もう一度幸せであるために乗り越えること

日々の棚卸

 

私たちには、

生きている限り、あらゆることが

起こる可能性があります。

 

例えば、

 

宝くじを買ったら当選して、

大金持ちになったり、

 

せっかく購入したマイホームが

大地震で壊れてしまったり、

 

突然結婚することになったり、

いきなり離婚を突き付けられたり、

 

交通事故にあったり、

 

30年ぶりに会った友人と

会社を立ち上げることになったり、

 

コツコツと書き溜めていた日記が

なぜか出版の運びとなったり、

 

街を歩いていたら、

突然スカウトされたり、

 

ちょっとした出来事がトリガーとなって、

それまでのモヤモヤが噓のように

晴れ上がったり。

 

もちろん、

子どもを授かったり、

孫ができたり、

なんて素敵なことも。

 

先に述べた通り、

起こりえるのはあらゆることだから、

例を挙げ出すときりがないけれど、

 

この、あらゆることは、

実際にはなぜか、

その人ごとによって

 

日々の生活や働き方、時間の使い方、

どこに暮らしてどんなものを好むか、

果ては人生までが収束しがち、

というような

 

特定の方向へ向けた

可能性と力学が矛盾したような

働きがあるように思えます。

 

特定の力とは、多くの場合、

癖や習慣という形であらわれます。

 

ただ、

特定の力を癖や習慣という言葉で

まとめてしまうには、

 

つまり、

 

論理だけで理解しようとするには、

自分自身への影響が大きすぎて

拒否反応が起きることもあります。

 

昔の私などは

「癖とか簡単に言うな!」と

憤りを感じたこともありました。

 

トラウマが原因となって根付く

思考形態や行動様式などは

自分の心身を支配する力が

あまりに大きく、

 

中でも、

外的なものよりも内的な反応に基づくことは

その中核になるのかもしれません。

 

他者の考えや言動に

飲み込まれてしまったり、

 

過去の良い時を思い出すと同時に

それが崩壊した苦しみを思い出して、

良い方向に流れている時間が

止まってしまったように感じたり、

 

ということです。

 

 

ここで、トラウマについて

少し考えてみましょう。

 

トラウマを感覚的に表現するなら、

生存に必要な心や体の

最低限の安定、安心感を

強制的に剥ぎ取られた感覚

 

と言えるかもしれません。

 

トラウマという概念は

ご存知の方はご存知のように、

 

ベトナム戦争で米国の一部の兵士が

発症した症状がもとになっています。

 

彼らは国に帰ってからも、

事あるごとに恐慌状態に陥りました。

 

大通から渋滞のクラクションが

聞こえてきた時、

人の怒鳴り声や暴力を見た時、

上空を飛ぶ新聞社のヘリコプターの音、

 

そこで彼らは、

『戦場を思い出す』のではなく、

『戦場に舞い戻る』わけです。

 

闘っている状態と言い換えても

いいと思います。

 

安全であるはずの自分の国の

とある街角にいたはずなのに、

 

突如、弾丸と爆弾が飛び交う戦場に

その体が置かれた状態となり、

心身が急激に適応しようとするわけです。

 

当然ながら、

私たちが普段暮らしている社会で

そんなことが折に触れて生じれば、

 

生きることに行き詰ってしまいます。

 

ベトナム戦争の話は

少し極端かもしれませんが、

 

最低限の安定、安心を強制的に

剥ぎ取られた感覚は、

それを放置したままにしていると、

 

まるで、

はかったように脳裏を過り、

体の症状としてあらわれ、

回復へのプロセスを断ち切ろうとします。

 

その回復ルートを通して得られる幸せが、

 

そのまま、

 

かつて安全で安心の時間を

強制的に剥ぎ取られた過去を

想起させるためです。

 

回復のルートを断ち切るメカニズムですね。

 

私たちは、経験の積み重ねにより、

危険を回避する能力を手に入れます。

 

心身の危険は、大人になるほどに

自らで対処する必要がでてきます。

 

他者に助けを借りながら対応すれば

よいのでしょうが、

 

それがうまくできない人も

このブログを読んでいる方の中には

少なくありません。

 

例えば本来、

愛着の中で生まれ育ち、

それを求めることの繰り返しの中で、

新しい人の繋がりを得て、

 

恋をして、身体を重ねて、

命が受け継がれていくわけですが、

 

愛着の中で危機を覚え、

そこから回避することで

心身の安全を得た過去は、

 

求めるはずの生きる力のもとであるはずの

愛着から自身を遠ざけるという

パラドクスが起こるわけです。

 

実際のところ、

過去に起こった『その出来事』は、

一般的なことではありません。

めったに起こることではない。

 

理屈で考えれば、

それはわかることです。

 

しかし、それが、

 

今後も起こる、

何度も起こる、

自分には必ず起こる、

 

その発想、感覚、

そして何より体に生じる反応

その理屈、

すなわちめったに起こらない、

という当たり前の解釈を一瞬で押し流し、

 

あなたに働く力の流れを

特定の方向に決定づけてしまいます。

 

こここそが

 

あなたがもう一度幸せになるために

乗り越えること

 

なのです。

 

あなたの過去、生じる身体の反応、理解。

 

一朝一夕では無理にしても、

本質がわかれば対応することができます。

焦らず確実に対応すればいい。

 

厄介なのは体に生じる反応です。

 

これは往々にして

感情として考えられがちですが、

私たちが感情と“考えた時点で”すでに

理屈になっています。

 

そうではなく、身体の反応、

例えば、

胸がかきむしられたようになった、

頭が真っ白になった、

胃が締め付けられる、

 

そんな反応が生じた時、

これは幸せになろうとする自分への

抵抗なのだ、と思い出してください。

 

幸せになることを怖れている自分を知って、

その怖れを受け入れてあげてください。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『夕景』

買い物帰りにパチリ。

10年使ったクロックスがついに穴が開いてしまったので購入。