与太話 - エヴァンゲリオン -

日々の棚卸

今回は与太話です。

でも、読み終わったらきっと……なんだ、いつもと変わらない、なんて感じるかもしれないけど。

 

『新世紀エヴァンゲリオン』に世代という概念がどこまで通用するのかわかりませんが、かなり広い年齢層で楽しまれている作品ではないかと思います。

私はジャンルを問わず惹かれた映画はなんでも見ます。黒澤も見れば、トム・クルーズも見るし、たけしも、ビクトールエリセも、トト・ザ・ヒーローも、アキ・カウリスマキも、シャーロックホームズも、テルマエ・ロマエも、岩井俊二も、萌の朱雀も、ビブリア古書堂の事件簿も、○○も、××も、◇■も、何でも見ます。

ノンフィクションも見ます。

記録映画も。

アニメももちろん見ます。

残念ながら。セーラームーンは見たことはありませんが。

 

こんなのを見ると、思わず吹き出してしまう世代です。

https://www.owndays.com/jp/ja/news/gundam2-char

 

エヴァンゲリオンもそうやって見てきた数多くの作品の一つ。私が見たのはカウンセリングの資格を取っていた時期で、今世紀に入って少ししてからのことです。もともととても流行っていたことだけは知っていたのですが、何となく稚拙な感じもしていたので(ファンの皆様、ごめんなさい)特に期待もせずに見てみたら、面白かったし、琴線に触れる部分がずいぶんありました。

 

新世紀エヴァンゲリオン(以降“エヴァ”)の監督である庵野秀明さんは、作品を作りながら、自殺をはかったり、もう死ぬとつぶやいたりしていたそうです。抑うつ的で、結構追い込まれていたんですね。

彼のことが頭の片隅に残っていたのは、その昔ジブリ映画『もののけ姫』について読んだ宮崎駿さんのインタビュー記事で、「憎しみは何も産み出さない。庵野にはそれを言っているんだけどね」というニュアンスのコメントを見つけたからです。エヴァという作品とともに、庵野さんの心の葛藤にも興味があったんですね。

※『風の谷のナウシカ』(宮崎駿原作・監督作品)に原画担当で庵野さんも参加

 

米国でアカデミー賞候補にもノミネートされた『もののけ姫』。この作品では、森の守り神である動物神が、怒りや憎しみでタタり神に変質し、人にタタりを及ぼすようになっていきます。森を破壊する人と人を襲う森の住人(神)の構図は、互いにとっての善と善が衝突し、憎しみを加速させます。

怒り、憎しみは、誰にでも芽生えるけれど、相手が悪い、の一言で善を絶対化して対立したとき、憎しみの連鎖は起こる。ほんとは、この感情にどう対処するかによってその人のその後の人生は変わっていくわけで、その寓話的な物語でもあるわけです。

そんな怒り・憎しみの感情とエヴァの監督の心の状態がどうつながるのか、とことが何となく気になっていた、というのも興味を持った理由だと思います。

 

社会人になってからはあまりチェックできていませんが、この作品のかなり前から漫画やアニメにおける戦闘モノに関しての作風が変わりつつあるように感じていました。いわゆる、戦争ありき、ではなくなってきた、あるいは、タフマッチョっぽい男性が主人公という作品がなくなってきた、という感じがするのです。子供のころにあった熱血もの(もう死語ですね)が消え、絵の中にストーリー性とリアル性を作る側も見る側も求めるようになり、女性的な繊細さが重ねられるようになってきました。

ガンダムは戦争ありきですが、主人公のアムロ君はどちらかと言えば引っ込み思案でリーダーシップ性はかけらもない。何かとめそめそするけれど、ニュータイプの威力を発揮して物語のメインを張っています。

エヴァになると、もう戦争の物語とはいいがたい。もっとも近代国家の軍隊は天災への対応もその意義に含まれて入るのですが、ネルフは公的機関としての軍事組織とは位置付けられていないハズではありますが(ネルフ:物語の中の主組織。シンジの父がボス。使徒と称する正体不明の生物(?)が人から世界を取り戻すため、本部地下にある……以下、詳細は割愛:固有名詞ともどもネットでご確認いただければ幸いです)。その中で主人公のシンジ君は男の子の中でもどこかおっとりとした(?)およそ戦いとは無縁のタイプ。

物語は常に異なる価値観の衝突を描くことでドラマ性を持つわけですが、そこに一見戦いとは無縁のタイプをメインキャストとして取り入れることは、現代社会をリアルに表現する象徴の一つになっているように思います。

 

パッと思い出すだけでも、以下のようないくつもの場面が、カウンセリングかメンタル治療の場で出てくるシーンや言葉と重なる感じがして、それがずっと私の記憶の片隅に焼き付いているんですよね。

 

「ぶったね、おやじにだってぶたれたことないのに」ではなく(失礼)、

「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」とシンジ君が自分に言い聞かせているのは、何に対して?

 

襲ってくる使徒は何を意味している?

 

無数に替えがきく存在として描かれた綾波レイ。人のモノ化として現実に置き換えるとどう表現できるか?

 

綾波レイが生まれた部屋が意味するものは?

 

碇ゲンドウの幼稚さと身勝手さはどこからきている?

 

ミサトのトラウマが意味するものは。

 

ビデオ版で綾波レイが最後に言った「あなたと会えてよかった」の意味は?

 

デビルマンではありませんが、昔から無数の戦いの物語が心の葛藤とカタルシスを描いてきています。それがエヴァになって、とても繊細な現代風の表現を取っていることが注目され続ける大きな理由の一つではないかと思います。

人気を博す理由は、この分野、つまり家族や自他の関係を心理カウンセリングの表現や症状と交えて語っていることが大きな要素としてあると思います。庵野さん自身、カウンセリングを随分受けたようだし。

 

まもなく最後のエヴァ『シン・エヴァンゲリオン3Q+1Q』が公開されます。子供たち、少年少女たちはもちろん、お父さんお母さんも見るはず。ウルトラマンや仮面ライダーシリーズは美男美女をキャストに割り当てて親世代を取り込みましたが、こちらはまさに心の領域でそうしているという気がしなくもありません。

はてさて、テレビや漫画に対してどんな帰結を用意してくれているのでしょう。そして、どんなメッセージが得られるのか、得られないのか。

 

えっ?

解釈がおかしいところがあるって?

あらすじもちょっと違う?

心の話と関係ない?

まあ、与太ですから。

許して。

 

ー今回の表紙画像ー

『漫画も好きです』