これまでに、
何かを好きになった時のことを
思い出してみてください。
特に、
のめり込んだことであれば
もっといいでしょう。
人には言えないことだったり、
少し恥ずかしいことだったり、
照れくさいことであっても結構です。
実際、何かを好きになるのは、
何歳でもいいですし、
誰とでもいいですし、
一人でももちろんいい。
自然の中でもいいですし、
想像の中でもいいですし、
朝でも夜でももちろんいい。
動いていてもいいですし、
見つめているだけでもいい。
とにかく何でもいいんです。
好きになったジャンルも、
好きのなり方も
それこそ人それぞれです。
生まれてこの方、
何をも好きになったことがないなら
ともかくも、
何かを好きになる、
何かにのめり込む、
ということは、
その人ごとのカラーというか
その人らしさを示しています。
一方、
何かを好きになることの共通項は
何かというと、
それは、
気づくと“それ”に引き込まれていて、
その醍醐味は頭で考えるだけでは
絶対にわからないということ。
もしかすると、
無意識のうちにどんな感じかの想像は
ついていたかもしれないけれど、
想像がついたかどうかは
問題ではなくて、
ただひたすらに先を求めたかった、
ということです。
それも意識することなく、です。
そして、その行動には、
ある前提があります。
その前提を見失い続けて、
大人になると、
そんな行動をとることが
できなくなっています。
★
個人的な話ですが、
昔からの趣味の延長にはなりますが、
30代にのめり込んだことがあります。
川べりのトレッキングです。
時々お話ししていますが、
私は川の魚を採集したり、飼育したりする
趣味があります。
家にある一番大きな水槽は
現在は90㎝サイズですが、
その中に砂利をひいて
小石や藻や隠れ家となる筒などを沈めて
身近な小型の魚たちを飼う、
いわば、
水中箱庭を作り出し、
その世界を愛でるのが、
ささやかな楽しみです。
子供の頃は、
大きな魚、例えば60㎝の鯉などを
飼いたかったのですが、
大人になってからは反対に小型の魚、
それも普通に釣り針で釣るには小さすぎる
サイズの魚を飼育するようになりました。
例えば、
小指大のハヤ、ムギツクやフナ、
ウキゴリやドジョウやドンコなどは
狙って釣れるものではなくて、
タモ網で採取するようにしていました。
町はずれを流れる川は、
蛇行を繰り返していて、
場所によっては、草むらや雑木林を
迂回して流れていたり、
林の裏側にとても澄んだ
水のたまりを作っていることもあります。
澄んでいる理由は、
地中を流れて濾過された水が
たまりに流れ込み、
また地中を介して本流に帰っていく
流れがあるためです。
川の流れを想像するとき、
私たちは漠然と巨大な溝を水が流れる
イメージを持っていますが、
実際には、
そういった無数の地中の流れもまた、
川の流れの一部なんですね。
そんな場所は、
たいてい人が足を踏み入れておらず、
岩陰や葦の根元をガサゴソとタモ網で掬うと
先ほど述べた、飼育に適した小さな魚たちが
採集できたりします。
それこそ、
採りたい放題というやつです。
市販の初心者向けの簡単な釣り仕掛けで
釣り糸を垂れるだけで、
私が持ち帰りたいサイズには
いささか大きすぎるものの、
人が訪れる場所では考えられないほど
多くの魚が釣れます。
そんな場所の中には、
本流と小さな崖に挟まれた岸辺を
背丈代の草むらをかき分け、
巨大な枯れ木をまたいで乗り越えると、
崖の下にくぼみがあって、
水のたまりが現れることもあります。
本流側は草むらに覆われて、
真上にぽっかりと空が見える以外
どこからも見えない場所です。
たまりは楕円形で、
長径が2m程度の小さなものですが、
除けば小さな魚たちがウヨウヨいます。
ひっそりとしたたまりの中で
今度の大水が出て本流とつながるまで、
魚たちはそこで幾ばくかの時間を過ごします。
こんな場所もあります。
土手から川べりまで続く雑木林を
降りていくと、
人の何倍も大きな岩がいくつも鎮座する
澄んだ水のたまりがあって、
百匹も二百匹ものハヤの小さな群れが
隙間を泳いでいるのが目に入ります。
私の影が水面を覆っても
普段誰も訪れないからか、
特に逃げる様子も見せず、
悠々と泳ぐ様を嫁にしながら、
小春日和の昼下がりには
読書がてら訪れたそこで、
飽きもせず眺めていたものです。
ここまで書いたことは、
ほんとうに、誰も喜ばないし、
自分が満足するだけのことです。
身近な川の岸辺をひたすら、
散策というよりトレッキングしながら、
そういった場所を見つけては、
そこに佇み、
悦に浸っていた時期がありました。
★
父の自死の後、しばらくして
気がついたら取っていた行動でした。
傍から見れば、
父の影響でそうしていたことは
簡単に分かったと思いますが、
当時の私はひたすら、
そんな場所を求め続けていました。
遠くまで行かずとも、
ひっそりと自然につつまれた
静かな時間です。
求めたのは、
癒しの時間と空間だったのかもしれません。
そのたまりで採れた魚の中には
人差し指サイズのナマズや
小指サイズの鯉もいて、
彼らもしばらく
我が家の同居人(魚)となりました。
そんな隠れたたまりを見つけることの
虜になったことは、
社会的に見た成功でもないし、
大きな稼ぎが得られたわけでもありません。
この話を親しい人にして、
喜んでもらえることもあるけれど。
私たちが暮らすすぐそばにある自然に
寂しさを重ね合わせて、
何かを求めた、
それでいて、幸せな充実した時間でした。
そこで出会ったほんの何名かの方とは
今も釣りに行ったり飲みに行ったりします。
★
最初にも書いた通り、
好きになることは別に、
自然である必要はありません。
料理でも、習い事でも、犬の散歩でもいい。
そうすることで何が起こるだろう、
と先を考えるのではなく、
あまり深く考えずにやってみればいい。
やってみてもいいかな、
くらいでいいんです。
自分の居場所を見つけるために、
やたら新しいことを始めようとしたり、
いつでもどこでも心ウキウキワクワクを
求めたりする必要もありません。
ただただ、
あの日のあなたを探しに行ってみれば
いいんです。
心をくすぐったり、
ノスタルジーや懐かしさに招かれたり、
そうやって求めていくうちに、
あなた自身とのつながりが戻ってきます。
あなたという大切な、たいせつな存在が
求めるものなのだから、
誰に気兼ねする必要もないはずです。
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ー今回の表紙画像ー
『スーパームーン?』
買い物に行った駐車場で夕空に富士さんの影を見つけた。きれい。

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