タケコプター

日々の棚卸

どうしても嫌な人と接しなければいけない時、どうしたらいいでしょう。

ここでは理屈っぽいことは置いといて、ちょっとしたイメージをお話しします。

 

標題のタケコプター。

おそらく知らない人はいないのではないでしょうか。ドラえもんのポケットから出てくる道具の一つで、まさに身近な(?)想像上のアイテム。

ドラえもんの連載が始まったのは、アポロが月へ行った1969年。もう半世紀たつけれど、意外に日が浅いなというのが個人的な感想です。なぜなら、子供心に漫画を見てて(うちは妹がドラえもんを集めていた)いて、なぜかサザエさんのように第2次大戦前後くらいから、続いているものだと勝手に思い込んでいたからです。サザエさんと違うのは、漫画のキャラクターたち - のび太君とドラえもんだけじゃなくて、ジャイアンもスネ夫もしずちゃんも、タケコプターを頭に取りつけて、町中、国中、世界中を飛び回るところ。そりゃ作品のジャンルが違うんだから当たり前ですよね。どこでもドアと並んで、日常の生活に子供なりの妄想として溶け込ませていたような記憶があります。玄関あけたら、友達の家が目の前だった、とか。

ドラえもんの4次元ポケット、あるといいですね。

その時必要なものが何でも出てくる。というか、必要なものを創造して出している。

あれが自分にもあればと、子供だった私はまじめに思ってました。いや、今もかな。

 

時がたち、世の中に出てからのこと。

お金が絡む人の関係の中で働いていると、日々逃げられない状況に追い込まれる場合があります。

誰もがそうなるわけではないでしょうが、これまでにもお話ししてきたようにいささか特異な人生を歩んできて、人やモノの見方もひねくれていた時期の私は、時々そのような関係性の中に身を置く羽目になりました。平たく言うと、嫌な人、苦手な人と、対峙せざるを得なくなる、という状況です。

決して褒められたことではないし、若かろうが何だろうが、弄ってくる相手に対して苦しんでいる心の状態を何とかしないことには自分の身が持たない、心が持たない、という現実がありました。現実というより妄想なのでしょうね。

お恥ずかしい話ではあるのですが、ちょっとだけ言い訳すれば人間誰しもが味わう感覚のような気もします。

そんな方、いらっしゃったりしませんか?

 

遠い目をして語らせてもらいますが…^^);、あれはまだ私が20代前半の頃でした。。。

何かにつけて、私の発言、行動に文句をつけてくる先輩(仮にMさんとしましょう)がいて、私はその人のことが嫌で嫌で仕方がなかった。わあ、また近寄ってきたよ、みたいな。当時の妄想そのままの言葉で語れば、Mさんはいつもドロネチと接触してきて、こちらのミスに乗じて突っ込みをいれ、話が自分の領域から私の専門分野になるとスッと誰かの陰に隠れる。同じグループで私がテーマをリーディングする立場になったときには、「中谷君はいつもボクに怒っているので、怖くて何をされるかわかりません」といって、部署異動してしまいました。私が一体何をやった? ひたすらあんたにやられっぱなしで手はおろか反論の一言もしてなかったでしょ。それが正直な感想です。まあ何というか、その動き・変わり身の素早さはある意味見事だと思いますが。

Mさんの公平のため、そして私自身のためにも言わせていただければ、あの頃の私は確かにある種の同僚から見れば扱いづらかったかもしれません。つまり、そういうところに付け込まれやすい生き方をしていたと思います。いつも書いているように、自分が抱えたことへの対処の仕方を知らず、世の中を疑惑の目で見て生きていて、不信の塊のような雰囲気を持っていたでしょうから、Mさんのような人にとっては突っつきやすいタイプの人間だったと思います。

今なら、幾通りにも対処の仕方が思い浮かぶし、それ以前にMさんを嫌うという選択肢は必要ありませんが。

 

“理由はどうあれ”、特定の誰かの批判や軋轢によって自分の心がどうしようもなく折れてしまいそうになる方も、当時の私のようにいるのではないかと思います。そんなときに正論を言っても仕方がない。病気で重体に陥った人に向けて、あなたの生活習慣はよくないとか、くどくどと理屈を述べたところで、その人が楽になるわけではない。誰にも迷惑をかけずに効果のある対処法があれば、試すくらいはしてもいいと思うのです。

 

会社からの帰り道、街を歩いていたらドラえもんの映画の宣伝のポスターが目に入りました。ドラえもんとのび太君がタケコプターをつけて飛んでいる絵です。

その日、夕飯を食べたり風呂に入ったりしながら、何となくですがタケコプターに人が吊り上げられるイメージがずっと頭の中にありました。タケコプターなんて、現実に人を吊り上げられるはずはもちろんないはずなのですが、何というか頭の中のそれは強力な浮揚力を持っています。そして、そのイメージとあわせて吊り上げられる人物は、Mさんになっていました。私の嫌いな、苦手なあのMさんです。シュールというか、幼いというか、そんなイメージを持つ社会人て何なんだ、と思われるかもしれませんが、まあこのブログはそういう場所も兼ねているつもりなのでお許しいただくとして、ともかくそういうイメージが湧いていたのです。具体的な数字までは覚えていませんが、その後ふと思い出して感情が揺れるたびに何度もなんどもMさんをタケコプターに吊り上げました。タケコプターは使用する人の意志であちこちに飛んでいきますが、この時に限っては逆に私の意志に従って、Mさんを町の彼方、空の彼方、海の彼方まで運ばせていました。「どっかいっちまえ」という私の思念と、飛ばされていくMさんの呆然とした表情が寝酒の中で反芻されました。なぜか、「こんなこといいな、できたらいいな」とオープニングのあの歌まで流れる始末。ほんと、始末に負えませんね。

 

変?

そりゃあ変でしょうね。

私自身もそう思いますよ。

妄想だし。

格好悪いし。

 

でも、なぜか翌日から、彼との間にいい意味での距離ができたように感じるようになりました。おかしな接触が格段に減ってきたのです。おかしな接触が減ったということは、Mさんがそもそも私に接触してこなくなったということですが。

 

そんなこんなで数日続いてから、また当時の私自身がうざいと感じる接触が始まるたび、私は頭の中に、意に反してタケコプターで遠くに運ばれていくMさんのイメージをそれこそアディクションのごとく何度もなんども思い描きました。

悪い奴ですねぇ~。

とんでもない奴ですねぇ~。

カウンセラーとか言っておきながら、こんな話をするなんてねぇ~?

 

効き目絶大かも。

お金かかりません。

時間いりません。

いつでもどこでも可能です。

自分の頭の中だけで完結します。

 

待てよ、もしかして車か飛行機か電車の中に彼を詰め込んで同じこと妄想してもうまくいったかな?いっそのこと…

 

(ひそひそ声で)ばれないように、そっとお試しあれ。。。