四国と九州を車で回ってきました。
父母の生家がある香川と鹿児島です。
家族の離散、自死など、
哀しい出来事があった家でしたが、
自分の中で二人と和解した後、
いつの頃からか二人の生家をもう一度、
訪ねてみたいと感じるようになっていました。
双方とも、最後に訪ねたのは、
遠い昔、
まだ親の帰省についていった頃で、
祖父母はすでに他界し、
親類縁者もよく知らないので、
何しに行くんだ、
と言われると返しようはありません。
当然ながら当時の記憶も曖昧なので、
最初は、行くべきかどうか
迷っていたのですが、
でも、思い立ったが吉日、
そうしたくなったのだから、と
予定をたてました。
フェリーは日程が合わず、
電車乗り継ぎは現地のフットワークが
今一つだと思い、
車で行くことを決定。
道を調べて、距離とガス代を確認して、
無理をしないよう心掛けて実行です。
香川では祖先のお墓参りと
釣りに連れていってもらった
ため池や海、
鹿児島では西郷さん由来の
神社や城山などに足を運び、
とても充実した旅行になりました。
総計3千キロを超える走行距離でしたが、
車の運転が苦にならないこともあってか、
特に疲労に襲われることもなく、
無事旅を終えました。
きっと長距離運転に慣れている人には
たいした話ではないでしょうが、
最近では、
ちょっとした規模の決め事でした。
お金も飛んだし、
道に迷って右往左往もして、
どうなることかとも思いましたが、
日本の道は必ずどこかにつながっているし、
わからないことは同じ日本人が
周囲にいるのだから、聞けばいい。
たいていは何とかなるものだと思います。
★
高速道路を運転している間、
これまで決めてきたことを考えてみました。
大学に入って家を出た、
就職では地元に戻らない、
親の面倒を見るのは最小限にする、
(これは途中からですね)
などは、
私にとっては大きな決め事でした。
ごく個人的な小さなことであれば、
タバコをやめたこと
母親が最後に暮らした家を売ったこと、
夜更かしをやめたこと、
ジョギングと筋トレは無理のない範囲で
日課として続けること、
などでしょうか。
そうやって、
物事を決めて実行することで、
少しのタイムスパンを置いて、
私の人生は必ず新しく動き出しました。
自分の意思をはっきりさせ、
それが正しいかどうかを
頭だけで判断するのではなく、
自分がどうしてもそうしたい、
と感じたことを、
破綻をきたさないように最低限見回した上、
実行することで、
当然ながら、自分自身も周囲も
動き出さざるを得ないのですね。
「風が吹けば桶屋が儲かる」
「バタフライ効果(一匹の蝶々が
羽ばたいたことが地球の裏側に
影響を及ぼすこと)」
とはよく言ったものですが、
たかだか一人の人間の
その程度の決め事と実行とが影響を及ぼす、
という意味では当然のことなのかもしれません。
何かを決めると、それが、
自分の心や体に返ってくることもあれば、
私の行動によって半強制的に父母が
直接向き合わなくてはいけなくなったこと、
などがそれに該当すると思います。
短期的には哀しいことも起きました。
私という調停役がいなくなって、
父母は自分たちで衝突の後始末を
自分たちでつけられるようにならなければ
いけませんでした。
結果は何度も書いている通りですが、
私は彼らへの世話焼き行動という
アディクションを手放すことになった一方、
それまで向き合ってこなかった自分と
向き合うことで、
自分が心の奥底で何を望んでいるのかを
自問することに迫られました。
大学に行ったはいい、
でもその進路は結局のところ、
それは自分が求めていたこととは言い難い、
そのつけとして、社会人になった後、
自分はどうしたいのか、何を求めているのかを
明確にできていなかったが故に
実際には切り離せるはずもない両親のことで
右往左往ばかりして、
他のことは手につかなかったし
彼らがつけられなかった人生の後始末に
奔走しながら、
自分自身はどこに戻ればいいのか
わからなくなっていた
という状況になっていたからです。
それはとても苦しく混乱する状態であり、
これまでにも何度か書いていますが、
それもまた、
自分自身を取り戻して生きる上で、
避けては通れなかったことなのだろう、
と理解しています。
自分で決めて、自ら動くとき、
短期的には都合が良くないことが
起きることはあります。
ただそれは、
自分が視線をそらしていた“何か”を
しっかりと見る必要がある状態にした、
そしてその結果が有効に機能すれば、
自分自身の内側から湧き出すという形で
人生が動き出すことになるのです。
私たちはつい、
何か正解があると思い込んでいて、
例えば
会社の上司や同僚との接し方や、
業務内容について、
例えば
親との関係が昔からうまくいって
いなかったにもかかわらず、
世間体に縛られて親と頻繁に接したり、
面倒を見るよう促されたり、
などというように、
漠然とした不安や怖さ、
日々の不快や苦痛と共に、
何となく今のままをスルズルと続けながら、
それらの感情をそうと望まないまま、
しっかりと『キープ』してしまったりする。
一つでいいからその中から
違うことを決めて、実行してみることが
その状態を打破するきっかけになります。
★
田んぼに囲まれた中に小さな商店街が
並ぶ中にある父の生家、
JRが走る海沿いの
ちょっとした繁華街のはずれにある
母の生家、
昔を思い出して懐かしかったです。
子どもだった父と子供だった母は、
この町を走り回っていたのだと思うと、
とても感慨深い。
でも、
これらの場所は私がいた場所ではないし、
私の暮らす場所で私らしく生きることが
この旅行から感じたことだと思います。
…
幻。。。。。。。
…
街を歩きながら、思い浮かんだのは
ひたすら、この言葉でした。
今自分が生きている暮らしの中にさえ
カールロジャース氏の言う“幻想”が
支配している。
ならば、列島の西のはずれにある風景は
幻という言葉以外の
何物でもないのかもしれません。
私の体と記憶の中には、
そんな町で生まれ育った人たちの感性が宿り
今を生きている。
今度は何をしようか。
ちょっと休んだら、
また考えてみたいと思います。
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ー今回の表紙画像ー
『南洲神社から見た薩摩富士』
これから何回か鹿児島の写真を掲載します。
今回は桜島=薩摩富士。
いつも富士山や大山(違いすぎ?)を見ていますが、
生れてはじめて山が目の前に迫ってくる感じがしました。
鹿児島市のど真ん中から見て、海を隔ててすぐ目の前に
ドンと山が見える。
この雄大な風景を見て育ったら、身体の中にどっしりと
郷土が植えつけられる気がします。
↑これは城山から見た薩摩富士。
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