理由がなくても嫌は嫌でいい

日々の棚卸

 

ウィリアムブレイクをご存知でしょうか。

 

18世紀後半から19世紀前半の

英国の詩人にして画家で、

英国の愛国歌となった

『エルサレム』を書いています。

 

有名な方ですが、

日本の高校の世界史には

登場してなかったかな。

 

バスティーユ牢獄破壊に象徴される

フランス革命が世界史的に有名な

1789年、

 

ブレイクは『無垢の歌』を

発表しました。

 

その一節を紹介すると、

こんな詩です。

 

ひとつぶの砂に世界をうつし

いちりんの野の花に天国をのぞき

かたてのひらで無限をつかみ

ひとときの中に永遠をとらえる

 

実際には、

彼の多くの詩を集めた詩集の中の

一つのようです。

 

画家でもあるブレイクは、

自身で挿絵をつけた詩集を

作っていたと言います。

 

この『無垢の歌』を読むと、

 

この世界、つまり無垢の歌の世界を

本当に内在化しているならば、

自分が求める世界は

そのまま自分が実現した世界になり、

 

苦しみや哀しみさえもが

自分にとっての幸福と歓びの種と

なりえる、

 

そんな感じがします。

 

だって、

目に入るもの、

体に触れるもの、

ささやかな時の流れ、

 

それらが全て

理想の世界を感じることに

なるわけですから。

 

一方でこの詩の世界は、

フロイトの言う“大洋感情”とも

近いように思います。

 

大洋感情とは、

自他の感覚が未分離の状態を意味し、

 

ググると、

「自我が外界と一体化しているような感覚、

あるいは、自我が全世界を含んでいた

赤ん坊の時代の感覚への退行願望」

とあります。

 

つまり、

ある種の幼い万能感の世界、

という解釈にもなるわけですね。

 

いすれにしても、

ふつうに日本語を読む私たちには

望んでもなかなか得られない類の

感覚なのは確かです。

 

 

現実に目をやると、

ここまで述べてきたこととは程遠い

世界が目の前に広がっている…。

 

つまり、

嫌なことはどうしたってあるわけです。

 

ありがとうと言おう、と啓発されて、

どれだけ感謝の言葉を述べても、

 

楽しいから笑うんじゃない、

笑うから楽しいんだ、

という言葉に沿って、

どれだけ笑顔を意識しても、

 

過去の痛みや未来の不安ばかりに

意識をとらわれずに、

今ここを生きようとしても、

 

どうにも受け付けない

仕事があって、

 

どうにも受け入れられない

人がいて、

 

どうにかしたいけどなかなかできない

自身の癖があると思います。

 

受け付けない、受け入れられない、

という言葉もまた

ある意味曲者なのですが、

 

それはまた別の機会に論じるとして、

拒否反応を示す感覚と

捉えてください。

 

実際のところ、

 

あまりに苦しいけれど、

他人や過去を変えることの不毛さは

身に沁みているから、

 

何とか自分を変えようと

自己啓発や成功物語なるものから

指針を得ようとして、

 

人と繋がることの大切さや

置かれた場所で咲くことや

与えられた環境を受け入れることを

 

愚直に実行しようとしては

ますます苦しくなってしまう

 

などということは

しばしば起こりがちです。

 

最後には、

自分を変えようとしてすがったはずの

教えや啓発をもとに

 

その仕事を受け付けない、

その人を受け入れらない

自分こそが問題だと捉えて、

 

自分いじめの連鎖の輪に

絡めとられてしまう。

 

元に戻ってしまっただけ、

とも言えますが。

 

 

変化を求める人は少なくありません。

 

今の場所から、

今の地位から、

今の仕事から、

 

今の収入から、

今の人の関係から、

今の貧しさから、

 

など、

人によってその元は様々です。

 

ではなぜでしょう。

なぜそれほどに変化を求めるのでしょう。

 

そう問うのは愚問だ、

思われるかもしれません。

 

では素直に、

 

××が

どうしても嫌だから、

受け付けないから、

きらいだから、

 

と答えられるでしょうか。

 

正確に言えば、

 

ご自身をしっかりと『肯定しながら』

 

嫌だ、

受け付けない、

きらい、

 

と言えるか、ということです。

 

そこが、少なくとも

変化のベースキャンプの一つと

なりえるところです。

 

嫌だから、

別のどこかに行ったとしても、

 

同じ問題が別の人や仕事を介して

同じように生じるという

一つの定理のようなものがあります。

 

なぜなら、

自分のありようと働きかけようとが

世の中との接点となるわけですからね。

 

別の言い方をすれば、

自身の価値観が具現化して、

 

場所を変え、人を変え、

同じように現れるからですね。

 

そこには、

 

どうしても嫌だから、

受け付けないから、

きらいだから、

 

と感じる自分を、

猛烈に批判否定する

もう一人の自分がいます。

 

そして、

自分が『それ』を嫌で受け付けないために

 

同じ問題が形を変えて

何度も起こるのだ、と

自分の気質や性癖を無視して

そう考えるようになります。

 

大きな、ホントにおおきな勘違いです。

 

徳を積めば、

悟りを開けば、

 

場合によっては、

あらゆる仕事や人や環境を

受け入れられるように

なるのかもしれません。

 

ですが、

自分という存在を無視したままでは、

どれだけ学ぼうと、徳を積もうと、

 

自分自身に沿った変化も対応も

成立しえないのは明らかです。

 

自分は自分でしかありえません。

これからどう変化していくにしても

必ず必要なステップがあって、

 

それは、

兎にも角にも

まずは今の自分自身を受け入れることです。

 

嫌なものは嫌なのです。

理由なんてありません。

理由なんて不要です!

 

その上で、次のことを考えればいい。

 

この仕事は嫌いだ、

この人は受け付けない、

 

それが現時点の私そのものだ、

それは私という存在を否定するものでは

間違ってもない!

 

かといって、

嫌いだ、受け付けられない、

といってばかりもいられない。

 

では、どうしよう、と

自身を肯定して受け入れた後に、

作戦を考えればいい、

 

本当にそれだけです。

 

湧き上がる感情に責任はありません。

かといって正当化もよろしくない。

 

ただ今の自分を受け入れ肯定し、

折り合いをつけること、

それにつきます。

 

次、は、そこからこそ

ひらけてくるのです。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『真夏のみかん』

地球の裏側から運ばれてきた、エコとは言い難い果物。

みかん大好きなので、思わず買ってしまった。。。

何で今頃ラムネ?とも思うのですが、結構売れてますよね。

ちょっと眠いけど、書き物済ませたいときなんかにパクりとやると、何か頭が冴える気がする。

一番右のふにゃふにゃもちは特にお気に入り。