父が家を出て、家族がバラバラになって苦しんでいた時期があった。それと同期するように、学校で、会社で、暮らしていた町の中で、人の行為に違和感を感じることが増え、それが自分に向けられたものでなくとも、何か気に入らないことがあると、なんだかんだと理由をつけて敵意を抱いた。敵意を行動にうつすことはなかったけれど、日々、毎時間、常に心の中は不安と怒りと猜疑心が渦巻いていた。
心理、魂といった、それまで胡散臭く感じて近づかなかった世界を垣間見るうち生じた心の隙間に、自分の中に渦巻く感情への疑問がわきだしてきた。様々な事例から、自分と同じ経験をしている人は随分いて、自分と同じように荒んだ心持ちに沈んでいる人の報告も多くあることを知る一方で、そうではなく淡々と日々を送る人もまた少なくないようだった。家族離散という経験をしたことで自分の内側に、世の中に対する疑惑は湧き出さなかったのだろうか、寂しい、哀しいとは別の感情は芽生えなかったのだろうか。それが知りたかった。
21世紀に入った頃活躍していたお笑いコンビ麒麟の田村は、著書「ホームレス中学生」の中で、母親の病死の後、彼の父親の「家族を解散する」の一言で題名の通りホームレスとなったと述べている。何かの拍子に手に取って読んだのがいつのことだったかは忘れたが、読み進めながら不思議に思ったのは、内容はもちろん、行間にも恨みの匂いを感じないどころか、むしろ父親に対する肯定的な見方をしていることだった。自分が彼のような心持になったのは、ずっと後になってからのことだった。
繰り返しになるが、この落差は何だろうと考えていたときがあって、それは自分の内側に渦巻いた自己を卑下するいくつもの感情の葛藤から逃れたい一心で湧いた疑問でもあった。何が違って、受け止め方にこれほどの差が生じるのだろう、と幾度も自問した。それはまた、感情に翻弄されてばかりの自分が、自身の本音を根気よくたどっていく良い機会にもなった。もっとも、その機会は何年という単位で続いたのだけれど。
ともかく、そうやって振り返りを継続するうち、自分が何にそれほどこだわっていて、しかも言葉にできずに悩んでいるのか、が見えてきた。家族の中の関係性のことだ。
それまで当たり前にあると思っていた家族がその体をなさずに崩壊し、親と呼ばれる二人が混乱を互いに憎悪の形で表現しあいながら、子供に互いの味方であることを強いようとする様は、異様という言葉で片づけるにはあまりに身近過ぎた。それは生きる上で、自分を取り巻く人々がおのおのの立場を貴びながら、不文律を含む一定のルールのもとにこの世界で暮らしているという前提を信じる、という土台までが崩れた時期でもあった。平たく言えば、生きている世の中と大人たちに対する信用が消えかかり、そう感じてしまう自分に対する嫌悪感に絡め取られていたのだ。無意識の中で自分をいたぶりながら、その一方で言い訳している自分もいて、どちらも収まりがつかず、他に思考が及ばないほど同じことに対して繰り返し葛藤してばかりいた。小学生でもないのにいつまでも親が親がと駄々をこねて情けない、家族バラバラを言い訳にしているなんて悲惨でみじめったらしい、結局自分の親を守り切れなかった、元気が出ずにふさぎ込んでしまう、世の中が腹立たしい・・・。
通常、ショックはやがて喪失の哀しみにつながる。当たり前にいたはずの存在、あったはずの関係性、帰る場所、一緒にいることで容易に臨場感が保たれ続ける思い出。それらが消え、哀しみはやがて涙になる。哀しいけれど、いつの日か浄化され、日常に戻る。大切な存在のそれまでの想いを心の奥に安定してつなぎ止めて、日々がまた動き出す。
そう。ショックの大きさ、急激な変化の大きさ、それが喪失についてのものであり、自分にとっての混乱の原因の根っこなら、話はそこで「終わる」。終わる、と言われるのが引っかかるなら、一区切りつけられる、と言ってもいい。ショックの直後は永遠に続くように思えた明確な心の痛みは、懐かしさや悟り、新しいまとまりを伴うことなく、ただの痛みのみとして続くことはない。
しかし、その奥にさらに話があるのなら、それを避けている限り痛みが「終わる」ことはない。その場合、大方の心の痛みは明確さを伴わず、鈍く虚ろだ。その上に別の感情が覆いかぶさっているからだ。無意識的ではあっても、その先の話から目を背けていた、というより理解できず気づいていなかったからこそ、当時の自分はいつもふさぎ込んでいたのだと今ならわかる。
その奥にあるもの・・・。約束のように語られた幸せな未来、それと相反して日常に含まれた多くの嘘が未消化のまま取り残されていること、関係性を反故にして一方的に破壊してしまいながら、何事もない状態と同じように権利を振りかざす親に感じる胡散臭さと気色の悪さ、それらが自分を育んでくれた愛着の感覚と同居することのおぞましさとやりきれなさ。言葉にすればいくらでも出てくる、相反する感情の同居と混乱が哀しみの上に怒りと憎しみの分厚い層を堆積させて、その内側に放出すべき涙を閉じ込めていた。
この頃はまだ、無意識のうちに自分のことを、罪悪感を抱えていることに気づかないまま被害者として扱っていた。自分を立て直す上でできるだけ早くこの場所を出ていかない限り新しい人生は得られないものだが、自分がなぜそれほど苦しいのかの原因を探り当てることに躍起になっていた時でもあり、自分は家族の被害者なのだ、という解釈に納得していたものだった。自分はこういう家族の中で生まれ、感性を育み、人の関係性を構築し、自分を包むフレームが壊れ、その理由として自分を守ってくれた者たちがおかしくて、自分のことを傷つけ続け、自分もまた自分や人に対する見方をその中で身に着けたために、おかしくなったのだ、と。そのため脱学習が必要で - ここが良く勘違いするところだが - 自分は被害者であり、癒される必要があり、だから「悪者」を敵視し続けるのだ、という場所に長くとどまり続ける、という“矛盾”を実行していることには気づかないでいた。罪悪感というもう一つのキーワードが身動きできなくさせていた。
この時期、人から何かを言われるたび、必死で守ろうとしているものがあった。それは最初に述べた敵意に含まれ、次のような言葉にあらわれていた。
「お前なんかに何がわかるってんだ」
口に出すことはまずなかった。しかし、当時の自分の目つきが、態度が、オーラが、そのことを世の中に向けて放っていたと思う。
「この苦しみが経験のないお前なんかに分かるってのか」
「この苦しみにどれだけ耐えてるのか知ってんのか」
「わかったような口をきくな」
文字にするまでもなく、とてもずれた場所で憤っていたのだ、ということがよくわかる。
こういったセリフを頭の中で反芻していた頃、自分が必死になって守ろうとしていたものとはいったい何だったのだろう。気に入らなければ相手の善意まで敵意として受け止めてしまうメンタリティはいただけない。だが、そんな解釈の仕方をしていることさえ気づかずに、思い込み、はまり込んだちっぽけな世界の真ん中で、いったい何を守ろうとしていたのだろうと考えたのが、朧げながら自分の状況に対して理解の途に就いた時だと思う。
守ろうとしていたもの。なけなしのプライド、とか見栄、ではもちろんない。この状況が改善されるなら、そんなものさっさと捨てたし、そもそもそんなものを持っている余裕はなかった。
ヒントは、ショックの「奥にある」ものだ。
いろいろあった家だった。いろいろ、の中には、いろいろ含まれるし、いろいろない家などないだろうが、残念ながら我が家の場合は家族が崩れてしまって不思議でない程度には、父母の間によからぬ状態がいろいろと包含される関係性があった。もちろん、外面的に家族の体面は保ちつつ、現実には関係性が崩壊している家もあるが、それは別の機会に話を譲ることにする。
父母の間の今から思えばやり切れない様相の対立は、例えそれが傍から見れば常識から逸脱して明らかに悪影響を及ぼすものだとしても、もの心がついた頃からずっと「子供は親を有力化して、家族を機能させないと生きていけないから、それに見合った振る舞いをする」という米国の心理士ブラックのコメントのとおりの振る舞いを続けていた。しかし、小難しい言葉を並べずとも、子供は無意識を含めて親の言うとおりに生きようとするものだ。歪んでいようが何だろうが、子供は親に愛着しているからだ。一番勘違いされるのは、「私は親と関係なく自由に生きている」という人のセリフだが、それは親がそう望んだからだし、機能しない家族で育ったにもかかわらず自由に生きられるようになった人は、その獲得過程で学んだ感覚から、ブラックのコメントを否定することはないだろう。
ただ、ある種の怒りや哀しみ、恨みが適切に処理されずに鬱積した家族の中で育つ子供が、意志とは無関係に、ある種の異常な頑張りをより多く要求されるのは事実だ。大学、会社、スポーツ、エンタメ、メディアなど、そこで功なり名なりを成し遂げるため、当座の勉強や運動で抜きん出た結果を、多くは無意識に求められ、子供もそれに呼応すべく生きようとする。引きこもりは結果が出ていないと感じているだけで、同じ範疇の人たちだ。そういう意味で、頑張り続けた自分もまたその中の一人だったと思う。
勘違いされないように述べておきたいが、頑張ること自体は悪いことではない。巷では「頑張るな」という風潮が占めているようにも思えるが、何事にも、最初の一歩にこの概念が含まれていて悪いとは思わない。ただ、その動機の大もとが、時間を遡って歪んだ家族を機能させるため、つまり誇りとか夢とかではなく子供にとっての家族という形態を保持させるため、ということにあるならば、仮に頑張りに成績がついてきたとしても、本質的な意味での達成感など得られない。当人の中には、家族があることを大前提とする幼いままの万能感が住み着き、自分自身がかけがえのない存在であることを自力で認めるだけの成長は得られない。
家族が内部からの崩壊でその形を成さなくなった時、加えて当事者である親が互いに被害者を決め込むとき、子供がそれまでに行ってきたことは意味をなさなくなるどころか、子供にとっての目的=家族が幸せにあることを達成できないことが現実になる。必然、そこに生じるアンビバレントな心情をそのまま放置すると子供は一生苦しむ。アンビバレントとは、怒りと罪悪感だ。
怒りは、こちらの意を介さず力づく(鉄拳制裁や怒鳴り散らすことばかりではなく、泣き落としも含む)で結果を求め続けておきながら、いざ自分がダメになると被害者の立場に逃げ込んだものに向けられる。自らの心を押さえつけて生きてきたにもかかわらず、あるはずのものを気づかないうちにダメにしてしまった者たちに対して、子供は約束の反故というより掟破りという表現に近い裏切り感を覚える。
その一方で罪悪感は、自分の力で大切なもの、心の唯一の拠り所を守り切ることができなかった、みんなを傷つけてしまった、という感じ方に端を発し、怒りにまかせて親を罵ったり、世の中に対して反社会的な行動をしてしまうことをさす。そして、何より猛烈に、絶大に、絶対的に大きいのは、自分が生きるために家族を保たせようと思い込んで頑張ってきたにもかかわらず、家族が形を成さなくなったり(冷え切った両親の関係はその典型)、自らに向けられる強制性に対して限界を感じるとき(勉強頑張れ、仕事頑張れ、ということ)、自分が生きることが許されるのか、という無意識にもぐりこんだ想いが手を変え品を変え、自分の存在そのものを責め続けるようになる。
私たちの体は常に生きようとしている。例え、意志が、心が、もうこの世から消えてしまいたい、と思っていても、体が生き続けようとすることは、万人に共通している。
体が生きようとする本能 vs 消えてしまいたいと感じる意識
正反対の力で己の存在が引き裂かれようとしているのだ。
こんなところまで行き着くなら、それはもう根源的な生と死の対立が自分の中に生じているわけで、生きづらい、苦しい、となるのは当たり前である。
「自分が生きていてよい理由」の必要性など、オギャーと生まれて、その家族特有の性格の中で生じたいくつもの逆説的な出来事に対する解釈の蓄積の末に思い込んだ“フェイク”なのだから、そんなものにこだわる必要がないのは外から眺めれば自明のことだ。
この世に生まれたのだから、自分のまま生きていいに決まっているのだ。
にもかかわらず、そこに陥ってしまう人が少なくない理由はこれまでに述べた通りである。それは、単に自分を振り返るだけでなく、相談を受けて感じることでもある。
怒りと罪悪感という二重の苦痛に加え、自分のかけがえのなさを知らず、自分と相談して生きていく術の乏しさが相まっている人物が、一般社会の一場面でこの種の問題に触れられ、意見を耳にするとき、実際に相手が何をどう言っているかとは関係なく、そのまま自分を非難されていることのように受け止めてしまうとしても不思議ではない。多分に感覚的なコメントだが、近年はそういう輩が“目立って”来ているように思える。
そんなとき頭をもたげてくる感情が、自分を守ろうと躍起に走り、結果として敵意を放つことになる。そこに触れられることは、自分を否定し続けて頑張ってきたにもかかわらず望まない結果となってしまった自分の無力さ・罪悪感を刺激され、持って当然の怒りを否定され、しかも仮にそうされたとしても自分で自分のことを大切と感じていないのだから正面切って落ち着いて堂々と反論するだけの余力も意欲もない、という痛みを感じるサンドバッグの役を自ら抱え込むことと同じになってしまう。ただ窒息しかかっている魂が存在そのものを否定されたと直結させて湧き上がる感情だけが、最後の防壁となって自分を守ろうとしているのだ。
よく聞いてほしい。
自分を守ろうとすることは、正しい。
なんて当たり前のことを、というなかれ。
もし、本当に怒鳴られたりイジメられているなら、反論するなりその場を離れるなりすることも当然正しい。整然と、相手を傷つけることなくそうできれば、それに越したことはない。
しかし、守るべきものは、頑張ってきたにもかかわらず結果を出せなかった(と勘違いしている)無力でみじめな自分ではない。本来、この問題を含めてそんな自分などこの世界にはない!!!!!!!
守るべきは、「そこまでして大切な存在を守ろうとして、自分の持てる全てを精一杯駆使して、心も魂も血みどろになって、息も絶え絶えになって生きてきた、本当は『かけがえのない一個の存在である自分』」なのだ。
最後の言葉によって、守ろうとするものが正反対になることに注意してほしい。決して、「そこまでして大切な存在を守ろうとして、自分の持てる全てを精一杯駆使して、心も魂も血みどろになって、息も絶え絶えになって生きてきた『にもかかわらず結果が出せなかった無力でみじめで生きる価値のない自分』」ではないのだ。そうなるのは仕方なかったにしても、自分で自分を究極的に生きる価値がないところまで解釈していれば、免疫の弱った体が周囲にありふれたウイルスにも簡単にやられてしまうように、日常のありふれた周囲の言動にも痛みと攻撃を感じてしまう。それも、己の存在そのものに対する攻撃と取り違えてしまうほどに、だ。
そういう意味において、周囲は闘うべき相手ではない。よほどのことがない限り、そこでの反論に時間を費やしたり感情を害したりするのは、自分のためにならないし、時間の無駄だ。人の関係性を悪くすることの中には、この問題への対処の仕方が多分に含まれているところがあることは知っておいてほしい。
ともかく、実施すべきは、自分の存在の受け止め方、世の中の見方・接し方、自分が生きてきた生活などの棚卸を行い、自分のかけがえのなさをしっかりと認めることなのだ。
最初はきっとうまくいかないことが多いと思う。しかし、あきらめることなく続けてほしい。下向きの円弧の底に自分が乗った車輪付きのスライダーがあるとするなら、左右にジワリと振りだし、作用反作用を利用して継続することで、振幅はどんどん大きくすることができる。これと同じように、小さな変化を起こし続けることで心持が徐々に変わっていき、ある日気が付くと自分がとても楽になっていたりするのだ。
長くなるのでここでは述べなかったが、当然親兄弟や他の大人たちもまたそれぞれの育成歴の中でそうなるべくしてそうなった人たちなのだということは、容易に想像がつくし、無下にひどい解釈をするのは憚られるかもしれない。これを読んでいるのは、心の奥に優しさを秘めている人たちだから(と書くと、自分なんてとんでもないと相変わらず根拠なく卑下する人もいるだろうが)、自分のことを考えているつもりが、気が付くと自分に影響を与えた親・兄弟姉妹・親類の大人たち、中でも母親の立場でものを考えてしまうことを繰り返すと思う(かくいう私も何度もそのループに陥りました)。
大切な人のことを本来の意味で大切にしたいなら、自分を大切にする術を身に着けることだ。そうしないと、感情的、場合によっては暴力的な共食い作用で互いが残酷に傷つくという現実をこれまでずっと見てきたでしょ?
根底に根付いた罪悪感の払拭を試み、自分のことをかけがえなのない存在だと思えるキャパシティが増すにつれ、あることを経験することができる。それまで相反する感情を抱いていた相手を素直に受け止めるようになるのだ。罪悪感が縮小し、同時に怒りや恨み・哀しみは過去の適切な場所に戻り、ずっと自由になった自分を彼ら彼女らもまた望んでいたのだ、そう生きてほしかったのだ、と思えるようになる。自分がそうであったようにそれを表現する術を知らずに自分に対して接し続けた仕打ちを忘れることはできないが、それは終わったことであり、余計なわだかまりを感じることが少なくなっていく。やがて、自らのかけがえのなさの浸透とともに、この世界を与え、自分を育んでくれた人々や地域、環境、国土への感謝の気持ちが自然に芽生える。
これらのことを実施しようとすると、最初は面倒くさくなる。というより、あまりに長い道のりと感じて尻込みする。体が動かない、うつっぽくなる、胡散臭くて信じられない、など、やらない理由がどんどん出てくる。
でもね、自分を取り戻すということは、この状態をいかに自分なりに超えていくか、その繰り返しです。結果はおまけで、繰り返しのプロセスの中に実は素敵なことがたくさん落ちていたりもします。
やらない理由は、やれることの証拠だよ。
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