伝搬に基づいて自らに植え付けられた
生きづらさの原因に対して、
親に責任を負わせることに
味を占めてしまっているということの
示唆なのかもしれません。
★
20世紀の終わり、カウンセリングというより
家族病理の知識を学び、
その後、折に触れて相談を受ける中で、
私自身が、払拭しきれていなかった、
自らの抱える矛盾、逃避、否認に
気づいたことがあります。
何のことはない、
父も母もまた、豊かになっているはずの
日々の暮らしの中で、
なぜ自分がこれほど苦しいのか、
その答えを切に求めていたのではないか、
ということです。
どうしようもない苛立ち、怖れ、憤り、
そういった内面の原因や
働くこと、仕事を受け入れることの困難さ、
夫婦仲の軋轢と行き詰まり感、
職場の人々との関係性の複雑さと鬱陶しさ、
圧倒される時間の流れ、
そういったことを言葉にする余裕もないまま、
自分の中に蠢いている感情と社会の狭間に
溺れかかりながらどうしたよいかわからない、
そんな状況だったのかなと、想像します。
感謝が足りない、
皆我慢している、
そういうものだ、
というのは優しいですが、
それで抱えている感覚的な疑義が
解決するはずもありません。
そういったことが自分の中に
渦巻いていることを、
父母がどこまで知っていたのかは
わかりません。
いずれにしてもそれらが
行きつくところまで行きついた結果、
ですが、人の相談を伺いながら、
なぜ、どうして、
自分たちの世界は壊れたのか、
どうしてもわからない問いを
私に解き明かしてほしかったのかな、
と思う時があります。
そして、納得のいく形で、
人とつながった生き方をして、
次世代に伝えてほしい、とも。
そこまで願っていたのでは、
と思うのは、
さすがに考えすぎでしょうか。
結局、私ができることはと言えば、
自分が親の生き方を
受け継いでいることを感じ取り、
それを
受け止め、
受け入れ、
自らの一部として一体化し、
そんな自分と仲良く生きていくこと
なのでしょう。
願わくば、機会あるたびに
敷衍するこれらの話が、
あなたが抱える家族や仕事のへの
様々に絡まった感情(のもつれ)や、
先行きの不安などを解決する
ヒントになればいいのですが。
一つだけ言えることは、
親から受け継いで身についてしまった、
本当ならそうであってほしくない
ものの見方や感じ方は、
しっかり認識して
無視したり遠ざけたりすることなく
一体化することによって、
その生き方の癖や衝動が
自分自身として生きようとする自分を
邪魔しなくなるだけでなく、
反対に、
あなたが生きる原動力にさえなってくる
ということです。
それは、原家族と親を振り返り、
願いを知ろうとすることの
効用なのかなと思ったりします。
お読みいただいた方の一助となれば幸いです。
ー今回の表紙画像ー
『スパゲティナポリタン』
焼きそばじゃないぞ!
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