先日の月曜日、
珍しく午前と午後の予定が
両方ともキャンセルになり、
夜に相談を受ける予定以外、
時間ができました。
そうなったのは、
つまり月曜の日中に時間ができたと
わかったのは前日日曜日の夜。
意外な空き時間ができて
さて何をしようと考えたのですが、
まず私には、
前日夜に月曜に時間が急遽空いて
予定を合わせてくれる友人知人がいません。
そういうわけで、
とりあえず朝はいつもより
“少しだけ”ゆっくりして、
近所の川のほとりを散歩してから、
歩いて3分くらいのところにあるカフェで
マスターに会話の相手をしてもらいながら
ブランチを取り、
買い置きしたまま、
なかなか読めなかった本を持ち込んで、
珈琲を3杯お替りしながら
2時間かけて読破、
部屋に戻ると、
気になってはいたものの、
ここのところ手が付けられておらず、
濁り気味になっていた大小の水槽の
掃除をしました。
住人である小さなウナギ君やナマズ君たちを
いそいそと別のバケツに移し替えて、
水を捨て、循環濾過器、
中に入っている小さなブロックや
底に敷いてある砂などまで
丁寧に洗います。
最後に塩素除去用のカルキ抜きと共に
水を入れ直して
濾過器をセットしなおしたところで、
一時避難していた住人の皆さんに
今日中場所にお戻りいただいて、
一通りの作業が終了しました。
水槽の掃除が終わると、
手を洗い直し、服を着替えて
14時過ぎに電車で30分くらいの
横浜のはずれまで出かけました。
お気に入りの小さな映画館があって、
かつて見たかった某名作の
リメイク版の映画が再上映されていて
何としても見たかったからです。
上映終了時間から
都心に出るまでにかかる時間を見積もり、
夜に予定を入れていた相談の約束に
余裕をもって間に合うことを確認して
劇場で時間を過ごしました。
趣味である釣りやドライブではなく
気心の知れた友人と一杯やるでもなく、
その一方でここ何年もの間、
ありそうでなかなかなかった時間を過ごし、
なんだかほんの少し
不思議な気分になりました。
平たく言うと、
気分転換になったのでしょうね。
翌日からの、
何というか心身の感度が
随分改善されたような気がしました。
そして、
「なぜなんだろう」と考えてみました。
★
私たちは日常生活にルーティンを取り入れて
できるだけ“効率よく”過ごすように
脳が働きかけ、その通りに時間を過ごします。
それはそもそも脳の働きかけなのだから、
良いとか悪いとかいうものでは
当然ながらありません。
ただそれが、
他に手段がない、
手段の実行がもたらすものが不安、
などの理由で、
その暮らしを続けるために、
日常の生きづらさや
行き詰まり自体まで感じることを、
ルーティンに組み込んで
しまっていることがままあります。
会社員として働いているなら、
起きる時間、
立て込んだ朝に食べるモノ、
歯を磨いて服を着替えて、
あたふたと電車やバスに間に合うように
急いで家を出る。
会社では、
必ずといってよいほど
勤務時間が平穏で済むことはなく、
仕事上のトラブルや
上司の突き刺さる言葉、
突発する残業や同僚との諍いで
心身の疲労が重なります。
家路につくと、
途中のスーパーで夕食の買い物をするか、
行きつけの店で夕飯を食べて家に戻り、
お風呂に入って
缶ビール一本くらいビールを飲んで、
歯を磨いて就寝する。
これらを振り返ると、
ちょっとした寄り道やよしなしごとの
小さな差はあるにしても、
だいたい朝同じ時間に家を出て、
だいたい同じ時間に出勤して、
だいたい同じようなストレスで疲労し、
だいたい同じ時間に買い物をして帰宅して
だいたい同じ時間に夕飯を食べて
だいたい同じ時間に…
などと、
自分が意識する以上に、
だいたい同じが続いてたりします。
ルーティン自体は、
同じも効率的に生きる上で大切です。
でも、もし、
行き詰って生きづらいなら、
『だいたい同じ』は、
良いこととはいえません。
その昔、渡辺美里さんが
My Revolutionの中で
『明日を乱すことさ』とうたっていました。
だから、
いつも忙しく動き回っている人は、
のんびりゆっくり生きてみる、
というのは1つの解だし、
忙しさの質を変えるという選択もまた
あると思います。
同じ密な時間でも、
人の要求に応じる多忙さから、
自分のやりたいことで時間を埋める、
ということですね。
凄いことである必要はないんです。
豪快なことや、
インパクトがあることでなくても
もちろん構わないと思います。
いろいろ試してみるといいですが、
感情が偏った自分が
「ニュートラル」に戻るような
何かを実行すること。
もちろんそこには、
自分にとってのニュートラルとは何か、
についてわかっていることが前提ですが、
ここではとりあえず、
自分の苦や焦りだったり、
落ち着いた自分を見失っていたり、
といった状態を、
一歩退いて客観的に
感じることができる状態とでも
しておきましょうか。
ただ、そもそもニュートラルになることとは、
実はいつも同じことではないかもしれません。
だからどうしても試してみる、という
ステップは必要になります。
でもそのステップは、
ルーティンを乱すことからくる不安と
うまく折り合いながらやれば、
楽しいことになるはず。
日々大変なこともあるし、
好きなことだけしていればよいわけでもない
日々の中で、
つい歪んでしまいがちな感覚を
自分本来の感度に戻すことが目的です。
見失ってしまいがちな本音の楽しみや
くつろぎの時間をくぐると、
錆びつきかけていた感覚が元に戻る。
そんな話でした。
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ー今回の表紙画像ー
『今年初めとのメロン』
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