先日、学生時代の友人から
ラインで飲み会の話が入りました。
個別に会って飲むことはあるのですが、
今度は年に一度の公式の?飲み会です。
今年もそんな季節が来たかと
感慨深く思いながら、
歳をとって変わっていく自分の
感覚や考え方にも関わらず、
20歳前に知り合った輩と
30年以上にわたって付き合いがあって、
今も楽しく話すことができるのだから
なんだか不思議な縁だなとも感じました。
同時にふと、
自分が彼らに出会うまでの軌跡を
辿ってみたくなりました。
★
大学に入る前、
ひたすら地元の公立校に通っていました。
2年ほど暮らしていた田舎で
徒歩で一時間かかる一番近い中学まで
自転車で通った以外、
小学校、中学校、高校と、
通学は全て家の近所の学校へ徒歩でした。
義務教育の小学校と中学校を含め、
ただただひたすら親の言うままに、
テクテクと通っていました。
合計12年間、幼稚園を含めると14年間、
誰もがそうであるように、
いろいろな出来事がありました。
中にはいろいろはなかった方も
いるかもしれませんが、
それでも何某かの個人的な出来事は
あったのではないかと思います。
そういうわけで私の場合について言えば、
転校もしたし、
そこで様々な方言を話しました。
野球やサッカーを部活動でやって、
体育会系の監督のもとで
ヒイヒイ言いながら走り回りました。
学級委員をしたり、
家族と暮らした地方独自の行事に出て、
その時々の友達と遊んだり喧嘩したりして
彼女を作ってデートもして、
勉強もそれなりにしたし、
反抗期も過ごしました。
その後、
大学は地元を離れたところに行き、
そのまま社会に出ました。
典型的と言うと言い過ぎですが、
ある種の良くあるパターンの学校生活を
進んできたと言えなくもないでしょうか。
これまでにも何度か話してきたように、
この頃までには家族がおかしくなっていて、
家族の形は崩れてしました。
長く暗い時間を這いつくばるような
人生を歩みながら、
その間、頭の中には
いつもこんな疑問がありました。
それはなぜ、
自分はこういった人生を歩んだのか、
ということです。
小学校、中学校、高校と通いながら、
一生懸命に周囲に合わせて、
でも、
一生懸命周囲より上を目指して、
気がついたら、
大切な人はいなくなっていた。
不思議なのですが、
どんな哀しく辛い家族時代を送った人も
そうでない人と同様に、
社会に出ればいろんな人と接して
生きていかなければなりません。
これはとても厳しいことですが、
なぜそうまでして“その歩み方”を
しなければならないのでしょう。
それを知るには、過去を振り返り、
自分がどうやって今の自分になっているのか
理解することだと考えました。
今の人生は自分が選択しています。
ただその選択の仕方もまた、
子供の頃のことを振り返れば、
学び決められてきた気もします。
例えば、
学校はムリに行かなくていい、
と言われていれば、
休もうとさぼろうと
それほど罪悪感を覚えませんが、
何としても行けと躾けられ、
そのために心身を罰せられながら、
なかんずくそこで良い成績を得るよう
厳しく求められていれば、
どうにも追い込まれてしまいます。
そこまでいかなくても、
まるで生活習慣であるかのように、
ロボットになったかの如く、
少々身体が拒否反応を起こしていようが、
明らかに気持ちが萎えていようが、
朝起きてそこに向かう。
あたかも、
そこに行くことを、
そこに通い続けることを、
そこに所属し続けることを、
当然のことと思い込んでいる状態ですね。
ことに小学校や中学校はそうだったでしょう。
例え義務教育だからと言っても
その関わり方、活かし方が
明らかに無理強い的な様相を呈する
場合があるわけです。
★
一度崩れた家族の形は元に戻らず、
全員がバラバラになってしまってから
ほどなくして、
まず父が自らあの世へ逝き、
母が壊れ、
その度に親類と連絡をつけ、
地元の役所で手続きに走り回りながら、
先にも書いたように、
自分がなぜこれほど
苦しまなければならないのか、
どうしたらこの苦しみから逃れられるのか、
呼吸するのもままならないほど
喘ぎ続けながら生きる日々が続きました。
これほど苦しまなければならないような
悪いこと、
つまり、
何か世の中から逸脱したことをしただろうか、
自分の生き方はおかしかっただろうか、
自分の人生が悪くなる方へばかり
生きてきただろうか、
そう思い悩んでばかりいました。
そして、
必要な情報を求めて専門的な機関に通い、
本を読みあさり、
生き方の棚卸をする日々が続く中で、
何か変だ、
と感じるように
徐々に気持ちが変化していきます。
なぜなら、
大切な人が自ら命を断ったり、
最も大切な人同士が互いに傷つけあったり
することなど、
生きていければいいだけであれば、
必要ないはずだからです。
一度この考えというか、
この肌感覚にたどり着いたら
もうダメでした。
その頃のその頑張りも、
既定路線を守ることも、
そのための習慣をこなすことも
できなくなってしまいました。
自分らしく生きていく上では、
それらのことは不要だとも
感じるようになっていました。
その無理な生き方のどこかには、
無理な所属、
度を超えた競争への参加、
相手にやり返そうとすること、
自分は正しい被害者という世界に留まり続けること
があったように思います。
そう言うものだと思い込んで
学校に通い、学び、競争し、
その過程で随分自分を押し殺したけれど、
そうやって生きてきた世界から
出ていくことにしました。
そこ以外にも生きられるところが
あるはずだと思ったからです。
新しい世界を探す前に、
まず、それまでの世界を出ること。
人生が変わった瞬間でした。
そこから変わり続けて
今ここにたどり着いています。
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ー今回の表紙画像ー
『秋の散歩道』
木々がすっかり枯葉になった。
ススキが繁茂する川べりから空を見上げた。
対岸には雲間から光がさしていて美しかった。

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