ずっと昔、影の中に住んでいた。そこにいることの心地よさも弊害も身に染みている。こうやって紙面に記載するのは概してばつが悪いものだ。
人は無意識的な要因まで含めると、意味のないことは行わない。もちろん、こういった類の話をすることは過ぎたこととはいえ勇気がいる。けれど、あの頃の自分を覚えている限り、決してただ無駄なことをしたなどとも思わない。
今は気づいても、ただ見守るだけになったそんな象徴的な世界について、どこまで表現できるかわからないが、少し語ってみたい。
さんさんと輝く太陽の下を歩けば、とても明るい世界の足元から伸びる自分の影が見える。真夏の炎天下ともなれば、影は自分の周りに申し訳程度の領域を陣取り、えらく小ぢんまりとした形になる。火傷しそうなほどの殺人的な光線を浴びながら、それでも魂がやられていないうちは、なんだかんだと汗をかきながらそんな場所に何度も足を踏み入れる。海水浴、ダイビング、バーベキュー、サッカー、野球、ドライブ、テニス、釣り、ツーリング、花壇、ジョギングハイキング、、サーフィン、カヌー、ヨット・・・。真夏の炎天下、とは限らないけれど、明るい時間にアウトドアで行いそうなことを思いつくままに挙げてみた。後半のいくつかを除けば、だいたいは経験してきた。ほんといろいろと顔を出したものだ。人によってはきっと他にもいろいろあると思う。
だから、もともとそういった素地があったのかもしれない。
家族が崩れた後、私が逃げ込んだのは影の領域だった。頭の片隅で格好悪いなと思いながら、そこ以外に行く場所を見出せなかったのだ。別に、いつも陽の光の下にいたわけでも、いたかったわけでもなかったけれど、それまでは原家族におかしな部分を感じていながらも、それを無意識の彼方に追いやり、自分の人生も自分の家族も自分の力で何とかできるものと根拠なく思い込みながら、場所を選ばずあちこちに足を踏み入れていた。
それが、家族の問題を抱え込んでしばらく後、影の世界に住み着くようになった。
後年、心理や精神医療の知識を得て、その意味するところと、そこに住み着いた自分に起こったことの意味を理解するにつれ、怯えていた感覚は徐々に溶けだして哀しみに変質した。涙を流しながら、そうやって生きていた自分がとても愛おしく感じられた。
私の知る、様々な問題を抱えている方の中には、逃げ込んだり安全基地に相当する場所が見当たらずに苦しんでいる方もいれば、過去の自分と同じように仮初の場所に魂を置いて生きている方もいた。二つは正反対のように見えるかもしれないが、いずれも問題の本質を見つめるための大切な場所を自分の中で見失っているという意味では大差はない。
影に住み着いていた頃。
色も時間も自分を取り巻く形も存在も、何もかもが影に同化していた。
あると思っていた原家族が消え、唐突に顕在化して突き付けられる羽目になった愚かな自分(という強烈な思い込み)が、それまで自分を支えてきた支柱が崩れていく感覚と相まって、父も母も全うに守れない自分に、これ以上いったい何ができるのだという、不安というより恐怖に近い感覚に打ち震えた。
陽気な場所を避け、メジャーな話題に可能な限り近づかないようにした。
PCディスプレイの設定も部屋の彩も、誰に見せるわけもないまま影の色に近づけると落ち着いた。
夜が近づくと体が動くようになり、明け方にほんの少し眠って会社に行った。
恐怖は孤独の裏返しで、その代償を他者に求めてつるんだり、社会をドロップアウトするパターンもあるが、そもそもが社会は信用できないものだという、これまた凄まじい思い込みのもとに徹底して人を避けた。唯一手放さなかった習慣のジョギングも、夜遅い時間に走ると、暗がりの影から何かが自分を見ているような気がしていたし、街路灯から離れた光の当たらない道路標識の影にさえ怯えることがあった。
同年代の誰もが、恋愛や娯楽、将来設計にいそしむ中、ただひとり、勝手に自分を追い込みながら、日々呼吸することにさえ苦労した。いつも書いているが、自分がそうなる理由がわからなかった。他者が関心を持つものに自分の関心が湧かないだけであれば、それはそれで仕方がない。しかし、自分が自分である理由さえ納得できず、影の中にいることに至っては、その奇妙な安心感と裏腹に意味不明そのものだった。
要するに、一言で言うと目も当てられない状態が続いていた。14歳の碇シンジ君ならそれでもまだ絵になったかもしれない。私はその時25歳になっていて、何とか引きこもることなく働き続けるのが精いっぱいだった。
いつも暗がりに潜む何かに怯えながら、自身が影に住み着いた時期だった。
影は、不安や恐怖を幾重にも安らかさにくるむ世界だった。
そこにいる限り、痛みを緩和しながら、自分に嘘はない、と思い込むことができた。
最初からどこにも嘘なんてなかったのだけれど、救いようもないほど『卑怯で汚れて醜い』と感じる自分を抱えながら、それでも死にたくないと思う以上、当座だけでも不必要なもの(と思い込んでいたもの)が見えないようにしたかった。
今抱えている恐怖の感覚を自覚でき、
これ以上誰かに追い詰められないで済み、
いつもその時の自分が求める仮初の安心を実現できる
それが影の世界にはあった。
このまま時が流れれば、本当はそうではなかった自分が本当に『卑怯で汚れて醜い』者になってしまう危惧には気づいていなかった。そういう意味では、いくつもの出来事が折り重なって、その世界の外に出ていたのは幸運だったと思う。それでも、あの時の自分は、誰もがそうであるように年齢を問わずその時々の精一杯の選択だったのもまた事実だ。
私の取り巻き - 友人も、当時の恋人も、会社の同僚も - は困惑しただろうな。
その場所にいる甘い苦痛と破綻手前の居心地の良さが併存して、何度永久に住み着いてしまおうかと思ったほどだ。
ひきこもりと異なるのは、場所に籠らないこと。
ひきこもりと重なるのは、親密な接触を避けること。親密さは、最も当たり前にあると思っていて、最も身近な親密さの崩壊で味わった身を引き裂かれるような痛みに襲われるから。
だから、普通に喫茶店やレストランにも行くし、必要なら知人等とも会う。
だけど、そこに自分が求める何かがないことは重々承知していて、同時にいつ自分を襲ってくるかわからない痛みに怯えているのだから、イメージもメロディも光量も色彩も声も会話も料理も何もかも、およそ自分につながるそういったもの全てを影の世界で感じて、影の中で処理した。
こう書くと何だかとても危険分子だったように感じられるかもしれない。実際には、そんな大胆な行動をとることができるほど自分を信用していなかったし、影の中で世界を曖昧にすることで自分がそうする元となった“大切な想い”を、例え残滓であったとしても完全に消してしまわないようにしようと(無意識のうちに)していたこともあって、そんな行動に出ることは間違ってもなかったと思う。むしろ、自死を含む自分を消してしまおうとする行動を抑制するための行動だったことは間違いない。アルコールや薬物のアディクションに溺れている人が、これではダメだと強引にそれらの接種をやめようとしてそれがうまくいってた後、急激に訪れる自身の世界観の変化について行けず、究極の選択をしてしまうという話は少なくない。
ともかくもそんな状態だったから、毛嫌いというか怖さから宗教の勧誘のごとく遠ざけていた精神医療や心理療法の中に、家族病理学、家族というシステムによってもたらされる自らの位置づけについて知ったときは、一気に影が霧散したように感じられたものだ。
そして、この業界の内勢を知って(!)幾ばくかわかったこと、それはカウンセラーや医療従事者の中には、そうやって自らの恢復を試みているようには見えず影を彷徨うクライアントに向けて厳しい言葉を投げつける者もいる、ということだ。一概に悪いと切って捨てるつもりはないけれど、その方法でクライアントが果たして恢復したのだろうかと疑問に思うことはある。
少なくとも、そこにいることの恐怖も心地よさも、そこにいる必然性も、そこを彷徨う皆が感じている。そんな状態で陽の光の下で回り続ける社会とつながり続けることが、どれほどアクロバティックな生き方を要求されることであるかも、以前の私同様身に染みているだろう。
リカバリー(恢復)の条件は、逆説的に聞こえるかもしれないが、そこに居続けようとする自分の想いを自ら肯定し受け止められること、その一点だ。それが徹底してできるようになり、しっかりと自分で自分を受け入れられていると感じるとき、その世界の外に出るか、その世界の中で新しい生き方をするかなど、たいした意味ではなくなる。
幸か不幸か、影はいつしか私の周囲にあっても、私の住む世界と重ならなくなった。
影の中にいた頃、冬はよくひと気のない夜の公園に出向いた。煌々と灯る常夜灯は輝きさえひっそりと冷たく、ベンチやブランコ、鉄棒や公園を取り囲む木立の裏側に影を生息させていた。
あの影はあの頃、私そのものだった。私の唯一の理解者だったと言ってもいい。何もしゃべらず、表情も浮かべず、まるで分身のようにいつもそばにいてくれた。そして、夜が終わると自然に姿を消し、また夜が来ると約束しなくても会うことができた。
恢復したと霧が晴れたような感覚になった頃から、夜ジョギングした後や、飲み会の帰りに公園を通って目にするそれらは、ただの暗がりになっていた。
先日、ふと夜桜を身に出かけた3月の終わり、久々に彼らと出会ったような気がした。
彼らは、今の私を構成している大切な、貴重な、世界の一つだ。
読んでいただいてありがとうございます。
影は、必要のない人には決して意識の遡上に昇ることはありません。
どうか、かつて一人の自分を見失った者のちょっとした恢復のエピソードとして読み流していただければと思います。
また、次回。
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