愛着が破綻していないか確認してみてほしい

日々の棚卸

 

あなたが今、

 

何歳であっても、

どこにいても、

どんな時でも、

 

あなたがあなた自身として、

生きられているかを感じる、

その、とても大切な一つが、

 

愛着感を感じられているか、です。

 

心が弱り切っていて、

もうただひたすら眠りたい、

目が覚めても元に戻りたくない、

 

そのくらい追い込まれている時でも、

愛着の感覚は、

あなたをあなた自身につなぎとめています。

 

今がとても生きづらかったり、

自分が自分でないような感じがしていたり、

心が落ち着く時間がなかったり、

 

という日々が続いているなら、

一度振り返ってみることをお勧めします。

 

 

愛着の感覚は、母親の腕と胸の中で

育まれ始めます。

 

続いて、

 

父親を含めた家族や親類縁者、

隣近所のつきあいや学校生活、

友人づきあいなどの中で育まれるとともに、

 

個人の行動も含めて、

幾層にも積み重ねられ、

醸成されていきます。

 

ちょうど、

真夏の炎天下で水分を摂取すると

それが全身に染み渡っていくように、

 

心と身体に浸透していき、

 

一つの愛着の感覚が土台となって、

次の愛着が積み重なり、

その積層がやがて、

 

あなたという個性になります。

 

大人になったあなたは、

社会のルール、会社のルール、あるべき姿

などを守って生きようとしながら、

 

それでも自身が無機的な存在にならないのは、

この愛着の感覚が心身の奥に根を張って

いるからです。

 

ここでわかることは、

 

愛着の感覚は個人に宿るものでありながら、

あなた個人だけで得たものではない、

というところです。

 

余談ですが、

 

愛着の『感覚』という言葉のとおり、

心と同時に“身体”に宿っている、

ということは重要なところで、

 

多くの人が忘れ、あるいは気づいていないことは

メンタルとは、マインドとは、心とは、

そのまま身体の感覚と繋がっているということ、

 

従って、

 

メンタルを、マインドを、心を

磨いたり、変えたり、向上させたりする、

ということは、

 

身体の感覚をそうすることである、

ということは知っておいていいでしょう。

 

話をもとに戻すと、

愛着の対象は当然ですが、

人によって様々です。

 

愛着が醸成される間に与えられたものにも

よるでしょうし、

あなたの気質にもよるところがあるでしょう。

 

いずれにしても、その対象は、

 

特定の誰かだったり、

特定の関係や属性に類する人だったり、

 

特定の機械や作り物だったり、

自然だったり、

仕草だったり、

 

しきたりだったり、

食べ物や飲み物だったり、

シーンだったり、

 

匂いだったり、

温もりだったり、

触れた感覚だったり、

 

本当に様々ですが、

 

先に述べたように、

身体の感覚に依拠し、

宿るということからも、

 

五感に甦るものだ、

という点で一致しています。

 

この愛着を、

どこまで愛しく感じ、

どこまで依拠できる人生を歩んでいるか、

 

によって、日々の充実感は

全く変わったものになってきます。

 

それほどに愛着の感覚は、

自分が納得して生きる上で、

外せないほど大切なものなのです。

 

もし、

この愛着の感覚を見失ってしまっていたら…。

 

 

行き詰まり、生きづらさ、抑鬱、

不安、絶望、無力感、やりきれなさ…

 

自らの中に暴れるそれらの感覚に

現実がどうしようもなくなっている時、

こんなことを聞いたことはないでしょうか。

 

『恐れないように。

美しいもの、喜ばしいものを楽しむことを。

何より幸せになることを』

 

私自身がこの言葉を聞いた時の印象は、

次のようなものでした。

 

確かに半分はその通り、

ただ、本当の意味で恐れているのは、

そこじゃないと。

 

これは、一度幸せを手放した人なら

必ず通り感覚ではないかと思います。

 

自分にとってはどうしようもない力で、

幸せとか喜ばしさを引き裂かれ、

喪失させられた、

 

つまり愛着の感覚を、

強制的にはぎとられたという恐怖と

そこで生じた深く傷ついた体験が、

 

もう一度幸せになることによって、

もう一度それを失う可能性を得る、

 

つまり、

 

恐怖と傷を受ける可能性をも

内包することになる、ことを

怖れているのだ、と。

 

愛着の感覚を再体得する必要性の認識と

それによって甦る喪失感の相克に

佇んでしまうのですよね。

 

その一方で、

自分に必要なものが愛着感の再獲得である、

というところに思い至ることで、

 

一時、患っていた相克はやがて、

自らの内に愛着の感覚が思いだされるほどに、

もう一度愛着感を甦らせたい、

 

と感じる時が来ます。

 

そのプロセスでも

心の痛み、心の重石で無言の苦しみをも

感じざるを得ないかもしれません。

 

だから、

ゆっくりとでいい。

あなた自身のペースでいい。

 

自分の愛着の感覚を思い出して、

再体験してみてください。

 

身近な食べ物から、懐かしいメロディ、

真夏のプールの臭い、蝉時雨、

木枯らしの音、うたた寝、

 

夕暮れの公園、

他愛のないおしゃべり、

 

そういった数々のヒントや入り口から

様々な愛着がよみがえり、

根源的な部分に行きつくときがきます。

 

ここに至るプロセスで大切なことは、

意識ではなく、感覚です。

 

一人で難しければ、

こちらに来ていただいても結構ですし、

 

同じ悩みを抱えている方同士で

工夫されてもいいでしょう。

 

哀しい出来事、残光な出来事、呆然自失、

そういった体験は、

もう一度焦点を当てない限り、

 

愛着の感覚を信じられないもの、

失って戻らないもの、

自分にとってはさして意味のないもの、

 

と位置付けてしまいます。

 

そして、

あなたがあなたらしく生きる時間を

二度と取り戻せないかのような錯覚を

一生にわたって与え続けます。

 

そんなことはありません。

 

思い出してほしいと思います。

あの日、

あなたが幸せな時間を持っていたことを。

 

それがしっかりと胸の奥で、

体を震わせるほどに感じられた時、

またあなたの望む時間が動き出します。

 

ー今回の表紙画像ー

『新緑の季節2』

桜が散って、公園の緑が色づいてきたと思ったら、川沿いは初夏の風景だった。