それが自分のためにもなるように

日々の棚卸

私たちは利他で生きる時、不安や恐れが消える、とよく耳にしました。

自分のことばかり考えてないで、(特に男は)利他が大切だ、と。

これは、とある精神科医が主催したセミナー及びミーティングでの話ですが、別に、心理カウンセリングやメンタルケアに限ったことでもありません。

 

利他の威力は絶大だと私も思います。利他の対象が大切な人の場合はなおさらです。

その対象は、多くは親であり、兄弟姉妹であり、子供でしょう。私にとっては母親のことでした。あるいはそうでなくとも、誰かを助けている=感謝されている、という感覚は、行動の大きな原動力になると思います。東北大震災の後、楽天イーグルスの捕手である嶋選手も言っていました。

「誰かのために闘う人間は強い」

 

彼・彼女が、これ以上苦しまなくて済むように、これ以上痛みにのたうち回らなくて済むように、少しでも安らかな今と未来が訪れるように。希望の灯をともし続けられるように。。。

そして、救われますように。

途上国支援、交通事故の遺児、身体障碍者支援、環境支援、…。

これを自己犠牲と同じ扱いにする人も多いかもしれません。

 

ある言葉に『自分も生き、他者も生かしなさい』というものがあります。

他者を生かすために、自分が犠牲になってしまうことは、1度なら可能かもしれませんが、それが続くようになると、やがて性別も年齢も関係なく、人は弱くなってしまうものです。余程、特殊な状況でもなければ、神風特別攻撃隊のように自分を犠牲にして大きな壁に突っ込んでいくことが必要などと言うことはありえない。そういうことが必要ないような世界・社会を皆が作り上げようとして昨日も今日も喧々諤々と言葉が交わされているはずです。

そんなことはありえない、という方もいるかもしれません。

そんな世界には向かっていない、いつだって弱いものが犠牲になるようにできている、と。気づかぬうちに、幼いころからそういう行動を取っていると、どこかでそんな気持ちに覆われるようになってしまう。やがて、どこかで他者を良くするための原動力が潰え、自分の価値、そして相手との関係を蝕んでいくようになります。

 

そうやって生きてきた人々にとって、にわかにできることではないかもしれないですが、一度、自分を解放することを試みてはいかがでしょうか。

情報洪水の時代の今、世の中にはいくつもの相反するメッセージがあふれています。そんな中にいると、何が正しくて何が間違っているのか、わからなくなってしまうものです。自分で判断しろと言われても、それができずに行き詰っているからこそヒントや判断基準が欲しいのだ、という方だっています。私は基本的にトライアンドエラーとそのフィードバックこそが自分に対する最大のプレゼントだと考えているし感じているけれど、トライの選択の前に何をするかの意見の選択もあればなおいい。

この考え方がありきたりだと感じる方は、おそらくご自身をうまく“解放”できていない方ではないでしょうか。それほど、自分で行動を考え、選択し、トライし、エラーをフィードバックしてまた行動するということは、言うは易く行うは難し、の典型だからです。

きちんと自分を“解放”できている方は、最初こそ苦しみますが、フィードバックを繰り返すうち、そこに余力が生まれます。自分が自分の時間に入り込む余地のようなものといえばいいでしょうか。

お金、時間、人の関係、行動、思考、気持ち。そういった自分に属すること、自分がコントロールできる部分があることをきちんと見直したうえで、これらを一度自分の感じるままに再配分して使ってみると、新しい何かが見えてくると思います。その時には、それまで抑えてきた、あるいは自分の認識していなかった欲求が明確になって、自分が本当は何をしたかったのか、どうすればよいかもわかるようになると思うのです。

その上ではじめて、大切な人々のためになること、自分にとっての利他の意味が、正論・きれいごとの向こう側に見えてくるに違いありません。

 

継続することの大切さと難しさは、自己犠牲の考え方と裏表にあると思います。

私個人の実感でもあるけれど、自分を犠牲にして何かに貢献することは長く続かない。そこには自分が享受するメリットが必要だと身に染みて感じています。なぜなら、貢献の動機は、他者の苦しみの中に自分の苦しみを見出しているからで、本来それは自分にとっての苦しみをも取り除く想いがふくまれているはずだからです。

利他は、自己の恢復と自分のかけがえなさを皮膚感覚で理解する上でとても大切なことだと思います。ただ、それが片翼飛行になるアンバランスな心持ちはとても危険だということを認識してください。

 

大切な人のために何かをやろうとしているなら、それが悔いなく自分のためになるようにしてほしい。

仮に苦しい部分があったとしても、自分が納得して選択し、好きな部分も含まれていて、それが大切な人のためにもなるのなら、きっと素敵なことです。それはこれからの人生に彩りをも与えてくれるはずです。話が飛ぶようですが、実は資本主義社会における仕事はそういうときに最も効力を発揮するようにできています。

少々きつい言い方になってしまいますが、自分をケアしない利他は利他じゃない。ある種の迷惑にすらなりえると思います。

戦前、帝国海軍の言葉にはこんなものもあります。

「努力に恨みなかりしか」

戦争と軍隊の話を最後に持ち出すのは、受け入れづらい方もおられるかもしれません。

ただ、苦しい場所で何かをやり遂げ、身に着ける上で、自分にとっても集団にとっても必要な感覚は同じで、それがここでは自分と他人の双方にとってよいことを行うことだ、ととらえていただければと思います。

そうやって、自分の行為と心持ちを考えるほどに、人生が大きく変化していきますよ。

 

ー今回の表紙画像ー

『本日の町の雨雲』