私たちは感情の生き物です。
出来事の理屈がどうあれ、
自分の理性がどうあれ、
この世の定理がどうあれ、
感情に沿って生きている側面が
あるのは確かです。
少なくとも、
それを無視できない程度には
遂行しているということに
異論を唱える方はいないのでは。
この感情によって、
生きる力を湧き上がらせて
動くこともできれば、
絶望に打ちひしがれて
動けなくなることもあります。
★
人は様々な感情を持っています。
例えば、
歓び、楽しさ、ウキウキ、安らかさ、平安、
憤り、絶望、哀しみ、怒り、憎しみ。
これらはほんの一部で、
書き出せば何十でもでてくるでしょう。
この、誰にでもある、様々な感情。
良きにつけ悪しきにつけ、
自分の中に強烈に巻き起こると、
自分の中だけで処理することは
たいていの場合困難になります。
公的な場所で
嬉しくて楽しくて仕方ない感情が
湧き上がっている時には、
早くその感動を表出したくて、
場所を探すほど。
落ち込んでどうしようもない時には、
早く一人になりたくて
誰も知らない場所、閉鎖された空間に
身を置きたくなります。
そんな感情の中でも怒りは、
アンガーマネジメントという言葉のとおり、
渦巻きだすと制御が大変です。
それもまた、誰もが同じでしょう。
人と人との関係が難しくなるのは、
利害が感情面にまで影響するときです。
利害とは、大方は
お金か、または濃い人間関係のことで、
その際に生じる感情がこじれると
いささか厄介。
家族や職場、夫婦や親子や上司対部下。
そんな関係で感情がこじれると、
力の上下があからさまに影響し、
なかなか簡単には逃れられない、
あるいは、
逃れられないと思い込んでしまいます。
少なくとも、
逃れられないという発想になると、
そこには、
希望とか欲求とか夢とか野望の代わりに
束縛の力学が支配するようになってしまう。
そして、たいていはある方向に向けて、
感情がぶつけられることが
並行して起きていたりします。
その時々の、少なくとも、
自分自身とは相容れない感情を
相容れない相手からぶつけられると、
苦しいですよね。
それが例え、
面白いことや楽しいことだったとしても、
こちらが落ち込んでいたり、
考え事をしていたり、
といったときには、
面倒くさかったり、
苦しくなったりもします。
そこには感情の授受の
双方向性が感じられないからでしょう。
こちらの状況を踏まえず、
一方的に相手の感情に絡めとられる、
という力学が感じられた時、
自分を無視された感覚と相まって
それが苦しさを産むんですよね。
いわんやそれが、
怒りや憤りの感情であれば
もう、言うまでもありません。
★
そんなこんなで、
いろんな感情をぶつけられることが
あるかもしれませんが、
焦らないで、
自分を追い込まないで、
反応しないで、
まず最初に自分を守りましょう。
少なくとも、
守るように心掛けてみましょう。
きっと、
「それができれば苦労しないよ」
「相手の理屈だけは正しいから」
「善意で言ってくるのだから」
「重大な間違いを起こしてしまったのだから」
「誘ってくれてるのだから」
などなどなど、
自分を守る思考や思いやりで
自分に寄り添おうとする前に、
相手がいかに正しいかを
意味付けるような理屈が
湧きたつかもしれません。
でもね、
そんなの、
全・然・関係ない!
自分が焦って追い込まれて
反応しまくって良いことは、
自分だけでなく、
相手にとっても、
取り巻き全体にとっても
何もないんです!
もっとも、自分を守ることを
それまでできていなかった人が、
突然できるようになることは
難しいのも確かです。
そもそも、
それまでの感情の反応自体、
生理的な自動反応なのだから、
気がついたら、そうしてしまっている
というのが本当のところでしょう。
だから、もし、
そうなれればいいけれど無理、
というところまで思いが至ったなら、
まず、
こういう考えがあると知ることが
1stステップです。
自分を守ることは、
感情をぶつける相手にも、
取り巻きにとっても
良いことなのだ、
だから自分が苦しいなら、
感情をぶつけてくる相手から、
自分を守るように試みること。
つまり、
自分は優先順位を間違えて、
最初に自分以外を尊重することを
身につけている、と知ることです。
そして気づくということは、
その第一歩。
その上で、それが癖として、
身についていしまっている以上、
また同じことが起こりえる、
ということをも認識すること。
ですから、
また反応が起こった時には、
こうしよう、
この考えを実践してみよう、
そう心に決めるんです。
その原動力は先のとおり、
自分を守ることの他に、
自分が改善されることで、
自分の大切な人々も
傷つくことがなくなり
守ることにつながる、ということです。
そう、これは習慣であり、
訓練で改善できることなのです。
精神科に行って、
病状を名付けられて、
薬をもらって、
という行動を否定はしませんが、
風邪の回復と同じで、
最後は私たちの心のレジリエンス、
恢復機能によります。
風邪をひいて熱を出した人が
薬を飲みながら、
薄着で外に出て、
水分も取らず、
身体も温めず、
それまでと同じように、
肉と酒の暴飲暴食の生活をしていれば、
風邪が治るどころか、
間違いなく体は壊れるか、
寿命を縮めます。
これと同じで、明らかに
自分の意に沿わない感情をぶつけられたら、
ひたすら焦り、
申し訳なさでいっぱいになり、
自分を追い込み、
反応的になった自分に気づき、
あ、またこうなっている、
相変わらず不安で怖くて
頭の中真っ白で
良いアイディアが全く浮かばなくなってる、
と気づいて、
それでも自分を守ること。
相手が今現在、
何をどう言って、
どう感情をぶつけてこようと、
まず自分が大切だと
自分に言い聞かせて、
ああまた何か言ってるなあ、
そういうニュートラルなイメージを
抱いて乗り切り、
終わったら、
課題は残ったかもしれないけれど、
感情的には何とかかわせたなあ、
と振り返る。
この繰り返しの中で、
自分が自分に守られる感覚が身につき、
感情をぶつけてくる相手を、
適切にかわす術もわかるようになります。
もう一度言います。
これは改善できるものです。
そして身に着けることによって、
自分も他者も守ることができることです。
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