1.要約
人類が地球圏を中心に150光年の範囲を支配する時代が舞台。
主人公シロタレイヨは一般社会とイースターゾーンの混血児で、超一流企業『万能サービス連立会社』に勤務する30歳。数ある部門の中で特に自由な雰囲気の部署に所属している。それでも、どこかで冒険を求める彼は、とある住宅解体の作業現場への同行で、そこに自殺を試み居座り続ける女カーリフルスと出会う。
ある日、出社した彼は所属部署が解散され、降格人事がなされていたことを知る。新しい部署の上司フィッツギボンは効率と論理と企業人の権化のような人物。自由闊達な部署で生きてきたシロタは、くすぶる日々に偶然再会したカーリとずるずるつき合いだした。会社に同居申請を提出し、フィッツギボンから同居者の名を問われた彼はカーリの名を告げた。とある宇宙港でその話をカーリとし、彼が上司の名前を伝えたところで彼女は感情を崩し、シロタを遠ざけた。翌日、シロタは個人記録照合室でフィッツギボンの業績の1つを知る。
~外部低級生命体対象のサービスの一環の実験に、人間の女性を使用して貴重な情報を得た~
人間の女性とカーリが重なる。上司につかみかかるシロタに、フィッツギボンは、カーリが自殺したという報告があったことを告げる。
生活と呼べる最後の砦を失ったシロタは辞表を提出して会社を去った。
生きることに絶望した彼は、以前から目についていた保険会社の下手な宣伝を思い出す。『あなたの再出発をドリーム保険で!・・・・・・当社は現代科学の及ぶ範囲のことなら何でも致します。ただ一回のやり直しではありますが、そのチャンスを握ろうとは思いませんか・・・・・』
人のいない世界を望んだシロタが“放り出された”のは、思いもよらないところだった。
物語は、科学を中心として対立するもののないまま、画一的な発展をする人類社会と、そこから脱落した主人公が出会った自分たちと類似の容姿をした存在が支配する先進文明とを対比し、個人の価値とその意味を考えさせている。
ストーリーは、銀河連邦の存在、支配域第2位の種族エイバアトによる連邦諸種族への侵略に対する闘いと展開され、炭素・酸素系種族として描かれた地球人が絶体絶命に追い込まれたところで、突然エイバアトが宇宙から存在を消してしまうところで、唐突に戦闘が終了する。
ラストはささやかながら、物語の裏側に実はひっそりと存在していたカーリとの恋愛の帰結を描いておわっている。
2.著者について
1934年生まれ。大阪大学経済学部卒。
会社員の傍ら、SF作品を執筆、’61年「下級アイディアマン」がコンテストに佳作入賞し、デビュー。本作は1963年の作品。
有名な「ねらわれた学園」「とらえられたスクールバス(「時の旅人」の題名でドラマ化された記憶がある)」「なぞの転校生」など、少年少女物の作品は有名。一方で、「消滅の光輪」「引き潮のとき」では2度にわたり星雲賞を受賞している。
個人的な感想だが、非常に真摯で“まじめな”作家だと思う。決して天才肌の作家ではないし、米国のSFのようなどこまでも理詰に読ませていくタイプではないが、現代人が無意識に追いやっている“俗的な理屈を超えた世界”を古今の話をうまく融合しながら語ってくれている。
3.気づき
『僕と妻の1778の物語』の眉村卓氏の処女長編小説である。初版は1963年だから、自分がこの世にまだ存在しない頃に出版された作品だ。読んだのは中学生の頃で、(今は死語かもしれないが)ジュブナイル小説の類を期待して購入したら、当てが外れてしばらく部屋の隅に放置していた記憶がある。
面白いと思ったのがいくつの時だったかは忘れたが、まだ十代だったことは確かで、SFの中に性の捉え方とか神の存在をさりげなく描いている部分がずっと頭の片隅に残り、その後も気になりだすと手に取って読み返した。
要約で書いた戦闘の結果を言ってしまうと、エイバアトは最後、幾何級数的に増殖?することを船団のモニタで確認された後、忽然と銀河系全体でその存在が確認できなくなってしまうわけだが、著者は「神に消された」とさる地球の科学者に言わせている。
「地球人は自分たちの科学が万能だと勘違いしていたが、今や銀河連邦という存在を知っている。ならば、銀河系やもっと大きな星雲だってほんの一跨ぎして各銀河の生物を保護し観察する高度な生命体、というか存在があって、恐ろしく広い範囲を治めていて、エイバアトは根源的に秩序を乱す存在として消された、という考え方はできないだろうか。荒唐無稽であることは承知の上だ・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・私たちはそろそろある種の『畏れ』といったものを復活させていいのではないかと思う・・・・・自分たちの知識の範疇以上の物の存在を否定することはやめにした方がいい」
長いセリフなので全部は記載しないが、当時から自分の世界の中でもがき苦しんでいた私には、今自分をそう足らしめている価値という見方とその価値そのものをすべてと感じている自分というものに対して、アンチテーゼを投げかけられたようで、考えさせられた。これはのちに、アディクション・依存症の問題を考えるときにも参考になった。
本書は、子供の頃に町の小さな本屋で見つけた一冊だ。米英に目を向ければ、アシモフやクラークなど名だたるSF作家が存在し、いくつもの名作を世に送り出しており、その名もストーリーの練度も、社会的な名声も、本作が足下に及ばないものなのだろうと思う。
だが、私は多感な少年時代にこの本と出会い、思考と感性をめぐらし、私の中にずっと居場所を確保したままだ。本との出会いとは、そういうことなのだと思う。
4.おすすめ
眉村卓さんの作品は総じてSF作品として愚直なほどまじめだと思う。ちょうど筒井康隆、小松左京といった、私の親よりも年配の日本の往年のSF作家が活躍していた頃の一人として、初期の生真面目な作品から日常のさりげないシーンの描写まで、なんだか他の作家よりずっと身近に感じることができた気がします。
日本国というくくりで、SF小説に限らず、あるいは小説に限らず、エンターテイメント全般が国際的に一流と認められる作品が増えた昨今ですが、往時の時代を切り取る描写とか、人のあり方の表現は、今呼んでも一読に値すると思います。そして、個人的な受け止めですが、眉村さんは日本という国を歴史も含めて肯定的に見ていらっしゃる方だと思います。作品の端々に感じるそんな描写も素敵なところだと思います。
最近のコメント